こんなわたくしでもいつか馬主になってダービー制覇したい!有馬記念を勝ちたい!ということで始まりました『キャプテン渡辺のウィナーズサークル』。
今回は厩舎におじゃまし、レイデオロでダービーを制覇された藤澤和雄調教師にお話を伺いました。
定年まであと5年なのに引っ越しですよ(笑)(藤澤)
藤澤和雄調教師(以下、藤澤):いつもならインタビューはたいがい断っているんだけど、中山馬主協会の会員さんにはこれまでお世話になっているし、キャプテンがホスト役ということだし。今回は逃げ切れなかったですよ(笑)。
キャプテン渡辺(以下、渡辺):いえいえ。なんとかゴール前でとらえることができました(笑)。今日は貴重なお話が聞けそうで、とても楽しみです。
藤澤:(イスに手を添え)まぁどうぞ。
渡辺:この厩舎で多くの名馬が育っていったんですね。歴史の重みを感じます。
藤澤:近いうちにここを引っ越しするんですよ。いま使っているこの厩舎は、40年以上前に茨城国体のときに馬術競技で使われた厩舎でだいぶ古いんです。調教師になったときに競馬会から「いつか新しくしてあげるからここを使え」と言われてね。当時はオグリキャップのブームもあったし売上も右上がりだったから、「いつ新しくなるのかなぁ」って待っていたら今度は売上がこう(右下がり)でしょ。それが最近ようやくまた上がってきて。いまトレセン内に新しい厩舎が建てているんですが「そっちに優先して引っ越していいよ」となった。
渡辺:でももうすぐ定年ですよね。
藤澤:そう。定年まであと5年なのにだよ(笑)。せめてもう少し早くたのむよ(笑)。
レイデオロは子どものときから
走るのが大好きな馬でした(藤澤)
その翌週にはレイデオロでダービー制覇した藤澤調教師。
同一年での両G1制覇は5人目の快挙。
渡辺:あらためてレイデオロでのダービー制覇おめでとうございます。まずはお気持ちからお聞かせいただけますか?
藤澤:調教助手として働いていた時に、シンボリルドルフやカツトップエースでダービー制覇は経験していたんですが、厩舎を開業してからは初めてでしたからね。獲れてよかったですよ。
渡辺:ゼンノロブロイやシンボリクリスエス、ペルーサなどダービー馬を期待されながらもあと一歩届かずでした。悲願中の悲願といいますか、ようやくといいますか...。
藤澤:いや、そうでもないですよ。それまで私が預かっていた馬でダービー馬としてふさわしいと思ったのは何頭かいましたけど、いずれも本格化したのは古馬になってからでしたし。
渡辺:レイデオロはこれまでダービー制覇を期待された馬とは、また違いましたか?
藤澤:レイデオロのおばあちゃんのレディブロンドを知っていますからね。彼女の現役時代にうちで預かっていましたし、彼女はディープインパクトのお姉さんで、デビューまで時間がかかった馬でね。
渡辺:たしか5歳夏デビューで、初戦が1000万条件。しかも優勝。衝撃でした。
藤澤:あれはね、500万条件を除外されて、仕方なくフルゲートになっていないレースを選んでデビューさせたんですよ。そしたら1着になった。それから5連勝してスプリンターズステークスでしょ。そのあと彼女は現役を引退するんですが、リース馬として日本に来たから本来であれば引退後はアイルランドに帰る予定だったんです。ところがノーザンファーム代表の吉田勝己オーナーが彼女に魅力を感じたのか、買い取って日本に残ることになった。
渡辺:もしレディブロンドが帰国していたら、レイデオロは産まれてなかったわけですよね。何か運命のようなものを感じます。
藤澤:レイデオロの母のラドラーダが産まれたと聞いて、「あれ? 向こうに帰ってなかったんだ」と思ってラドラーダも預かった。そのラドラーダからレイデオロが産まれ、レイデオロは牧場にいたときから期待していましたよ。
渡辺:早くから走りそうな感じだったのですか?
藤澤:それはもう。子どものときから走るのが大好きな馬でしたよ。これはいいじゃないかと思った。でも牧場で走るのと、競馬で走るのとは違うので、走るのを嫌いにさせないよう気をつけましたね。
渡辺:レイデオロは大好きな走りを極めて3歳頂点に立ったわけですから、人馬ともに喜びもひとしおですね。