ゲスト 丸田恭介 騎手
01. 師弟揃ってのGI初戴冠――。「宗像先生は淡々としていて。泣いている僕が恥ずかしくなりました」
抜け出した瞬間、先頭に立っていた
――初戴冠となったGI高松宮記念からもうすぐ半年。今、思い出しても、泣きそうになるんじゃないですか?
丸田抜け出した瞬間のことを思い出すと、グッと込み上げてくるものはありますけど、さすがにもう、涙は出ないです(笑)。
――パートナーのナランフレグは、8番人気。それでも、勝つ気満々という顔をしていたように思うのですが、本当のところはどうだったんでしょう。
丸田それまでにも何度か、GIに騎乗させていただく機会をいただいていて。その都度、ワクワクするような、気持ちがピリッとするような、ちょっと言葉では表現できない高揚感を感じていましたが、その中でも、ナランフレグは、チャンスがあるぞ、という思いで本番に臨みました。
――最後の直線では、インを突きましたが、あれはレース前から決めていた?
丸田そうですね。
高松宮記念の過去のレースを何度も見て、同じようにインを突いて勝った馬が何頭もいましたし、この馬自身、阪神のオープン特別を勝ったとき同じようにインで勝負して、怯むことなく勝ってくれたので、選択肢のひとつとして考えてはいました。
――最終的に決めたのは?
丸田当日の馬場状態を確認してからです。
全体的に湿った状態だったので、最後はインで勝負しようと決めて、前半は馬のリズムだけを考えて乗っていましたね。
――ということは、うまくインに潜り込んだときに、もしかしたら、勝てるかも!? と、思ったとか?
丸田それが、ですね……。
外が全く見えていなくて。
抜け出した瞬間、はじめて、先頭だというのに気づいた感じだったんですよね。
――そういうときのジョッキーの気持ちとしては、“よっしゃーッ!”という感じなんですか、それとも、“あれ? 勝っちゃうかも!?”という感じなんですか。
丸田これって…正直に話した方がいいんですよね(笑)
――マスコミ向けじゃなく、中山馬主協会のホームページなんだから、当然です(笑)
丸田最後の最後に前が空いて。それまで、ずっと前の馬だけに集中していて、“よし、いまだ!”と思って、わずかな隙間を抜けた瞬間、前にも、横にも、馬がいなくて…うおっ、先頭だ! という感じでした(笑)。
――そうか…そういうものなんですね。
丸田抜けたところが本当に狭かったので、ギリギリ、いけるかどうかだけに集中していて。ここで強引にいったら事故につながる可能性があると判断したら、手綱を引くという選択肢もあったので、抜けた瞬間、先頭だったことには、ちょっと驚きもありました。
――GIを勝った後のウイニングランは最高の気分なんでしょうね。
丸田ずっとフワフワした感じで。
勝ったのはわかっているんですけど、それでも、本当かな? という気持ちもどこかにあって。これが間違いだったら恥ずかしいよなぁと思いながら、ウイニングランをしていた感じです(笑)。
恩返しはこれからです
――2010年のヴィクトリアマイルで、GI初挑戦。12度目のチャレンジで掴んだ勲章は、師匠、宗像義忠先生にとっても、初のGIタイトルでした。
丸田先生には、ほんと、お世話になりっぱなしで。
いつか先生の厩舎の馬で、重賞のタイトルを獲りたいと思い続けてきたので、本当に良かったです。
――レース後、宗像先生とはどんな話をしたんですか。
丸田いや、それが…ですね。
当然、喜んでくれていると思うじゃないですか?
それが、検量室前でも、表彰式でも、いつもの宗像先生で。泣いている僕が恥ずかしくなるくらい、淡々としていて(笑)。
あれ? ですよね。
――本当は、嬉しい。でも、その喜びは表に出さない。ほんと、いい話ですねぇ。
丸田火曜は、先生がトレセンにいなくて、水曜にあらためてご挨拶に伺うと、先生がいつもとは違う顔で、「本当によかったな」と言ってくださって。そういう先生も笑顔だったので、もしかしたら、勝ったその日の夜、先生も、ひとりで美味しいお酒を愉しんでいらしたのかもしれません。
というか、だったらいいなぁと思います。
――いい恩返しができましたね。
丸田いえ、まだ、まだです。
GIの勲章はものすごく大きくて、ものすごく重いものですけど、先生からいただいたご恩は、まだ、まだ、こんなものじゃないですから。
全部、お返しできるとは思いませんが、ひとつでも、ふたつでも、お返しできたらいいなぁと思っています。
――ジョッキー仲間からの祝福もすごかったでしょう?
丸田後で聞いた話ですけど、中山の検量室もすごく盛り上がったという話を聞いて。僕が抜けるちょっと前くらいから、「そこだ!」とか、「行けッ!」とかいう声が飛んでいたというのを聞いて、すごく嬉しかったです。
――GIのタイトルは、大きくて、重いと話していましたが、丸田騎手自身、自分の中で変わったことは?
丸田大きく変わったということはないんですけど、ひとつ勝てたことで、GIを勝つ馬というのは、こういう馬なんだという物差しができたことは、これからの僕にとってはお大きいことだと思います。
それと、もうひとつ――。
1つ勝ったことで、もう1度勝ちたいと、強く思うようになりました。
僕は、いじられキャラ
――“苦節16年”という言葉が、翌日の新聞に大きく出ていましたが、競馬学校に入学したのは……?
丸田2007年で、22期生として入学しました。
――ということは…同期は…的場騎手とか?
丸田そうです。勇人(的場)、友一(北村)、博康(田中)たちが、最初の同期です。
――ん!? 最初の…同期?
丸田僕、受験に一度失敗していて、入学してからも、1年生を2度やっているので、同期が2つあるんです。
だから、厳密にいうと、勇人、友一、博康は、先輩で。呼び捨てにしちゃいけないんですけど、まぁ、1年間、同じ釜の飯を食べた仲、ということで(笑)。
――本当の、というのも変だけど、記録に残っている同期は、ひとつ下だから……。
丸田23期生になるから、康太(藤岡)とか、俊(浜中)、琢真(荻野)たちです。同じ1年生なんだけど、年は2つ違うし、入学したのも一期上ということで…最初はみんな、僕に敬語を使っていたんですけど、気がついたらタメ語になって、卒業する頃には、むちゃくちゃイジられていました(笑)。
――いわゆる、愛されキャラというやつですね。
丸田どう…なんでしょう。
高松宮記念を勝った時も、写真付きで、“ガッツポーズの右手が伸びていない”とか、“かっこ悪ぅ〜”とか、同期のグループLINEに書かれて、もう、ボロカスですから(笑)。
――なんか、羨ましくなるくらい、すごく仲が良さそうです。
丸田仲はいいですよ。よく競馬の話もしますし。乗り方だったり、レースのことだったり、馬の癖だったり。コロナ禍になって、一緒にご飯を食べに行ったはないですけど、トレセンや、競馬場で顔を合わせると、話をしますから。
――それにしても、1年生を2度、経験するというのは、想像以上に、大変なんことでしょうね。
丸田僕の場合は乗馬経験が1年くらいしかなくて。最初は、目の前のことでいっぱい、いっぱいで、何が上手いとか、どこが下手とか、まるで気づいていなかったんです。
それが、3ヶ月経ち、半年が過ぎることになって、自分がどれくらい遅れているのかということにやっと、気づいて……。
――そこで、はじめて焦った?
丸田いえ、絶望しました(笑)。
絶望したんですけど、技術は一日、二日、死に物狂いで頑張ってもどうにかなるものじゃないし、そんな甘い世界じゃないですし。抜け道も、近道もなく、うまくなるには、毎日の積み重ねしかないので、結果、1年生を2度やることになったという(苦笑)。
――やめようと思ったことは?
丸田それが、ないんですよ。騎手になるというのは、僕の中で、絶対だったので、やめようとは一度も思わなかったんですよね。
それだけは、自慢です(笑)。
(構成:工藤 晋)
丸田 恭介 まるた・きょうすけ:1986年5月20日 北海道旭川市生まれ。2007年2月に競馬学校第23期生として卒業。同年3月3日にデビュー。同年5月26日東京競馬第5競走で、ノースリヴァーに騎乗して初勝利を挙げる。1年目は3勝に終わったが翌年は31勝を挙げるなど、毎年、確実に勝利を重ね、2022年3月27日、師と仰ぐ、宗像厩舎のナランフレグに騎乗し、高松宮記念を制覇。念願だったGIジョッキーの仲間入りを果たした。
キャプテン渡辺:1975年10月生まれ。お笑い芸人。競馬、競輪、パチンコ、パチスロは趣味の域を超えていまや生活の一部に。特技は関節技。現在テレビ東京系列で放送中の『ウイニング競馬』にレギュラー出演中。YouTubeで競馬予想更新中。