ゲスト 中野 栄治 さん
01. 府中の杜にこだまする19万人のナカノ・コール――。戸惑い、驚き、そして湧き上がってきた……感動。
みんなに感動を与えた!?
いいえ、感動をもらったのは僕の方です
――ジョッキーとして、調教師として、長いホースマン人生、お疲れ様でした。
中野ありがとうございます。
――3月3日のセレモニーでは、「競馬人生に、なんの未練もない」とおっしゃっていましたが、本当のところはどうですか? 寂しいとか、もうちょっとやりたかったとか……そういうお気持ちは?
中野ない、ない!
未練も、悔いもない。スッキリしています。
――中野先生といえばやっぱり、アイネスフウジンで優勝した日本ダービー、伝説の“ナカノ・コール”です。
中野数字だけ見ると、僕より勝っているジョッキーは、いっぱいいます。でも、毎年、ダービーの時期になると、みなさんが、アイネスフウジンと僕のことを思い出し、話題にしてくれる……こんな嬉しいことはないですよね。
――騎手冥利に尽きますよね。
中野う〜〜〜〜〜ん、冥利ではないかな。
――え〜〜〜〜〜っ!? どういうことですか? 日本ダービを勝って、競馬史上はじめてとなる19万人の大コール、“ナカノ・コール”を全身に浴びて、競馬新時代の扉を開けたんですから、それは、騎手冥利以外、言いようがないんじゃないですか。
中野僕の中では、騎手冥利以上……お金では買えない、他の何にも変えられない、僕ひとりだけの宝物なんです。
――そうか……うん、そうですよね。
中野当時学生だった小島(茂之)君も、仲間と徹夜で入場門前に並んで、気がついたらみんなと一緒に僕の名前を叫んでいたと言うんですからね。
――小島先生と同じ経験をされた方が、たくさんいらっしゃると思います。それくらい、みんなが感動しました。
中野いや、感動したのは僕の方です。ジョッキーは、ファンのみなさんに喜んでいただける、感動してもらえるレースをするのが仕事ですけど、あのときは逆に、僕の方が感動をもらいましたから。僕にとっては、人生最高の宝物なんです。
落馬さえしなければ勝てる――。
強さを確信していた皐月賞で、まさかの2着
――デビュー8戦目で、ダービー馬になったアイネスフウジンですが、新馬戦、2戦目は、いずれも2着でした。
中野デビュー当時のアイネスフウジンは、自転車でいうと、後ろのタイヤは空気がパンパンなのに、前のタイヤがパンクしているような感じで。後ろ脚のパワーに前脚がついていけない状態だったから、そ〜っと乗って、そ〜っと周ってくるという感じでしたね。
――ダービーを意識するようになったのは、いつ頃ですか。
中野朝日杯3歳ステークスを完勝した後です。加藤(修甫)先生と相談しながら、日本ダービーから逆算して。もちろん、全部勝つつもりだし、勝てると言う自信もありました。
――ところが、“逃げ宣言”をしていた皐月賞は、スタート直後、斜行したホワイトストーンとぶつかったことが原因になり、最後の最後、ハクタイセイに差し切られてしまいました。
中野蛯沢(誠治)さんが乗ったフタバアサカゼにハナを取られ、アイネスフウジンも引っかかってしまって……。それでも、引っかかったまま走ればよかったんです。でも、逆に抑えてしまったもんだから、馬が変に折り合ってしまって……。
――いや、でも、馬が引っ掛かったら、普通、抑えますよね?
中野普通とか、セオリーとか、そういう固定観念に縛られちゃダメなんですよ。あの馬の武器は、スピードとスタミナ。それを生かしてやれなかったんですから、皐月賞は、間違いなく、ジョッキーのせいで負けたレースです。
――それもあって、ダービーは、何がなんでも逃げようと?
中野いや、逃げられたら逃げるし、何かアクシデントがあったら、ケツでもいいやと思っていました。
――ケツ? マジ……ですか!?
中野はい。東京の2400は、2コーナーあたりで一度、落ち着くから、そこで上がっていけばいいと。それくらいの気持ちでゲートに入りました。
――1番人気が、22歳のノリさん(横山典弘騎手)が乗ったメジロライアン。2番人気が、21歳の豊さん(武豊騎手)が乗ったハクタイセイで、アイネスフウジンは3番人気でした。
中野ノリくん、ユタカくんともうひとり、4番人気のオカくん(岡潤一郎騎手)という勢いのある若手3人対おいぼれの中野という図式で(笑)。ずいぶん、騒がれましたね。
――レースは、スタート後、早めに先頭に立ちましたが、その3人は意識していた?
中野気にしていたのは、ノリくんのメジロライアンです。切れ味勝負になったらライアンには勝てないので、道中、ライアンに脚を使わせることだけを考えて乗っていました。
ゴール手前100m
そこでハナに立っていれば勝てる!
――先頭に立ってからは、11秒1前後のラップを刻む、完璧なアイネスフウジンの競馬でした。
中野そう、なんだけどね。3コーナーの坂で、“ちょっと離しすぎたかも!?”と弱気の自分が顔を出して(苦笑)。
――そこで、息を入れた?
中野入れようとしたとき、郷原さん(郷原洋行)のカムイフジと、武くんのハクタイセイが、内の馬場の悪いところから上がって来て。その瞬間、馬がガチッとハミを噛んで、そこからまた力を出してくれたんです。あそこで弱気になって息を入れていたら、負けていたと思います。勝てたのは、あの2頭のおかげですね。
――最後、メジロライアンに1馬身1/4まで迫られましたが、焦りはなかった?
中野ゴール手前100mでハナに立っていられたら勝てると思っていたから、来ていたのはわかっていたけど、焦りはなかったですね。
――そして、あの伝説の“ナカノ・コール”です。
中野最初は何が起きたんだろうと戸惑って、次に驚きがあって、最後に、嬉しさが込み上げてきた感じでしたね。
オーナーが上から見ていたんですけど、ゴール板のところから始まって、そこから水面に石を投げたときのようにどんどん波紋が広がっていく感じだったと、顔をくしゃくしゃにしながら言っていました。――レース後、「ざまぁみろ。オレだってジョッキーだ」と、つぶやいたという話がありますが。
中野本当です、言いました。外に向かってではなく、自分自身に向かって。“お前だってできるじゃないか”と。減量に苦しんで成績が挙げられないというのは、ただの言い訳。“やれば、できるじゃないか”と、自分に対して言っていました。
――競馬ファンである僕らでも応援していた馬が日本ダービーを勝った日は、興奮してよく寝られないんですけど、ジョッキーの気持ちというのは、どういう感じなんですか。
中野ホテルで祝勝会があったんですが、顔だけ出してすぐに家に帰りました。
――お酒の好きな中野さんが、ですか?
中野いつもなら、もう帰れと言われても、2次会、3次会までずっと残って飲んでいるんだけどね(笑)。
あの日は、家に帰って、缶ビールを開けて。親父が生きていたら見せたかったなぁと思いながら、ひとりで飲んでいました。
(構成:工藤 晋)
中野 栄治 なかの・えいじ:
1953年3月31日 東京都出身
美浦・荒木静雄厩舎所属の騎手として71年にデビュー。
JRA通算3670戦370勝。重賞勝ちは、90年日本ダービーなど16勝。
95年に調教師免許を取得。JRA通算292勝。重賞勝ちは、01年高松宮記念(トロットスター)などGI2勝を含む8勝。
キャプテン渡辺:1975年10月生まれ。お笑い芸人。競馬、競輪、パチンコ、パチスロは趣味の域を超えていまや生活の一部に。特技は関節技。現在テレビ東京系列で放送中の『ウイニング競馬』にレギュラー出演中。YouTubeで競馬予想更新中。