ゲスト 黒岩 悠 騎手
01. ジョッキーズカメラに刻まれた魂の叫びは、亡き友への咆哮。「康太、勝ったぞ!!」溢れる想いが、迸った――。
連覇の喜び、亡き友、藤岡康太騎手への想い、そして、自身が大怪我を負ったときの記憶……と、華麗な飛越で、キャプテンの質問を軽々と跳び超えていく――。
強いイロゴトシを見てもらえたのが
何よりも嬉しかった
――中山グランドジャンプ、連覇おめでとうございます!
黒岩ありがとうございます。イロゴトシが頑張ってくれました。ゴトシはやっぱり強いということを、中山競馬場に足を運んでくださった方に、障害競走のファンのみなさんに見ていただけたことが何より嬉しかったです。
――昨年、この中山グランドジャンプを勝ったあと、順風満帆とは真逆で、苦労、苦労の連続でした。
黒岩そうですね。夏負けが尾を引いてしまって、秋の東京ハイジャンプで惨敗。そのあとも、なかなか体調が戻らなくて、目標だった暮れの中山大障害も回避するしかなくて……正直、悔しかったです。
――レース前、馬の体調は昨年の中山グランドジャンプのときくらいまで戻っていた?
黒岩試行錯誤をしながらいろいろ試して。100点満点とまではいきませんが、徐々にイロゴトシらしさは戻ってきていたので、“これなら”という感触は掴んでいました。
――レースは、前に3番人気ニシノデイジー、後ろに1番人気マイネルグロンという展開で、まさに、“前門の虎後門の狼”状態でした。
黒岩意識はしていました。ただ、意識しすぎると、無駄な動き、無駄な感情が入り込んでくるので、“必要以上に意識しないように”というのを心がけていました。僕が邪魔をしなければいい勝負になる――。信じていたのは、イロゴトシの力です。
――勝てると思ったのは、どのあたりですか?
黒岩残り100mあたりです。直線を向いて、ターフビジョンを確認して、2着馬が迫って来ていたのはわかっていましたが、これなら大丈夫だと。障害は、走る距離も長いし、飛越するたびに体力を使うので、最後、バタバタになるんですけど、それでも、最後の最後まで力を振り絞って走ってくれました。
――レース後、馬に、“お疲れ様” “ありがとう”と、言葉をかけた?
黒岩もちろんです。でも、ゴトシは、そっけない感じで(苦笑)。もしかして、嫌われている!? と思っちゃいました(笑)。
ひとりの騎手として、ひとりの人間として、
僕の中で、康太は大きな存在でした
――訊いていいのかどうか悩みましたが、やっぱりお訊きします。JRAがYouTubeで公開したジョッキーズカメラの映像に、ゴールに飛び込む直前、鞭を振るいながら、「康太!勝ったぞ!!」と叫ぶ声が入っていました。
黒岩…………。
康太の訃報を聞いたのが、レースの2日前、木曜の朝で、そこからもう、メンタルがグチャグチャになって……。レースに集中しなきゃと思えば思うほど、集中できなくなって……。
――僕なんかが簡単に口にしていいことじゃありませんが、ジョッキー同士、外からは窺い知れない絆や想いがあったんでしょうね。
黒岩年は僕が5つくらい上なんですけど、先輩、後輩とか関係なしに、ひとりの騎手として、ひとりの人間として、いろんなことを話せる関係だったので、藤岡康太という人間は、僕の中では、すごく大きな存在でした。
――ぐちゃぐちゃになった気持ちをどうやって切り替えたんですか。
黒岩忘れようとするんじゃなくて、康太と一緒に乗ろうと思ったんです。僕の個人的な想いですが、僕の中には康太がいて、康太と一緒に乗っていた――。その想いが、そのまま言葉になって飛び出した感じです。
――お立ち台で、「先日、藤岡康太騎手がこの世を去りました。すごくいいやつで、いまでも心がグラグラしているんですけど…。騎手をはじめ、馬に携わる人たちは文字通り、命懸けで競馬を盛り上げようとしています。康太はもう馬に乗ることはできないんですけど、これからは空の上で、僕たちのことを応援してくれるとおもいます。ぜひファンのみなさんには、康太にお疲れさまと言ってやってください。お願いします」と、中山のスタンドを埋めたファンの方に、藤岡康太騎手への想いを伝えていました。
黒岩あの瞬間もそうでしたが、いまでも、中山グランドジャンプは、康太と一緒に乗って、康太の力があったから勝てたと思っています。
――公開された映像の視聴回数は、45万回を超え、コメント欄には、ジーンとした、心を持っていかれた、思わず泣いた……という言葉が並んでいます。
黒岩それだけ、藤岡康太という男が、みんなから愛されていたんだと思います。僕は、藤岡康太という人間がいたことを絶対に忘れないし、みなさんにも覚えていてもらえると嬉しいです。
骨盤骨折後、最初に医師から告げられたのは、
歩けなくなるかも……という言葉だった
――お立ち台で話された中に、“命懸け”という言葉がありましたが、黒岩騎手も、デビュー3年目に障害競走で落馬し、骨盤を骨折するという大怪我を負っています。そのときの心境は?
黒岩一言で言うと、ただ、ただ、絶望していました。
1年目2勝だったのが、2年めは17勝に増えて、少しずつですが勝てるようになった矢先の怪我というのもあったんですが、最初に担当の医師から言われた言葉が、あまりにも、ショックで……。
――復帰まで1年はかかるとか?
黒岩だとよかったんですが(苦笑)。最初に入院した京都の病院で、「もしかしたら、歩けなくなるかもしれない」って言われて……。頭の中はパニックになるし、ボルトでベッドに固定されて身動きはできないし、痛みで眠ることもできないし……いっそ、殺してくれ!と言うところまで追い詰められていました。
――マジ…ですか?
黒岩ちょっとずつ、ちょっとずつ、良くなって、なんとか、自力で歩けるようになってから、最後、千葉の病院でリハビリをすることになったんですが、そこの先生が、レントゲン写真を見ながら、「キミ、なんで歩けるの?」と不思議そうな顔をしていました(苦笑)。
――紙一重のところだったんでしょうね。
黒岩だと思います。不幸中の幸いというか、運が良かったんだと思います。
――それだけの大怪我をしたら、当然、復帰戦は怖かったでしょう?
黒岩1月の京都で大怪我をして、7月の小倉で復帰。最初のレースが平場のレースということもあったんですが、また、馬に乗れる。レースができるという嬉しさが遥かに勝っていて、恐怖心はそれほど感じていなかったような気がします。
――嘘でしょう!? 記憶がいい方に改ざんされてません?
黒岩本当ですって(苦笑)。
もちろん、怖いという気持ちもあったとは思いますが、それ以上に、乗れることの嬉しさが上で、8月の小倉で挙げた復帰後初勝利より、13着に終わった復帰戦の方が嬉しかったし、記憶も鮮明です。
(構成:工藤 晋)
黒岩 悠 くろいわ・ゆう:
1983年10月24日 高知県出身
初騎乗は2002年3月2日、中京3R、キシュウミカンに騎乗(15着)。
初勝利は、02年7月14日、小倉1Rの3歳未勝利戦。パートナーは、マヤノフォーティ。
22年7月に、ホッコーメヴィウスで重賞初制覇(新潟ジャンプS)。
23年4月に、イロゴトシで、J・GI中山グランドジャンプを勝ち、24年4月13日、再び、イロゴトシをパートナーに、中山グランドジャンプを連覇した。
キャプテン渡辺:1975年10月生まれ。お笑い芸人。競馬、競輪、パチンコ、パチスロは趣味の域を超えていまや生活の一部に。特技は関節技。現在テレビ東京系列で放送中の『ウイニング競馬』にレギュラー出演中。YouTubeで競馬予想更新中。