この私が切り込み隊長となって馬主、調教師、騎手に話を伺う『キャプテン渡辺のウィナーズサークル』。
今回は、2019年に中山大障害をシングンマイケルで優勝し、JRA最優秀障害馬にも導いた金子光希騎手にお話をお伺いしました。
騎手になろうと思ったきっかけ
キャプテン渡辺(以下、渡辺):今回は2019年に中山大障害をシングンマイケルで優勝し、JRA最優秀障害馬にも導いた金子光希騎手にお越しいただきました。
金子光希 騎手(以下、金子):よろしくお願いします。
渡辺:まずはジョッキーを目指すきっかけをお聞きしたいのですが、競馬の世界を知ったのはいつ頃だったのですか?
金子:母が中山競馬場で働いていた関係で、乗馬は小学校五年生から始めてました。
渡辺:お母さんはどんな仕事をされていたのですか?
金子:レースが終わったあとに馬の尿検査をするアシスタントです。当時、母から中山競馬場に乗馬センターがあると聞いて「やってみたい」と言って通い始めました。1200mのスタート地点辺りにあるんですけど、週末になると騎手が馬に跨って目の前でレースをしていて、そのころから騎手になりたいなぁと漠然と思ってました。
渡辺:中山競馬場で、しかも乗馬だと、周りに騎手になりたいという子もいそうですね。
金子:いまは栗東に所属している平沢健治くんとか、乗馬で一緒に馬に乗ってましたよ。
渡辺:もしお母さんがそういう仕事をしてなかったら、競馬の世界には携わらなかったかもしれないですよね。
金子:おそらく乗馬にも関心がないままだったでしょうね。馬に触れる機会すらなかったかもです。
渡辺:中学で部活とかして騎手以外に寄り道したりとかはなかったのですか? それこそ役者になりたいとか進学したいとか...。
金子:姉がソフトテニスをしていたので、少しだけかじりました。でも、のめり込んでいったのは馬の方で、夏休みも毎日乗馬漬けでしたし、勉強ができた方ではなかったので、他に選択肢がなかったというのもありますね(笑)。
いざ、騎手になってみて
渡辺:騎手になりたいと言ったとき、ご両親は反対しなかったのですか?
金子:母は心配しました。中山競馬場で働いていて身近で競馬場のアクシデントを見てますから、いい顔はしなかったです。
渡辺:ですよね。
金子:でも最後はあなたの人生だから好きにしなさいと送りだしてくれました。感謝のひと言ですね。
渡辺:騎手になる前に憧れのジョッキーや、レースを見て、こうなりたいというのはありましたか?
金子:競馬よりも馬の方に魅力を感じてたので、特別そういう何かはなかったです。馬に乗れればいいというのが一番でしたね。
渡辺:乗馬していたころとは違って、競馬は勝負の世界じゃないですか。騎手になってみていかがですか?
金子:騎手になる前に周囲から競馬は厳しい世界だと伺ってはたんですけど、実際になってみると思っていた以上に大変でした。
渡辺:どのあたりにそれを感じますか?
金子:行き着く過程がどうであれ、みんな上手い中で生き残るために結果を出していかなければならないですから、厳しい世界ですよね。
渡辺:芸人の世界でもみんな面白いんですけど、その中で売れる芸人、売れない芸人、この差は何だろうって考えることがあるんです。騎手の場合、結果を出すジョッキーと出せないジョッキーとの差ってどういうところにあるのでしょうか?
金子:いろんな要素があると思います。それこそ馬術もさることながら、人と人との関係であったり、運の要素であったり、場数であったり。ただ、世界の名だたる騎手は何か持ってますよね。同じ努力をしていても、他の人とは違う何かというか。そのあたりになると、ボクの理解の次元を超える部分になってしまうんですけど...(笑)。
騎手に聞くキャプテン渡辺のここだけの話
- Q. 仲のよいジョッキーを1人あげてもらえますか?
- A. 武士沢さんです(金子騎手)
渡辺:武士沢騎手は年齢は4つ上になるんですね。
金子:そうですね。武士さんとはすごく仲がいいです。一緒によくご飯を食べに行きますし。
渡辺:騎手同士って互いに交流したりするんですか?
金子:みんな仲がいいですよ。一緒に飲みに行くこともありますね。