ゲスト 武 豊 騎手
01. ジョッキーに必要な資質――。1番は向上心で、その次は、我慢強さです。
さぁ、どうするキャプテン!? どうなる、キャプテン?
4400勝の道のり
中山馬主協会今日は、リモートでのインタビューになりますが、よろしくお願いいたします。
武豊こちらこそ、よろしくお願いします。
でも…僕は大丈夫だけど…キャプテンはゲート入りが遅れているみたいだけど(笑)。
――えっ…あの…大丈夫…今、ゲートに…入りました。ふぅ…。
武豊本当に大丈夫?
――たぶん、おそらく…ですけど(苦笑)
武豊もしかして、一緒に、『ウイニング競馬』の取材もしちゃおうとか考えているんじゃ?
――ははははは。それはないです。今日は、中山馬主協会のお仕事なので、いつもより、深いお話をお伺いできればと思っているのでよろしくお願いします。
中山馬主協会では、スタートです!
――豊サンにはいろいろと訊きたいことがあり過ぎて困っちゃうんですが、やっぱり最初は――JRA通算4400勝達成、おめでとうございます! ですよね。
武豊普段はまったく意識していないんですけど、騎手になったとき、“1000勝ジョッキーになれたらいいなぁ”とか、ぼんやりと考えていたことを思うと、すごい数字なのかなぁとは思いますね。
――まだ現役バリバリだからピンとこない?
武豊それもありますよね、きっと。
いつか…まだ僕にとって遠い未来ですけど、いつか騎手をやめるときに思うことはたくさんあるような気はします。
――4400勝への第一歩、最初の1勝のことは覚えていますか。
武豊もちろん、覚えています。特にこの時期、新人ジョッキーが入って来る時期になると、自分のことを思い出します。
どんな展開で、自分がどこに位置して、どこからスパートしたか…そういうことも全部含めて、ほぼ完璧に覚えています。勝ったレースは、どの1勝も同じように嬉しいんですけど、最初の1は……そこから、2、3、4…と続き、4400に繋がったんだと思うと、大きな1勝ですね。
――そして、1468勝目が、スペシャルウィークの日本ダービーです。あのときの豊サンは、本当に嬉しそうでした。
武豊それは嬉しいですよ。
子供の頃から騎手になりたかったし、ダービーを勝って、“ダービージョッキー”になるのが大きな夢でしたからね。アドマイヤベガ(99年)のときも、タニノギムレット(02年)のときも、ディープインパクトで挙げた勝利(05年)も、キズナ(13年)と共に勝ち取った勝利も、昨年のドウデュースでの勝利も、同じだけ、嬉しかったです。
コースから見上げたスタンド
――その豊サンでもデビュー戦は勝てなかったんですよね。
武豊パートナーのアグネスディクターは、師匠の武田作十郎先生が、僕のために出走を1週待ってくれた馬で、馬体もピカピカに光っていて、最高の仕上がりだったんですけどね。4コーナーで動いたときに、後ろから、“あっ”という声が聞こえてきて、振り返ると南井さんが落馬していたんです。
――デビュー戦で、まさかの進路妨害?
武豊みんな、そう思いますよね。僕も、「デビュー戦からやっちゃった……」と思ってしまって(苦笑)。思った瞬間、外にちょっとだけ膨れて、追うタイミングがワンテンポ遅れてしまい、結果2着…レース後、南井さんの落馬は、僕とは全然、関係ないということがわかったんですけど、すべては後の祭りでした(笑)。
――初騎乗と初勝利、豊サンの心により大きく残っているのは、どっちでしょう。
武豊どっちも、です(笑)。
ただ、感慨深いという意味では初騎乗ですね。阪神のダートコースだったんですけど、本馬場入場でコースからスタンドを見上げた景色が、それまで見ていたのとは真逆で。
「あ〜、本当にジョッキーになれたんだなぁ」
と実感できた瞬間でしたから。
――お父さんは、“ターフの魔術師”武邦彦。師匠は、武田作十郎先生、兄弟子に河内洋さんがいるというある意味、最高の環境ですから、最初から、“結構、いけるんじゃない!?”という自信もあったんじゃないですか。
武豊自信ですか? それはなかったですね。
環境として恵まれていたし、“やれるんじゃないかな”という甘い考えもあったと思うんですけど、まったく根拠のない、“やれるかも”でしたからね。それだけで勝てるほど、競馬は甘い世界じゃなかったです。
――でも、1年目で新人最多勝記録を塗り替える69勝。天狗になってもおかしくないと思うんですけど。
武豊なるほど、周りはそういうイメージで見ているんですね。
――えっ!? そうじゃないんですか?
武豊デビューしてすぐは、なかなか勝てなくて。勝ち星が増えたのは夏の小倉くらいです。小倉で勝ち出してからも、騎手という仕事に追われて、“いけるかも!?”とか思う余裕は、まるでなかったですから。
――ということは、天狗になったのは、デビュー4年目、オグリキャプとコンビを組んだ頃ですか?
武豊どうしても、僕を天狗にしたいみたいですけど(笑)。でも、残念ながら、そういう感覚はなかったですね。
父親が調教師としてすぐ側にいましたし、武田先生は厳しい方でしたし、兄弟子の河内さんもいましたし…生意気になれるようなポジションではなかったですから。常に誰かに見張られているような感じで。当時は思いませんでしたけど、今、振り返ると、恵まれた環境の中にいたと思います。
いい騎手とは?
――豊サンがデビューした頃と今とでは、競馬そのものが大きく変わってきていますが、今現在の豊サンの目に、若いジョッキーはどう映っているんですか。
武豊騎乗技術…フィジカルだけを見たら、間違いなく僕らの頃よりアップしています。当時の僕の映像と、今の新人の映像を比べて見ていただけると一目瞭然で、今の子たちの方が断然上手いですから。
――豊サンの目から見ても、そうなんですね。
武豊日本の競馬のレベルが、当時とは比べものにならないくらいアップしているんだからそれは当たり前で。例えば、ジョッキーのトレーニングに関して、昔は、馬に乗るのがトレーニングというのが普通でしたが、今、そう思っているジョッキーは誰一人いないですからね。
体幹トレーニングも含めて、馬に乗っているだけでは鍛えることのできない部分を強化するために、みんな努力していますから、レベルは上がって当然なんです。ただ…。
――ただ?
武豊若手がレベルアップしている分だけ、いや、それ以上に、ベテランもレベルアップしていますから、若手の騎乗技術が上がっているからすぐにレースで勝てるかといえば、そうじゃない。そこが難しいところです。
――騎乗技術プラスアルファーが求められる?
武豊馬のちょっとしたことに気づいてあげられるか。馬がどう感じているか感じ取ることができるか……そういう、気づいたり、感じたり、ひらめいたりという部分に優れた騎手が、いい騎手と呼ばれるんだと思います。
――そのために必要な資質をひとつ、挙げるとしたら?
武豊う〜〜〜〜〜ん、難しいですね。
でも、ひとつ挙げるとすれば、“向上心”だと思います。 それが一番ですね。――センスじゃなくて?
武豊センスだけで勝てるわけではないですから。一番は向上心だと思います。世界でもトップクラスの外国人ジョッキーが、言葉も文化も違う日本になぜわざわざやって来るのか。当然、賞金の高さはありますけど、でも、それだけじゃない。その奥には、もっと上手くなりたいという向上心があるからだと僕は思っています。
――豊サンがいうと、すごくリアリティがあります。
武豊僕も同じ気持ちで海外に行きましたからね。だから、一番は向上心で、その次が…我慢強さかな。
――我慢強さ…ですか。それもまた意外な言葉です。
武豊ジョッキーの仕事というのは、やっていることは目に見えないことの方が多いのに、結果だけはその逆で、誰の目にも明らかになってしまう。それを突きつけられる仕事なので、いいときはいいけど、ときには、シンドいときも、凹むときも、落ち込むこともたくさんあって。そういうのに耐えられる強さがないと難しいのかなと思います。
(構成:工藤 晋)
たけ・ゆたか:
1969年3月15日生まれ 京都府出身
父は“ターフの魔術師”と称された武邦彦。
1967年にデビューし、69勝を挙げ自身最多勝記録を更新。
日本ダービー6度の制覇をはじめ、数々の記録を打ち立て、
“日本競馬界の至宝”“日本競馬界のレジェンド”と称される。
キャプテン渡辺:1975年10月生まれ。お笑い芸人。競馬、競輪、パチンコ、パチスロは趣味の域を超えていまや生活の一部に。特技は関節技。現在テレビ東京系列で放送中の『ウイニング競馬』にレギュラー出演中。YouTubeで競馬予想更新中。