今回は、今年新人調教師になられた小手川準 調教師・深山雅史 調教師・宮田敬介 調教師の3名にお越しいただきお話を伺いました。
新人調教師登場
キャプテン渡辺(以下、渡辺):今回は2019年度、美浦所属で新規調教師免許試験合格された三方にお越しいただきました。
小手川準調教師(以下、小手川)・深山雅史調教師(以下、深山)・宮田敬介調教師(以下、宮田):よろしくお願いします。
渡辺:まずはファンに名前を覚えてもらうためにも自己紹介からお願いします。
小手川:小手川準です。今年48歳になります。30代で若くして調教師になる人もいる中で、自分はオールドルーキーです(笑)。
渡辺:オールドだなんて、ボクも40代半ばですし、深山調教師も40歳越えてますよね。
深山:はい。今年で42歳になります。名前は深山雅史です。
渡辺:そんな40代に囲まれて、こちらは30代のバリバリの若手調教師。
宮田:いえいえ。30代前半で合格される方もいますから、バリバリではないです(笑)。名前は宮田敬介で38歳になります。
渡辺:お三方とも、それまで厩務員や調教助手をされていたのですよね。どういうきっかけで調教師になろうと思われたのですか?
小手川:ボクは厩務員の仕事をこなしながら調教助手もしていて、持ち乗りが面白い仕事だったので、いずれ調教師になりたいと思ってました。
渡辺:ちなみにトレセンに入られたのはいつ頃ですか?
小手川:27歳のときです。大学を中退して牧場で働き、JRA競馬学校に入ってそれからトレセンですね。
渡辺:せっかく大学に入学したのに中退とは...。遊びすぎたのですか?(笑)。
小手川:振り返るとそのころが人生で一番浮かれてたと思います(笑)。
渡辺:そうなんですね(笑)。
小手川:その反動が30代にきて、当時は生きるのに精一杯だったというか。40歳過ぎて周りが見えるようになり、漠然と調教師になる目標が出てきて、小桧山調教師にも背中を押していただき、試験を受けようと思いました。
競馬の世界に入るきっかけ
「調教師は小学校からの夢でした」と宮田調教師(左)
渡辺:深山調教師はどのような経緯からこの世界に入ろうと思われたのですか?
深山:競馬に最初に出会ったのは大学のときでした。最初はいち競馬ファンでしたが、競馬を知っていくうちにもっと競馬と身近なところで働きたいと思うようになったのがきっかけです。
渡辺:競馬ファンから調教師になるまでにはハードルが高そうですが、競馬関係者へのツテがあったのですか?
深山:いえ、家も競馬とはまったく無縁な環境でした。でも、本当に偶然というか親のつてのつてを辿っていったら橋口調教師にお話を伺える機会に巡り会えました。
渡辺:それはすごい。
深山:橋口調教師からは、大学を卒業するなら最終的には調教師を目指した方がいいよと言われて、それがずっとボクの頭の中にありました。いずれ調教師になるという思いを持ちながら厩舎で働いていて、調教師になることができました。
渡辺:宮田調教師はいかがですか?
宮田:ボクは親父が競馬好きだったので、子どものころから競馬場に連れていってもらってました。小学校3年生のときにオグリキャップの引退レースがあって、子どもながらに鳥肌が立つ感動を味わい、そのころから漠然と将来調教師になりたいと思ってました。
渡辺:騎手になりたいとは思わなかったのですか?
宮田:ジョッキーだと中学校卒業してすぐに親元を離れないといけないので、そこまでの覚悟は当時なかったですね。
渡辺:小学校の夢が叶った形ですね。
宮田:当時の同級生と会うと皆ビックリしますね。本当に調教師になったのかよって。小学生で競馬の話をするのは、ボクくらいしかいませんでしたから(笑)。
渡辺:あはは(笑)。
宮田:大学も馬術部がある学校を選んで受験しましたし、最初は単なる夢でしたけど、ちょっとずつちょっとずつ夢に近づいていって、試験に合格して夢を叶えることができました。
騎手に聞くキャプテン渡辺のここだけの話
- Q.試験に合格されたとき、お祝い事はされましたか?
- A.みんなで六本木に行きました。(小手川調教師・深山調教師・宮田調教師)
渡辺:六本木とはずいぶん楽しそうですね。
宮田:深山さんが一番楽しそうにしてましたよね(笑)。
深山:はい。楽しかったです(笑)。
渡辺:そういう楽しみもたまには必要ですよ。G1を勝てばもっと盛大に祝賀会開かれますよ。
小手川:そうですね。ぜひそうなれるようがんばります。