ゲスト 吉田 豊 騎手
01. 東のユタカ、初見参! メジロドーベルとパンサラッサを語る
福永祐一から武豊へと繋がったバトンを受け取るのは…パンサラッサとともに、1着賞1000万ドルという世界最高の賞金を誇るサウジCを制した吉田豊騎手。
各馬ゲートにおさまり、いよいよ、スタートだ!
名牝、メジロドーベルの背中
――みなさん、お待たせしました! レジェンド武豊騎手に続く51回目のゲストは…東のユタカ。パンサラッサとともに、世界最高の1着賞金1000万ドルを誇るサウジCを制した、吉田豊騎手の登場ですッ!! さぁ、拍手でお迎えください!!
吉田豊もう、やめてくださいよ。そういう派手なのは僕には似合わないし、苦手なんですから(苦笑)。
――いや、でも、本当におめでとうございます。
吉田豊ありがとうございます。うまくゲートを出てくれるか。初めてのダートはどうなのか……いろいろ心配もありましたが、そのすべてを跳ね返し、パンサラッサが最高の競馬をしてくれました。
――さらに突っ込んでパンサラッサのことを聞く前に、吉田豊騎手といえばやっぱり、名牝メジロドーベルです。
吉田豊デビュー3年目で、あんなすごい馬に乗せていただけたのは、ラッキー以外の何物でもないし、師匠・大久保洋吉先生には、どれだけ感謝しても、し足りないほどです。
――最近は、デビューしていきなり活躍する新人ジョッキーが出てきていますが、デビュー3年目で名馬と出会い、GⅠを5つも勝つというのは、もう、すごい! としか言いようがありません。
吉田豊“縁”とか“運命”とかいう言葉を超えた奇跡……たまたま、メジロドーベルが大久保先生の厩舎に入ってきて、自厩舎の馬、ほぼ全馬に僕を乗せてくれるという先生だった……というのがすべてです。
――21歳の若さで、名馬の背中を知るというのは、ものすごい財産ですよね。
吉田豊本当にそう思います。
最初の頃は、それまで乗せていただいた馬とは、なんか、ちょっと違うぞという感じしか持っていなかったんですけど、乗れば乗るほどドーベルの凄さがわかってきた感じで。
――そうか、そういう感じだったんですね。
吉田豊デビューから21戦、ドーベルが走ったすべてのレースに僕が乗り、獲得したGⅠタイトルは5つ――結果だけをみるとそうですが、でも、大久保先生じゃなかったら、チューリップ賞、桜花賞と続けて負けた時点で、他の騎手に乗り替わっていても不思議じゃないというか、それが普通で。それでも、先生が僕を乗せてくださったので、今の僕がある――それは間違いないです。
殻を破ったパンサラッサの強さ
――メジロドーベルの次は、パンサラッサです。吉田豊騎手がはじめてコンビを組んだのは、パンサラッサの17戦目、21年10月17日、東京競馬場を舞台にした、リステッド競走、オクトーバーSでした。
吉田豊休み明けのレースで、チャンスはあるだろうなとは思っていましたが、正直、あのときは、ここまでの馬になるとは思っていませんでした。勝つには勝ちましたが、最後はフラフラしていましたからね。よく頑張ってくれたなという感じで。
――ん!? これは……もしかして? と思ったのは?
吉田豊オクトーバーSの次、11月14日の福島記念のレースです。
――でも、福島記念でパンサラッサの手綱を取ったのは、吉田騎手じゃなくて、菱田裕二騎手でしたよね。
吉田豊そうです。僕はあのレース、小手川先生のところのヒュミドールに乗せていただいて。前半から、結構、前がガリガリやり合っていたので、我慢していれば、直線でみんな落ちてくるだろうなと思っていたんです。
――ところが、でした。
吉田豊そう、なんですよ(苦笑)。
ペース的に、先行集団にとって相当厳しく、実際、他の馬はみんな下がってきたのに、一頭だけ、パンサラッサだけは、脚色が衰えるどころか、逆に力強く伸びて、さらに差を広げられてしまって。「えっ!? 嘘だろう?」という感じだったんです。
――休み明けをひと叩きされて馬が変わっていた?
吉田豊もちろん、それもあると思いますけど、それだけじゃない、本物の片鱗……馬に身が入ったというか、一本芯が通ったような印象でした。
――そして再び、吉田騎手がパンサラッサとコンビを組んだのが、有馬記念(13着)を挟んだ、22年2月の中山記念です。
吉田豊レース当日、矢作(芳人)先生は、海外に出掛けていていませんでしたが、前もって、「強気でいって欲しい」という指示をいただいていて。プラン通りの競馬ができたと思います。
最後、後続に詰められ、2馬身半差の決着でしたが、最後まで余裕があったし、他のジョッキーも、「つかまえられる気が全然、しなかった」と言っていたので、文字通り、完勝のレースだったと思います。
――吉田騎手だけが知っている、名馬メジロドーベルの背中と比べると?
吉田豊タイプが違うので、メジロドーベルと同じ定規では測れません。でも、普通の逃げ馬じゃない。何か特別なものを持っている馬だというのは感じましたね。
歓喜の瞬間
――パンサラッサのすごさを世界に見せつけたのは、22年3月のGⅠドバイターフです。
吉田豊はじめての海外、はじめてのナイター競馬という影響があったのか、思ったほど馬が行かずに、ゆったりとした流れになってしまいましたが、最後はすごい根性を見せてくれましたね。
――ほぼ3頭同時にゴールし、結果は、パンサラッサとロードノースが1着同着で優勝を分け合うという歴史に残る大激戦となりました。
吉田豊最後は、ドキドキものでした。いま、思い出しても、勝てて嬉しいというより、勝ててホッとしたという気持ちが強かったような気がします。
――さぁ、そして、いよいよ話は、今回のインタビューの核心となる、サウジCです。レース前、ダートを心配する声があったのは耳に入っていましたか。
吉田豊パンサラッサがダートを走ったのは1回(20年12月12日師走S)だけで、結果も良くなかった(11着)のは知っていました。
でも、矢作先生も言っていたように、日本のダートとはまるで違う馬場なので、それほど心配していなかったというか、僕が心配してもしょうがないことなので、“この馬の競馬をしよう”と、それだけを考えていました。
――直線、後ろから馬が来ているのは?
吉田豊世界一の称号をかけたレースですから、すんなり行くはずがないのはわかっていたし、後ろから馬が来ているのも知っていました。
ただ、パンサラッサは、二枚腰を使うことができる馬なので、行けるはずだ、行ける、行ってくれと心の中で叫んでいました(笑)。
――ゴールした瞬間は?
吉田豊もう、最高でしたね。あの日のことは、レースも含めて、一生忘れられない、忘れることのできない、最高の1日になりました。
――もう一丁! と臨んだ3月25日のドバイワールドCは、残念な結果(10着)に終わってしまいましたが。
吉田豊15番という枠順もそうですが、海外陣営も含めて、パンサラッサをすんなり逃したらまずいぞ…という雰囲気があって。向正面でひとつ息を入れることができていれば、もう一踏ん張りできたと思うのですが、息を入れる間もなく、どんどん、後ろからせりかけられてしまって…パンサラッサにとっては厳しいレースになってしまいました。
――でも、まぁ、あれはあれ、それはそれです。気持ちを切り替えて、たっぷりと休養を取って、秋は、世界へ再チャレンジですね。
吉田豊おそらく現役は今年いっぱいだろうということで、秋のプランに関しても僕はまだ何も聞いていませんが、乗せていただけなら、もう一度、パンサラッサの走りを、世界の競馬ファンに見せつけたいというのは、当然、あります。
(構成:工藤 晋)
よしだ・ゆたか:
1975年4月19日生まれ 茨城県出身
1994年3月にデビュー。
メジロドーベルとのコンビで5冠を制覇。
西の武豊に対し、“東のユタカ”と称された。
今年、2月26日、パンサラッサに騎乗してサウジCを制覇した。
キャプテン渡辺:1975年10月生まれ。お笑い芸人。競馬、競輪、パチンコ、パチスロは趣味の域を超えていまや生活の一部に。特技は関節技。現在テレビ東京系列で放送中の『ウイニング競馬』にレギュラー出演中。YouTubeで競馬予想更新中。