ゲスト JRA競馬学校 小林 淳一 教官・阿部 尊留 教官
01. 最初は、“先生”と呼ばれるたびに、“自分がしっかりしなきゃ!”と言い聞かせていました。
競馬学校の教官になるには
――オーナー、ジョッキー、調教師の先生…いろいろな方にお話を伺ってきましたが、競馬学校の教官と言うのは、今回がはじめてです。
小林えっ!? そうなんですか?
阿部いきなりプレッシャーをかけるのは、やめてください(笑)。
小林そう、そう。僕らは裏方なので、キャプテンが期待するような面白い話はないですからね。
――いや、いや、いや、いや。競馬学校の教官といえば、謎のベールに包まれている感じがあって、とっておきの裏話を期待していますが、その前に、おふたりは、どういう道を歩んで競馬学校の教官になったのかから教えてください。
阿部競馬学校の教官を務めるには、小林教官のようにジョッキーをされていた方とJRAの職員の2つの道があって、僕は後の方、JRAの職員です。
――そうか、JRAの職員から競馬学校の教官に転向することもあるんですね。
阿部転向じゃなくて、一般的な会社でいう、転勤ですね。大学の馬術部から、馬術系総合職としてJRAに採用していただき、馬事公苑での勤務を経て、2014年3月から、競馬学校の教官を務めています。
――なるほど。ということは、わかりやすくいうと、阿部さんは乗馬担当で、コバジュンさんは、競馬担当ということですか。
小林ものすごくシンプルに言うと、そうなります(笑)。
――もうひとつ、わからないことがあるんですけど、ジョッキーから教官になるのは、“やりたいです!”と自分で手を挙げるものなんですか?
小林僕の場合は、なんだか最近、やけに模擬レースに呼ばれるなぁと思っていたら、実は、こういう話があるんだけど、どうかな!? 考えてみてくれないか? と言っていただいたのがスタートでしたね。
――そうか、なんとなくお誘いを受けるものなんですね。
小林ただ、その時は、まだ現役を続けたいという思いが強かったので、一度、お断りしたんですよ。で、2年後くらいかだったかな、もう一度、声をかけてもらって。ちょうどその時期、現役を続けるかどうか悩んでいたこともあって、頑張ってみようかなと、新しい道に進むことを決めました。
――コバジュンさんが教官になったのはまだ40前でしたよね? 調教師とか、調教助手とか、他にも選択肢はあったんじゃないですか。
小林39歳の時です。勉強は苦手というか、嫌いなので(苦笑)、調教師の先生というのは最初からなくて。とはいえ、この世界以外のことは何にも知らないので、サークルの中で働けたらいいなぁと漠然と考えていた頃でしたね。
“先生”と呼ばれて
――当たり前のことですが、教官になると、生徒たちからは、“先生”と呼ばれるわけですよね。それって、どういう気持ちなんですか。
小林最初は、くすぐったい感じでしたよね(笑)。
阿部生徒たちから、“先生”と呼ばれるたびに、叱咤激励されているようで、「そうだ、自分がしっかりしなきゃ」と、自分で自分に言い聞かせていました(苦笑)。
――それが、10年経った今では…ですか?
小林慣れたといえば慣れましたけど、毎年、入ってくる生徒は違うし、性格も、考え方も、みんなそれぞれなので……人に何かを教えるというのは、本当に難しいです。
阿部褒めて伸びる生徒もいますし、その逆で、ちょっと褒められたことで、その気になってしまう生徒もいる。叱って伸びる生徒もいれば、叱られたことで萎縮してしまう生徒もいる……そのあたりは、本当に難しいですし、毎年、手探りです。
――コバジュンさんが、生徒だった頃とは違う?
小林全然、違いますよ。
僕らの頃は、白も黒も、教官が黒といえば、黒という時代で。怒鳴られる、殴られるというのは当たり前、何かあったら、すぐに連帯責任でしたからね。
阿部いま、それをやったら、コンプライアンス的に、一発で、アウト! です(笑)。
小林どうやったら叱られないで済むのか。先生に見つからずに寮を抜け出すにはどうしたらいいのか? そういうことばっかり、考えていた時代でしたからね。
――噂で聞いたところによると、コバジュンさんの頃の生徒は、本当に悪ガキがいっぱいいたという話ですからね(笑)。
小林まぁ、そうですね(苦笑)。
――そういう自分のことは棚に上げて、教える側に回るというのも、きついものがありますよね(笑)。
小林そう、なんですけどね。でも、いいことも、やっちゃいけないことも、全部、ひっくるめて、きちんと教えるのがいまの僕の立場なんで。昔、僕がやっていたようなことをする生徒がいたら、当然、叱ります(笑)。
――競馬は、ちょっとしたミスが、他の生徒を巻き込んでしまう大きな事故につながることもあるし、最悪の場合、命にも関わってきますからね。
小林そう、なんですよ。だから、本当に危ないというときは、かなりきつく叱ります。
――とはいえ、やりすぎると、パワハラになります。
小林いや、でも、そこは大事なところなんで。叱られたとき、露骨に、不満を顔に出す生徒も中にはいますけど、でも、叱るときは、叱らなきゃいけない。で、僕がきつめに叱った後で、阿部先生がその生徒を諭す――。
阿部やさしく、ですね。
――そうか、そういうふうになっているんですね。
阿部役割分担です(笑)。
女子にはやさしい!?
――競馬学校に教官と呼ばれる人は、何人いるんですか?
阿部全部で、18名です。騎手課程が2課程に分かれていて、それぞれ5名ずつ。厩務員課程も同じく2課程あって、それぞれ4名ずつで、計18名です。
――騎手課程の生徒って、毎年、何人くらい入ってくるんでしたっけ?
阿部応募要項には10名程度となっていて、その年によって違うんですけど、今年は7名ですね。
小林2年生も7名、3年生も7名です。
――菜七子ちゃん効果で、毎年のように女子が入学し、卒業してジョッキーとしてデビューしていますが、教える側としては、男女は関係ない?
小林なくは…ないですね。
阿部授業のときは、一学年、7、8名の生徒をひとりで見ることになるので、公平性が重要で、僕自身、いつも、それを心がけているんですけど、それでも、卒業式の時に、男子生徒から、「先生は女子にやさしいからなぁ」とか言われることがあって。
小林こっちは、そういうつもりはまったくないんですけどね。
阿部でも、言われることがあるんですよね(苦笑)。
小林これは女子に限ったことではないんですけど、ストレートに言ってしまってもいい生徒と、若干、言い方を変えなきゃいけない生徒がいて。そういうときに、やさしく見えてしまうというのはありますよね。
――きつくは叱はれない?
小林叱れないんじゃなくて、叱りたくない。ただ、男子だろうが、女子だろうが、叱りたくないけど、叱らなきゃいけないということもあるし、あえてみんなの前で叱って、それをみんなに見せなきゃいけないという場面もあって。
――コバジュンさんが叱って、阿部先生がフォローする!?
阿部いや、いや、そんな……。
小林そういう役割分担なので。僕がきつめに叱ったときは、阿部先生が、全部、フォローしてくれますから安心しています(笑)。
(構成:工藤 晋)
小林 淳一 こばやし・じゅんいち:
1992年3月、JRA騎手としてデビューし、2012年3月の引退までに、JRA通算299勝。
主な勝鞍は、2003年の日経賞(GII)、ダイヤモンドS(GIII)など。
騎手引退後は、競馬学校の専任教官として多くの騎手課程生徒の教育に携わる。
阿部 尊留 あべ・たける:
2011年4月、日本中央競馬会入会。
馬事公苑勤務、馬事部馬事振興課を経て、2014年3月より競馬学校の教官を担当。
キャプテン渡辺:1975年10月生まれ。お笑い芸人。競馬、競輪、パチンコ、パチスロは趣味の域を超えていまや生活の一部に。特技は関節技。現在テレビ東京系列で放送中の『ウイニング競馬』にレギュラー出演中。YouTubeで競馬予想更新中。