この私が切り込み隊長となって馬主、調教師、騎手に話を伺う『キャプテン渡辺のウィナーズサークル』。
今回は、昨年暮れに阪神ジュベナイルフィリーズでラッキーライラックを優勝に導いた石橋脩騎手にお話を伺いました。
飛躍につながったきっかけ
キャプテン渡辺(以下、渡辺):今回は昨年暮れ阪神ジュベナイルフィリーズでラッキーライラックを優勝に導いた、石橋脩騎手にお越しいただきました。
石橋脩騎手(以下、石橋):あまり話すのは得意な方じゃないのですが、よろしくお願いします。
渡辺:テレビ番組や中山馬主協会サイトを通じて競馬関係者の方々にインタビューをさせていただいているのですが、石橋騎手とこうして話すのは初めてですよね。
石橋:そうですね。
渡辺:まずは昨年暮れのラッキーライラックで阪神ジュベナイルフィリーズ優勝。素直なお気持ちをお聞かせいただけますか。
石橋:嬉しかったですね。
渡辺:さらに昨年はG1勝利だけでなく、自己ベストの67勝をマークしてますよね。
石橋:はい。
渡辺:騎手リーディングでも12位にランクイン。飛躍につながる何かきっかけがあったのですか?
石橋:言葉で説明するのは難しいんですが、自分なりに感覚的にレースでの判断やすべきことなどが掴めてきた感じがしています。それが結果につながっているように思います。
渡辺:具体的に言うと、仕掛けのタイミングとか、ペース配分などでしょうか?
石橋:競馬の流れの中で常に先手をとっていくというか、ただ前に行けばいいという意味ではなくて、レース中に自分が後手に回らないように先に対処できるようになってきた感じがしています。言葉では説明しづらいのですが…。
渡辺:その感覚をつかんだレースがあったりしたのですか?
石橋:特別このレースというのではないです。それまで自分では積極的に乗っているつもりでも、調教師の先生から「積極的に乗ってくれ」と指示が出ることが多くて、その指示を受けてレースで実行していくうちに、積極的だけじゃない何かを掴めてきた感じがします。積極的に乗っていたから成績が上がってきたわけではないですね。
なぜ騎手に?
「言葉で説明しづらいですが…」と語る石橋騎手。
渡辺:騎手の方は、それこそ父親がジョッキーであったり小さいころから馬と触れる機会が多かったりして結果この世界に入る方が多いんですが、石橋騎手はなぜ騎手になろうと思ったのですか?
石橋:ボクは競馬のゲームからです。家庭環境は競馬とは無縁で、競馬のゲームをプレイして実際に競馬を観るようになり、騎手になりたいと思いました。
渡辺:それはどれくらいのときですか?
石橋:小学生の高学年のときです。競走馬で言うとサクラローレルが現役のころです。
渡辺:マヤノトップガン、マーベラスサンデーが激突したり、フサイチコンコルドがわずか3戦目でダービーを制覇したころですね。
石橋:はい。
渡辺:親は競馬を観たり馬券を買ったりされてなかったのですよね。騎手になることにご両親からは反対されなかったのですか?
石橋:中学3年生のとき競馬学校の願書を取りよせて、その時に初めて親に騎手になりたいと言ったのですが反対はなかったです。
渡辺:騎手になろうと思われた当時、憧れの騎手はいましたか?
石橋:特定の誰か、というので応援することはなかったです。騎手がカッコイイなぁと思ってレースを観ていました。
渡辺:競馬学校っていってもそう簡単には入れないですよね。
石橋:ボクの時は応募だけで受けた人は600人くらいました。そのうち受かったのは15人。
渡辺:競馬学校での生活はどうでした?
石橋:生活のリズムに慣れるまでは、厳しいというか苦しかったですね。
渡辺:どのようなことが苦しいと感じましたか?
石橋:時間が決められていることですね。決められた時間内で行動しなければならないので、体も疲れていますし、慣れるまでは大変でした。
渡辺:小学校高学年から一直線で騎手になるなんて、凄いですね。ボクなんかプロ野球選手挫折、プロレスラー挫折、そして芸人になり…ですから。
石橋:ボクには騎手しかなかったですね。