畠山調教師へのインタビュー3回目。調教師の昔といま、昭和時代の厩舎の風景などの話題に話が弾みました。
昭和時代の厩舎風景
渡辺:競馬の世界に入り、どの厩舎にまずは所属されたのですか?
畠山:二本柳一馬先生のところです。二本柳俊夫先生というホウヨウボーイ、アンバーシャダイ、シリウスシンボリなどの名馬を手掛けた調教師の弟さんに最初お世話になりました。
渡辺:昭和の調教師って厳しそうですね。
畠山:ボクが入った頃は先生もだいぶお年を召されていたこともあってか、やさしい先生でした。厩舎に所属していた先輩ジョッキーからは「昔はすごく厳しかったんだよ。お前はいい時代に入ったな」なんて言われましたよ(笑)。
渡辺:芸人の世界でも、先輩芸人は孫みたいな後輩には優しいですからね(笑)。
畠山:以前は調教師に定年制がなかったので、それこそかなりの年齢になっても調教師をされている方が多かったんですよ。
渡辺:いま考えると理不尽なルールなどあったのですか?
畠山:ボクがお世話になった厩舎はアットホームなところでしたが、調教助手のころは必ず夜に所属ジョッキーと一緒に馬を一頭一頭確認して、終わったら先生に報告して、そのあと正座しながら先生のお話を聞いてましたね。
渡辺:うわぁ、正座ですか。年配の先生だと同じ話しを何度も繰り返しそう(笑)。
畠山:若いジョッキーとこのあと土浦に行こうよ、なんて約束していても、先生の話がまた最初に戻って終わらないんですよ。そのうち足もしびれてきたり(笑)。
渡辺:THE昭和って感じですね(笑)。
畠山:話が終わったあとに、先生の革靴を磨いて、おやすみなさいと挨拶してその場を立ち去るという、そういうしきたりはまだボクが調教助手のころは残っていましたね。馬一頭一頭の見回りは限られた人だけがその役目を担っていたので、貴重な経験を積ませてもらったと思ってます。
晴れて調教師になってみて
渡辺:調教助手を経て厩舎を開業されたのはいつごろですか?
畠山:2000年、38歳のときです。
渡辺:開業するまでは大変でしたか?
畠山:試験勉強は生まれてから一番やりましたね。8回試験を受けました。臨場といって調教師の仕事を代行をするのにいまは書類提出だけで済みますけど、以前は資格試験だったんですよ。その試験が28歳からだったので、28歳で臨場の資格をとって、その翌年から調教師の試験を受け始めて、30代後半での合格ですから長かったです。
渡辺:その間、調教師になれるのか...という不安はなかったですか?
畠山:試験もそうですし、そのときは定年制がないのでなかなか枠が空かず、次はこの人が受かるだろうという先輩方がずらり調教師の待ち行列なっていたから、いつ自分に順番が回ってくるんだろうという不安はありましたね。
渡辺:晴れて調教師になった感想はいかがですか?
畠山:調教師って、こんなに忙しいのか、となって初めて分かりました(笑)。
渡辺:調教師はみなさん本当に忙しいとおっしゃいますね。
畠山:以前は夏場なんか、北海道組、福島・新潟組と別れて、あとは頼むぞって言い残して、1ヶ月弱遠征先で過ごすなんてしてたんですけどね。いまは馬房も限られるから、レース終わったらローテーションしないといけないし、行って帰って今度は九州小倉に行ってと、時間もないですよ(笑)。
渡辺:いま携帯電話が鳴ってますけど、馬の連絡とかですか?
畠山:追い切り時計や出馬投票の結果などを報告など、携帯電話で1日何件も連絡がきますね。
渡辺:携帯電話が普及して便利になったけど、逆に連絡報告の作業が増えたとなると、携帯電話って調教師にとって最悪な発明品かもしれないですね(笑)。
畠山:それはありますね(笑)。
騎手に聞くキャプテン渡辺のここだけの話
- Q.調教師になってよかったですか?
- A.そうですね。でももっと早く生まれて、早い時代に調教師やれたら今とは違っていただろうなと思います(笑)。(畠山調教師)
渡辺:昔の調教師ってどんな感じだったのですか?
畠山:肩で風を切って歩くような、昔は調教師と言えば威厳がありましたよ。
渡辺:いまは違うんですか?
畠山:いまは競馬場で携帯電話片手に頭を下げながら話している人を見つけたら調教師って感じです(笑)。「すいません、また負けました」って謝っていたり(笑)。
渡辺:携帯電話が普及して、いつでも連絡とりあえますものね。
畠山:しかもスマホで過去のレース映像も見れるから、誤魔化しようがないです。そういう部分をとっても昔の調教師ってやりやすかったんだろうなって思いますよ(笑)。