一般社団法人中山馬主協会は昭和25年3月の創立以来、60年以上の歴史を数えます。現在の会員数は520名(令和6年11月現在)と最大規模の馬主協会となっております。
当協会は中央競馬に競走馬を出走させているオーナーが会員となり、相互の親睦・研修会の実施や情報提供を行い、また千葉県下の社会福祉事業への助成や様々な地域貢献活動を行っております。
中山馬主協会史
戦後、競馬復興にかけた先達者の情熱や、競馬ブームに沸きたった時代など、時代の移り変わりとともに歩んだ当協会の歴史を振り返ります。
明治40年
7月 | 総武競馬会が社団法人として認可され、発足。会長河野広中氏。 |
9月 | 第1回開催は4日間で競走回数40回、出走頭数は91頭。 |
10月 | 総武牧場株式会社と合併。 |
明治41年
3月 | 全国公認競馬倶楽部聯合会の設立。(大正10年に社団法人競馬協会と改称) |
10月 | 秋季3日間競馬の終了後に馬券金禁止令出る。 |
明治42年
1月 | 各競馬倶楽部連名で馬券法許の請願書を提出。 ※総武競馬会はこの年開催せず。全倶楽部統合の動きの中で単独経営を図る。 |
明治43年
6月 |
定款を改正し「社団法人松戸競馬倶楽部」と名称変更して認可が下る。設備補助金により競馬場施設を総武牧場株式会社から買収して新発足。 |
大正4年
4月 | 3月10日に千葉県知事の許可を得て春季から余興(景品)競馬の開催始まる。 |
大正8年
10月 | 陸軍工兵学校に接収され葛飾郡葛飾村古作210番地へ移転。(現在地の南側駐車場付近) |
大正9年
大正12年
4月 | 春季3日間競馬で以後は開催不能となる。 |
9月 | 関東大震災で被害甚大。 |
昭和2年
昭和3年
1月 | 春季競馬を4日間開催。(中断してから4年9カ月ぶりの再開で盛況) |
昭和5年
昭和9年
昭和11年
昭和12年
6月 | 中山競馬倶楽部を解散。日本競馬会へ継承。 |
7月 | 中山競馬振興会を設立。 |
昭和18年
昭和19年
昭和20年
昭和21年
9月 | 日本競馬会中山競馬場の復活=須田立場長着任。調教師騎手会と共催で開場式を施行。 |
10月 | 社団法人関東競馬振興会が認可発足。(中山支部長・中村勝五郎氏) |
昭和22年
3月 | 戦後第1回の8日間開催は盛況。 |
7月 | 東日本競馬振興会に改称し認可。 |
昭和24年
4月 | 東日本競馬振興会中山支部の離脱。組織再編成のため設立発起人会を開く。(出席者14名)設立総会を開催(下総若草牧場)名称を社団法人中山馬主協会とし発足を決議。定款を改正し、初代会長に中村勝五郎氏、常務理事に加野庄吾氏を選出。 |
5月 | 会員23名の承諾書を添え県庁経由で主務省に認可申請を提出(23名の承諾書) |
11月 | 主務省から「許可保留の理由書」が届く。 |
昭和25年
2月 | 定款の一部を改正し、書類を整えて再申請。 |
3月 | 社団法人中山馬主協会が農林省指令25畜第1215号をもって認可された。第1回定時総会を競馬場2階会議室で開催(会員88名) |
6月 | 臨時総会を開き、国有財産である千葉県印旛郡富里村十倉に所在する「両国育成所」を本協会に売払い下げ申請を決議。 |
昭和26年
4月 | 定時総会で定款を改正。入会者の増加と対外的な問題処理のため理事3名、監事2名を増員。国営競馬実施規則の改正で法人の馬主登録が認められた。 |
7月 | 他の馬主協会と協調して全日本馬主協会連合会を設立。競馬民営化を目指し「民営対策委員会」を発足させた。 |
昭和27年
5月 | 理事の任期3年を就任後3回目の定時総会まで、監事の2年は就任後2回目の定時総会までに変更。 |
6月 | 農林大臣の諮問機関に「競馬制度審議委員会」が設置され、本会から中村勝五郎氏が委嘱される。 |
昭和28年
5月 | 定款にある「競走馬の繁養を奨励」に基づき東京馬主協会と共同購買でサラブレッド系、アラブ系、米国産サラブレッド系の2歳馬26頭(牡3、牝23)を輸入し、抽選で配布。 |
昭和29年
6月 | 初代会長の中村勝五郎氏が逝去(享年63歳)葬儀に参列する人が街道にあふれた。 |
7月 | 川口鷲太郎氏が2代目会長に就任。副会長制度を設け中村正行氏を選出。 |
9月 | 農林大臣の諮問機関として運営審議会が設置され第1回開催。本会の川口鷲太郎氏も委員に。
中央競馬の発足ー競馬の近代化がスタート |
昭和30年
4月 | 提示総会で理事3名の補充と監事を改選。 |
11月 | 馬見所の補強工事が6月の2、3号に次ぎ4号も完了。 |
12月 | 装鞍所の新築工事竣工。 |
昭和31年
4月 | 定時総会で定款の変更。理事13名に増員。任期の3年を監事と同じ2年に短縮。顧問制度を新設。新スタンドの起工式。 |
9月 | 競走馬慰霊祭を競馬会、関東各馬主協会、調教師会の共催で挙行。川口鷲太郎会長の逝去により中村勝五郎氏が3代目会長に就任。 |
昭和32年
9月 | 新スタンドにふさわしい会員徽章に改定。 |
12月 | 中山グランプリが有馬記念と改称され、西博副会長のハクチカラ優勝。 |
昭和33年
1月 | 中央競馬馬主相互会の設立。 |
6月 | 関東在住調教師代表の尾形藤吉調教師から馬手給与増額改定で要望があり、中労委の斡旋案により預託料増額1,500円のうち馬主が1,000円を負担することで決着。翌9日、中村会長は尾形調教師に回答文を発送。 |
昭和34年
2月 | 渡米中のハクチカラが第24回ワシントン・バースデー・ハンデキャップ競走に優勝。 |
6月 | 全日本馬主協会連合会と日本中央競馬会の間で、売上予算の6%をその年の奨金予算(現在の競走事業費)とする旨申し合わせた。 |
10月 | 樫山純三会員のオンワードゼアが米国遠征のため横浜港を出港。 |
12月 | 馬手組合の要求で年末手当として馬主は3,000円を負担することになる。設立時から厩舎関係者との親睦に努めてきた本会は「お歳暮」の形で調教師を通じて贈与。 |
昭和35年
2月 | 1月に全馬労が24時間ストに突入。事態収拾のため中労委の要請で本会は糸川三男、山之内軍二両常務理事に全てを委嘱。2月27日に争議解決ウッド式発馬機の使用を検討。 |
10月 | ウッド式発馬機事故審査委員会が設置された。 |
12月 | 東京馬主協会から「中央競馬馬主協会連合会」設立の提案があり、本会もその趣旨に同意。 |
昭和36年
1月 | 新設アメリカジョッキークラブカップ競走でオンワードベルが優勝。ニューヨーク・ジョッキークラブ事務総長マーシャル・キャシディ氏本会員の樫山純三氏に優勝杯が贈られた。 |
3月 | 全日本馬主協会連合会を再編成して名称を改め、中央競馬馬主協会連合会を設立(会長・鈴江繁一氏)本会会長中村勝五郎氏が副会長理事に。 |
11月 | 連合会、競馬会、調教師会の3者による厩舎制度改善協議会が第1回会議を開催。本会は中村会長以下5名が連合会役員の資格で参画。 |
12月 | 連合会は海外の競走事情視察を行い、本会は糸川常務理事が豪州に出発。 |
昭和37年
5月 | 騎手の給与改善要求に対して連合会、調教師、騎手の3者間で協議。平均月額1万5,000円に5,000円増額することで解決。 |
11月 | 中山競馬場の装鞍所で特別セリ(デラックス・セール)を施行。65頭の出場で最高価格は590万円、平均237万円強とまずまずの成績を収めた。 |
昭和38年
2月 | 中央競馬馬主協会連合会では競走馬課税に関する陳情書を農林省及び国会関係に配布。枠制連勝複式による投票方式の実施について、連合会は緊急理事会を招集。売上が著しく低下した場合の省令改正、38年度賞金は37年秋季の賞金水準を維持する条件付きで了承。翌13日に農林大臣へ要望書を提出。 |
4月 | 山之内軍二常務理事が連合会の代表として第3回アジア競馬会議に参加。副会長が西博氏から小川乕三氏に交代。 |
昭和39年
3月 | ライデンの調教中の事故と馬場の悪化、3月14日のハヤトオー注射事件に関し競馬会と協議。 |
10月 | 東京オリンピック開催を記念し、会員相互の親睦と国際親善のため、外国馬術選手を中山競馬場に招待した。 |
昭和40年
1月 | 中央競馬と地方競馬で馬主相互の調和を保つため初めての懇談会を設けた。後の「十日会」。 |
3月 | 施設改善の要望が実って馬券発売所が増設され、2階中央には13の「婦人専用窓口」が初めて設けられた。自働タイム計測装置も正式採用。 |
9月 | 9月13日に発生した騎手不正事件を重くみて緊急役員会を招集。競馬の公正確保を期して馬主も襟を正し、入会申込者の身元調査の徹底を図る。 |
10月 | 緊急役員会で9月末に集団発生した伝貧の防疫対策と経過を確認。岩佐厩舎の火災(10月5日)で火災報知機の設置や馬房改造を要望。引き続き野平・矢野両調教師の渡米壮行会、高橋英夫騎手の900勝祝賀会を催す。 |
昭和41年
3月 | 日本中央競馬会は施行規程を一部改正し馬主登録審査委員会を設置。 |
4月 | 会員記章の更新、中山大障害の参加騎手に記念品の贈呈を決定。 |
7月 | 日本中央競馬会の石坂理事長宛に要望書を提出。主な3項目のうち
(1)ファン利用の駐車場4,500台収容を7,000台程まで拡張
(2)観覧席その他施設の改善
について中村会長へ回答あり。11月にスタンドA棟の改造が完工。 |
昭和42年
4月 | 春闘の処理をめぐって連合会の内部に不協和音が生じ構成を改革。常務理事制度から民主的な委員会制度へ。本会がその主導的な役割を果たした。中村勝五郎氏が連合会会長に就任。小川乕三氏が本会の4代目会長となる。(同月24日) |
6月 | 企画、連絡、競走馬資源、労務の各委員会で会合が集中。とくに、競走馬の激増で厩舎不足が深刻化し、白井分場に4棟の新設が決定。 |
11月 | 和田共弘理事の愛馬スピードシンボリがワシントンD.C.インターナショナル競走で5着。 |
12月 | 馬主席の不足、慈善団体への寄付、興奮剤事件による薬物投与に関する施行規程の改正案について役員会で審議。賞金の源泉徴収は、大蔵省主税局との度重なる交渉で翌43年からの実施となる。 |
昭和43年
4月 | 役員改選で山之内軍二氏が副会長に就任。 |
7月 | 中山競馬場白井分場に建立した馬魂碑の除幕式と法要を施行。本会が率先提唱してきた社会事業寄付金の制度が「馬主協会特別賞」の名目で新設された。競走費の枠内でダービーなど18重賞競走を対象にこの年1,550万円とわずかな金額だったが、翌年に中央競馬社会福祉財団設立のきっかけとなる。本会は地元市川市、船橋市に特別会計から200万円宛を寄付した。 |
9月 | 小川乕三会長が運営審議会の委員となる。 |
昭和44年
3月 | 東京で開催された第8回アジア競馬会議に本会から小川乕三会長はじめ5名が参加。 |
4月 | 連合会役員に樫山純三理事、中央競馬馬主相互会役員に河野魁理事を選出。 |
7月 | 和田共弘氏理事のスピードシンボリが英国キングジョージⅥ&クイーンエリザベスS競走に日本馬として初挑戦し9頭立ての5着に。 |
10月 | 翌45年が本会の設立20周年にあたり、役員会では会員に記念品「シリコン柱時計」の贈呈を決定。財団法人中央競馬社会福祉財団の設立認可。 |
昭和45年
4月 | 定時総会の開催は創設時から定款で毎年2月のままになっていたが、総会で4月に変更。入会金の値上げも決定。 |
12月 | 前年のバスター出走妨害事件に関して、競馬会は一切の名義貸しを認めない方針を明示。6回中山8日目に有馬記念を2連覇したスピードシンボリの引退式が行われた。 |
昭和46年
4月 | 役員会は繰越金の中から会員に還元する意味で、日本中央競馬会発行『サラブレッド種牡馬名鑑』配布を決める。 |
12月 | 有馬記念当日に有力馬が異常な発熱で出走取消となり、これを発端に中山・東京両競馬場で馬の流行性感冒「マイアミA2型」が集団発生。競馬史上に類を見ない被害をもたらした。12月23日に緊急役員会を招集して対策を協議したが、以後の見通しも立たない有様だった。 |
昭和47年
1月 | 猛威をふるった馬のインフルエンザもこの日から新たな発症はなくなった。本会は2月3日に調教師会、調教助手会、騎手クラブ中山支部、厩務員組合、開業医、装蹄師会、診療所、中山競馬場に対し寸志として見舞金を贈りその労をねぎらった(罹患馬1,772頭) |
6月 | 多数会員の声を聞くため、箱根で懇談会を開催(参加58名) |
9月 | 東日本馬主協会連絡協議会の設立総会を開催し、その下部組織として各単協に馬房問題苦情処理委員会と馬場管理委員会を設置。本会の山之内軍二氏が両会の委員長を兼任。 |
12月 | 本会会員の収支明細書による統計では、いわゆる「黒字馬主」は3年前から47%、36%と下降線をたどり、この年はわずか28%にすぎなかった。 |
昭和48年
10月 | 東京競馬場で行われた初の地方競馬招待競走(地方馬6頭)で本会会員・碓氷勝三氏の愛馬ユウシオが優勝。 |
12月 | 中央競馬馬主相互会の主催で「物故馬の慰霊祭」を日本中央競馬会本部で施行。 |
昭和49年
7月 | 競馬運営審議会で競馬会が提示した競走予算で「6%枠」を無視された馬主側が反発。連合会は競馬民主化委員会を結成して対抗したが、競走費4.36%に圧縮された。 |
12月 | 名馬ハクチカラ、ハクショウなどのオーナーで、本会の役員として尽力された西博氏が逝去。
馬主経済向上への努力-6%協約をめぐる綱引き |
昭和50年
3月 | 新設された出走奨励金を進上金の対象とするには他単協の反対もあったが、本会はサークル一体化を重視し単独で進上金「特別会費」扱いを決議。 |
5月 | 47年に設置した馬房問題苦情処理委員会を継承し「労務委員会」として再編。12月に賞品委員会も新設した。 |
昭和51年
4月 | 会員の増加に伴い、定時総会で定款を変更。理事を13人から15人に、常務理事を2人以下から5人以下に。山之内軍二氏の死去により、副会長には樫山純三氏が就任。 |
昭和52年
1月 | 小川乕三氏が同月21日に連合会会長に就任。役員会の互選で樫山純三氏が5代目会長に。 |
5月 | 春闘で調教師会が馬主会の合意なく厩務員のベアを決めたため、緊急役員会を招集。進上金を含む賞金等の全額銀行振込みを決議。7月に調教師会から和解の申し入れと確約書が提出され決着。 |
8月 | 競馬会から公式な相談がなく美浦トレセンへの移転準備が進められたため、輸送に伴う交通事情などを憂慮。東京馬主協会と「美浦対策委員会」を設置して7回の協議を重ねた。 |
昭和53年
2月 | 美浦トレセンの移転問題で緊急臨時総会を開催。馬の移動禁止、出馬投票の拒否など合法的な対抗措置をとる決議文を満場一致で採択。 |
3月 | 競走馬移動禁止仮処分申請を東京地方裁判所民事第9部に提訴。その後の話し合いで日本中央競馬会と和解が成立し、7条項を盛り込んだ和解の文書を交換した。 |
昭和54年
4月 | 創立30周年を記念して会員に緑彩花瓶(藤田喬平作)関係各位にセイコークォーツ置時計を贈る。連合会、競馬会、調教師会による「預託料問題に関する懇談会」を設置。厩舎制度全般の在り方を見つめ直すため第1分科会、第2分科会で役割分担。本会の和泉信一常務理事が両分科会で馬主サイドの委員長を務めた。 |
昭和55年
4月 | 連合会会長として長年尽力された本会の元会長・小川乕三氏が心不全で急逝。9日に市川市若宮の自宅で密葬、同月24日に東京都文京区の護国寺で本会会員はじめ関係者多数が参列し小川運輸株式会社の社葬が行われた。役員改選により、会長は樫山純三氏に代わって菅浦一氏が就任。副会長に河野魁氏が選出された。6月12日に中村勝五郎氏は名誉顧問理事、樫山純三氏は名誉会長理事となる。 |
5月 | 東日本馬主協会連絡協議会(昭和47年に発足)は休眠状態だったが、問題山積の折から会則を改め機構を強化することになった。 |
昭和56年
10月 | 愛馬とのふれ合いと会員相互の親睦を兼ねて美浦トレーニング・センター見学会を挙行。以後は毎年恒例の行事となる。5月所有馬の輸送事故で会員からの陳情を受け、輸送会社及び競馬会と折衝し善後策を講じた。競走馬自働車輸送における損害賠償約款の改定、見舞金制度などを見直す一つのきっかけになる。 |
昭和57年
4月 | 親睦委員会を設置。 |
5月 | に美浦トレセン見学会、秋は11月11日に熱海で親睦会を挙行。 |
6月 | 預託料問題に関する懇談会が3年の歳月を費やし一応の結論を得た。その内容を調教師に周知徹底した上で58年度から実施することになった。 |
昭和58年
12月 | この年後半に燕麦、寝ワラの価格が大幅値下がりしたため、預託料対策委員会は調教師会と折衝。12月分から基本預託料引き下げを実施。 |
昭和59年
2月 | 東日本馬主協会連絡協議会の会則を改正、機構の強化を図った。事務局は本会が担当(委員6名)菅浦一本会会長が議長となる。協議会は預託料のチェック機関として預託料調整委員会を新設。 |
11月 | 和田共弘会員の愛馬シンボリルドルフが史上初の無敗3冠馬となる。12月23日の有馬記念も優勝。 |
昭和60年
11月 | 東日本馬主協会連絡協議会の預託料調整委員会が中山競馬場内に事務所を開設。 |
12月 | クリスタルコーナーの新設、大型映像ディスプレイ装置の運用開始を記念して、競馬場が本会を招待。会員多数が新スタンドで楽しく観戦した。和田共弘会員のシンボリルドルフは春の天皇賞、ジャパンカップに次ぎ有馬記念も連覇して7冠馬となる。また、シリウスシンボリはヨーロッパを転戦して後進に貴重な経験をもたらした。 |
昭和61年
6月 | 前会長の樫山純三氏が逝去。 |
10月 | 親睦委員会で初の海外研修旅行を企画。香港競馬視察に67名が参加。 |
昭和62年
11月 | 翌年のスタンド改築工事中に馬場の徹底した補修管理を実施するため、馬場委員会は競馬場(馬場造園課)と綿密な打ち合わせを行った。 |
昭和63年
9月 | オーストラリアで開かれた第20回アジア競馬会議に連合会を通じて、本会から菅会長をはじめ和泉・新井・福岡各常務理事、田中理事の5名が参加。 |
平成元年
7月 | 東日本馬主協会連絡協議会が名称を「東日本馬主協議会」と変更。4月に中山競馬場事務所内から事務局を都内に移し、10月には美浦トレセン内に事務所を新設して機能の充実を図った。 |
9月 | 本会の創設40周年にあたり、中山競馬場で会員・家族同伴合わせて250名、関係招待者116名が集い盛大に記念祝賀を挙行。 |
11月 | シンガポールのブキティマ競馬場の視察を実施。 |
平成2年
4月 | 定時総会で定款を改め、理事を18人以下、監事も3人以下に増員。副会長1人を2人以下とした。 |
7月 | 札幌競馬の芝コースが日本初の洋芝竣工。(6月)視察観戦を兼ねての親睦会に80名が参加。 |
平成3年
9月 | 入会希望の増加傾向から、会員相互の和を大切にするため、入会手続きの方法を見直し新たに入会審査委員会を設置。 |
10月 | タイのバンコク競馬場の視察を実施。 |
11月 | 馬場委員会と競馬場で検討を進めてきた1,300㍍のコースは、競走距離体系の関係で白紙に。 |
平成4年
4月 | 役員改選により、副会長に和泉信一氏が選出され河野魁氏と2人制に。常務理事では毛利喜昭氏が新任。中村勝五郎氏が名誉会長、平井義一氏は名誉顧問に推された。この年会員へのサービスとして、有限会社競馬通信社の協力で血統・配合に関する資料を提供。事務所設置のパソコンを活用し、中山開催で本会会員の所有馬が優勝した際には5代血統表を無料で送付。労務委員会を「苦情処理委員会」と改称。
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平成5年
4月 | 菅会長が中央競馬馬主協会連合会の会長に就任。河野魁氏が本会の7代会長に就任。 |
6月 | 名誉会長の中村勝五郎氏(3代会長)が逝去。連合会会長、運営審議会委員など多方面にわたる長年の尽力により、7月12日に中山競馬場で関係8団体の合同葬が執り行われた。 |
9月 | 「会報」発行の気運が高まり広報委員会を設置。最初の会合を開く。 |
11月 | アメリカのサンタアニタ競馬場の視察を実施。 |
平成6年
4月 | 財団法人中央競馬社会福祉財団が「財団法人中央競馬馬主社会福祉財団」に名称変更。スピードシンボリ、シンボリルドルフ(7冠馬)のオーナーで本会理事として長年尽力された和田共弘氏が逝去。 |
10月 | 香港のシャンティ競馬場及びマカオのマカオ競馬場の視察を実施。 |
平成7年
1月 | 阪神・淡路大震災が発生。被災された西日本馬主協議会所属馬主に対し東日本馬主協議会を窓口に義援金2000万円、本会は500万円を分担拠出。 |
2月 | 競馬学校卒業式にラジオを贈呈。 |
4月 | 定款の一部変更。定時総会を2月開催とし、役員20名、常務理事6名に増員。 |
10月 | オーストラリアのコーフィールド競馬場及びワーリックファーム競馬場の視察を実施。 |
平成8年
7月 | 創立50周年記念事業に向けて第1回準備委員会を開催。16日にかけて本会事務所を改装。 |
8月 | 初の顔写真入りの会員名簿完成。 |
9月 | カナダのウッドバイン競馬場及びフォートエリー競馬場の視察を実施。 |
平成9年
9月 | 日本馬主協会連合会は学術・医療・国際親善への貢献を目的に、世界平和研究所、慶応大学及び千葉大学医学部、京都映画祭実行委員会などに総額8000万円を助成。馬主研修会で美浦トレセン馬場造園課長を招いて「森林馬道」の施設概要や効果について研修。 |
10月 | ニュージーランドのエラズリー競馬場の視察を実施。 |
平成10年
2月 | 和泉信一氏が8代会長に就任。 |
5月 | 恒例の美浦トレセン見学会は本会創立50年で参加者79名。懇親会は関係者合わせて264名が盛大に祝う。 |
9月 | ドイツのバーデンバーデン競馬場及びフランスのロンシャン競馬場の視察を実施。 |
10月 | 会員研修会(中山競馬場事務所2階の大会議室)社団法人中山馬主協会の創立50年記念式典を挙行(会員・同伴・来賓合わせて680名) |
平成11年
11月 | 川口隆三副会長が勲五等双光旭日賞を受賞された。 京都競馬場の視察を実施。 |
平成12年
4月 | 馬主席の喫煙マナー向上のため、中山競馬場に対して喫煙室設置を要望。 |
6月 | 大井競馬場を視察し、ナイター競馬を観戦。 |
7月 | フランスのシャンティ競馬場及びイギリスのサンダウンパーク競馬場の視察を実施。 |
10月 | 競走馬の共有について会員へアンケート調査を実施。 |
平成13年
6月 | アメリカのハリウッドパーク競馬場及びベイメドウ競馬場の視察を実施。 |
7月 | リニューアルされた新潟競馬場を視察し、日本初の直線レースを観戦。 新潟競馬場の視察を実施。 |
平成14年
4月 | 預託料が自由化となり、馬主と調教師が直接交渉することとなる。 |
6月 | デンマークのコペンハーゲン競馬場の視察を実施。 |
9月 | 阪神競馬場の視察を実施。 |
平成15年
2月 | 会報第19号を創立55周年記念号として増版。 |
3月 | 中京競馬場の視察を実施。 |
4月 | 和泉信一会長が日本馬主協会連合会会長就任したことに伴い、福岡三男氏が9代会長に就任。 |
6月 | SARSの流行により、海外競馬視察が中止となった。 |
9月 | 小倉競馬場の視察を実施。 |
11月 | 創立55周年を記念した馬主研修会を実施。 |
平成16年
2月 | 毛利喜昭氏が10代会長に就任。 |
4月 | 中山競馬場来賓室を解放し、中山オーナーズデーを開催。 |
6月 | 鳥インフルエンザの流行により、海外競馬視察を中止。 |
9月 | 入厩・出走・預託料に関するアンケート調査を実施。 札幌競馬場の視察を実施。 |
11月 | 京都競馬場の視察を実施。 |
平成17年
4月 | 第1回目のJRA育成馬のトレーニングセール(現ブリーズアップセール)が中山競馬場で実施。 |
6月 | イタリアのサンシロ競馬場及びフランスのロンシャン競馬場の視察を実施。 |
10月 | 金沢競馬場の視察を実施。 |
平成18年
3月 | 専門委員会の馬場賞品委員会及び賞品委員会を統合し、「馬場賞品委員会」に改称。 |
6月 | 福島競馬場の視察を実施。 |
8月 | 会員に各競馬場の馬主席や及び競馬会館の利用方法、各種届出等を周知するため「会員ガイドブック」を作成。 |
10月 | 日本馬主協会連合会社会貢献事業として、当協会が窓口となり中山競馬場の地元地域に対して助成活動を実施。 |
12月 | 有馬記念競走優勝馬主へ「中山馬主協会賞」を贈ることとなった。 |
平成19年
3月 | 馬事公苑の視察を実施。 |
4月 | 皐月賞競走勝馬主へ「中山馬主協会賞」を寄贈することとなった。 |
8月 | アイルランドのカラ競馬場の視察を実施。 |
11月 | 地域貢献事業を本年より行うこととなり、船橋・市川両市に対して助成を行った。 |
11月 | 会員による第5回中山競馬開催前の馬場視察を実施、多数の会員が愛馬が疾走する馬場の感触を確かめた。 |
12月 | 地域貢献事業として船橋・市川両市の児童福祉施設(船橋市57施設、市川市52施設)に対してクリスマスプレゼントとして競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。 |
12月 | 根岸競馬記念公苑の視察を実施。 |
平成20年
1月 | 「愛馬おめでとうキャンペーン」を実施。 |
2月 | 宮崎育成牧場へ視察を実施。 |
3月 | 宮崎育成牧場へJRAブリーズアップセール上場馬の視察を実施。 |
4月 | 西川 賢氏が11代会長に就任。 |
8月 | 韓国ソウルの果川ソウル競馬場および釜山の釜山慶南競馬場の視察を実施。 |
10月 | 創立60周年記念行事を実施。 |
12月 | 地域貢献事業として、市川市動植物公園にポニーを寄贈、千葉県内の児童福祉施設(松戸市47施設、習志野市15施設、浦安市15施設)に対してクリスマスプレゼントとして競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。 |
平成21年
6月 | 当協会ロゴマークの承認。 |
7月 | 札幌競馬場の視察を実施。 |
8月 | 競馬成績における東西格差と預託料について東京馬主協会とともに勉強会を実施し、データ作りを実施。 |
10月 | 香港のハッピーバレー競馬場及びシャンティ競馬場の厩舎の視察を実施。 |
12月 | 地域貢献事業として、船橋・市川市の市民に幼児2人同乗用自転車を各128台ずつ寄贈、千葉県内の児童福祉施設(鎌ヶ谷市8施設柏市3施設、印西市9施設、八千代市18施設、流山市18施設)に対してクリスマスプレゼントとして競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。 |
平成22年
6月 | アメリカ・ニューヨークのモンマスパーク競馬場およびケンタッキーのチャーチルダウンズ競馬場の視察を実施。 |
10月 | 帯広競馬場のばんえい競馬の視察を実施。 |
10月 | 会員馬主の利益供用のため、また競馬サークルの活況のためホームページを開設。 |
12月 | 好評につき本年2回目のオーナーズデーを開催。会員と家族383名が中山競馬場に来場し、一日競馬を楽しんだ。 |
12月 | 売上が厳しき中、有馬記念を盛り上げるため、当協会が主催し第1回有馬記念プレミアムレセプションを開催。 |
12月 | 地域貢献事業として、船橋市に幼児二人同乗用自転車50台を寄贈、市川市に青色防犯パトロール用の軽自動車1台、3輪原付自転車2台、2輪電動バイク2台を寄贈、千葉県下の社会福祉施設5施設へ助成金を交付、千葉県内の児童福祉施設(6市87施設)に対してクリスマスプレゼントとして競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。 |
平成23年
7月 | 東日本大震災被災地支援チャリティーオークションを開催し、最終落札額14,550,000円を東日本大震災被災地支援金として、日本赤十字社へ拠出。 |
8月 | 函館競馬場の視察を実施。 |
8月 | 東日本大震災により甚大な被害を受けた東北地方の被災地に対して義援金500万円を拠出し、また、当協会所在地である千葉県下でも津波などの影響で多大な被害が発生したことから、生活再建支援として義援金3,000万円を拠出。 |
9月 | 一般社団法人への移行認可申請書を提出。 |
12月 | 一般ファンを馬主席へご招待するイベントの募集を当協会ホームページにて開始。 |
12月 | 第2回有馬記念プレミアムレセプションを実施。 |
12月 | 地域貢献活動として、船橋市に災害用備蓄倉庫を寄贈、市川市に遊具を寄贈、千葉県下の社会福祉施設8施設へ助成金を交付、千葉県内の児童福祉施設(8市町村87施設)に対してクリスマスプレゼントとして、競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。 |
12月 | 一般社団法人への移行認可承認。 |
平成24年
1月 | 社団法人の解散登記および一般社団法人の設立登記を行い、「一般社団法人 中山馬主協会」に名称を変更。 |
6月 | リニューアルオープンした中京競馬場の視察を実施。 |
9月 | 当協会が率先して提唱した自ブロック優先制度が開始。 |
11月 | シンガポール・クランジ競馬場の視察を実施。 |
12月 | 第3回有馬記念プレミアムレセプションを開催。 |
12月 | 地域貢献事業として、船橋市に災害用備蓄倉庫を寄贈、市川市に遊具を寄贈、千葉県下の社会福祉施設8施設へ助成金を交付、千葉県内の児童福祉施設(20市町村、88施設)に対してクリスマスプレゼントとして、競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。 |
平成25年
1月 | ドバイ・メイダン競馬場の視察を実施、ドバイワールドカップを観戦。 |
12月 | 第4回有馬記念プレミアムレセプションを開催。 |
12月 | 地域貢献事業として、船橋市に避難器具を寄贈、市川市に火災予防・消防の認識を深めるため活動を行っている音楽隊へ楽器を寄贈、千葉県下の社会福祉施設10件施設へ助成金を交付、千葉県内の児童福祉施設に対してクリスマスプレゼントとして、競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。 |