ゲスト 丸田恭介 騎手

02. ブレず、恐れず、怖がらず――丸田恭介の挑戦は続く。

ブレず、恐れず、怖がらず――丸田恭介の挑戦は続く。
苦節16年、12度目の挑戦で、涙のGI制覇を成し遂げた丸田恭介ジョッキー。後編は、ジョッキーを目指したワケ。変わったことと、変わらないもの。騎手としての信念、そして、これからの夢について話を聞いた。

かなりの変わり者?

――そもそもの話になりますが、丸田騎手がジョッキーになろうと思ったきっかけはなんだったんですか?

丸田小学校5、6年の頃、友達2人が、競馬中継を見たり、ゲームのダビスタにハマっていて。「一緒にやらない?」と声をかけてもらったのが、全ての始まりでした。
何も知らない僕にとっては、結構な衝撃で。「なんだ、これは!? 世の中、こんなに面白いものがあるんだ!?」と、どんどんのめり込んでいって。古本屋さんで、名勝負物語とか、名馬の本を見つけては、夢中になって読んでいました。 あの時、声をかけてもらっていなかったら、多分というか、間違いなく、今の僕はいないと思います。

――そうか、ダビスタ世代なんですね。

丸田今でも時々、その友達とは遊んだりするんですけど、会うと一緒にダビスタをやっています(笑)。

――マジ、ですか?

丸田はい。
ただ、僕が生まれた旭川は地方競馬もあったんですけど、それほど、競馬に馴染みのある町じゃなくて。家族も含めて、競馬? あぁ、競馬ね…という感じだったので、競馬に夢中になっていた僕らは、メチャメチャ変わり者という目で見られていましたけど(苦笑)。

――ということは、ジョッキーになりたいといった時は大変だったでしょう?

丸田家族はわかってくれたんですけどね、周りは、「へぇ、馬に乗る人になるんだぁ?」というくらいの感じで、中学の先生には、「高校に行って、大学に進んで、普通に就職したらどうだ?」って、言われました(苦笑)。

――進学より、恋バナより、競馬!?

丸田隣のクラスの誰々が可愛いとか、誰々と誰々が付き合っているみたいだとか、ちょっとはそういうことも話してたと思うんですけど…なんていったって、青春、真っ只中ですから(笑)。でも、記憶にないんですよね。
それよりも、馬が好きで。馬のことばっかり考えていたような気がします。

――びっくりするくらい純粋で、真面目な少年だったんですね。

丸田競馬に対してだけ、ですけどね(笑)。
スペシャルウィークやステイゴールドが好きで、豊さんに憧れて。豊さんを見ているうちに、僕にもできるかも!? と思い始めて。
今、思うと、考えそのものが幼かったというか、疎かったんだと思います。

――デビュー戦のことは覚えています?

丸田はっきりと覚えています。
当時は、減量制度の期間が3年だったので、
3年がひとつの区切りだ――。
と、強く思っていて。
3年の間に、自分が騎手として目指すもの、進むべき道を見つけないと、そこから先はない、くらいに考えていましたから。

遠くに見えた同期生

――20歳で迎えたデビュー戦は、中京競馬場の第2競走で、6番人気のノースリヴァーに騎乗して、最下位の16着。初勝利は、26戦目、5月26日、東京競馬の第5競走、6番人気のグラスレンヌでした。

丸田前走、芝のレースをタイムオーバーで負けた馬で、ダート替わりの最初のレースで乗せてもらったんですけど、ほんと、ラッキーだったと思います。

――で、結局、デビューした年は、この勝利を併せて…3勝。こんなはずじゃなかった…という思いは?

丸田ありましたよ。めちゃめちゃ、ありました。
3年間が勝負だと思っていたのに、あっという間に1年が終わってしまって。
厳しいとは思っていましたが、想像を遥かに超えた厳しさでした。
同期の康太(藤岡)は、初騎乗初勝利という華々しいデビューで。騎乗回数も、僕の116に対して、康太は、4倍近い、403。レースに乗ることで、経験値が溜まり、技術も磨かれていくので、同年代のジョッキーが、ものすごく遠い存在に感じていました。

――いける! という手応えを感じたのは?

丸田これもまた、ラッキーなんですけど、デビュー2年目に、3月の中京でその年の1勝目を挙げた後、春の福島で、2日間で3勝を挙げるという、信じられない出来事がありまして。

――1年目の勝ち鞍と同じ3勝? それをわずか2日間で、ですか。

丸田そうなんですよ。
しかも、1つ目の勝利が、16頭立て16番人気の馬で、3勝目も、同じく16頭立て16番人気の馬…勝ち方も、1つ目は中断の後ろから外をぶん回しての勝利だったのに対して、3勝目は、最内を通っての勝利だったんですけど、今、思い返しても、なぜ、勝てたのかが不思議で。僕自身でもうまく説明できないんです。

――馬券ファンの間では、“アナの丸田”として有名なんですが、その頃から、すでに片鱗はあったということですね(笑)。

丸田多分、きっと、おそらくですが(笑)。
でも、この勝利で道が拓けたのは間違いないです。その翌週から、いきなり騎乗依頼が増えましたから。

――それだけ、2つの勝利は、インパクトがあったということですよね。で、騎乗依頼に比例して勝ち星も増えていった?

丸田それが、そうでもなくて。翌週から騎乗依頼は増えましたけど、見事なくらい勝てなくて(苦笑)。競馬は甘くないと、身を乗って経験しました。
勝ち星をあげられるようになったのは、その年の後半、夏の北海道、函館、札幌の開催が始まってからです。

基本は無音です

――騎手になってから、ずっと変わらずに持ち続けていることってありますか?

丸田勝ちたいという想いと、チャレンジする気持ち――。
この2つは、ずっと変わらないですね。

――逆に変わったところは?

丸田いっぱいありますけど…一つだけ挙げるとすれば…独りよがりにならないで、調教師の先生や馬主さんと、ちゃんとコミュニケーションを図れるようになったこと…ですかね。

――以前は、結構、酷かった?

丸田ず〜〜〜〜っと競馬のことを考えていると、もしかして、こういうふうに乗ったら、勝てるんじゃないかという想いに駆られる時があって。そこまでは、みんなも考えることだと思うんですが、僕の場合、思いついたら、すぐに試したくなってしまって…。

――調教師の先生に相談せずに…ですか?

丸田自分でこうしたいと思ったことに対しては、結果も含めて、自分の目で見て、体で感じたいというのもありますし、それをしない限り、学びもないというのもあって。

――気持ちはわかります。わかりますけど…。

丸田ですよね。今なら、わかります。
でも、若い頃は、それが分からないというか、納得できなくて、調教師さんや、馬主さんの思いとは逆の乗り方をしたことがあって……。

――レース後に怒鳴られた?

丸田怒鳴られはしませんでしたけど、「お前は、本当に指示を聞かないよな」と、冷たい氷のような声で言われて。

――次から声がかからなくなった?

丸田当然ですよね。僕が調教師の先生の立場でも、こんな騎手を、大事な馬に乗せたいとは思わないですから。
だから今は、きちんとコミュニケーションを取って、先生やオーナーさんの考えたお気持ちをお聞きして、その上で、僕自身の考え…なんでそういう乗り方をしたのかという根拠と意図を説明して、それをしっかりと伝えて、その結果をフィードバックできるように、ですね。そうやって、当たり前のことが当たり前にできるジョッキーになってきたのかなとは思っています。まだ、まだ、ですけどね。

――普段穏やかという印象のある丸田騎手ですが、尖ったころは、きちんと残している。さすが、という感じですが、レース中は、どんなんですか?

丸田冷静ですよ。前が開かない時も、「どけ!」とか、「開けろ!」とか、「邪魔だ!」とか、怒鳴らず、静かに、スーッとその隙間に入っていく感じです。
前の馬が急に動いても、慌てず、騒がず、「ここにいますよ」というオーラを出して、本当に危険な時は、声を出しますけど、基本は、無音です。

――そっちの方が、怖いです(笑)。

丸田前に一度、声に出したことがあったんですけど、その時、開けてくるかと思ったら、逆に閉めたれたことがあって。
それ以来、声には出さず、スーッと静かに入っていくようにしているんです(笑)。

――最後に、これからについて、話せる範囲で、教えてください。

丸田あちこちブレずに、淡々と努力を重ね、チャレンジすることを忘れずに、恐れずに、馬とまっすぐに向き合って、結果、ひとつでも多く勝てるように、任せていただいた馬を勝たせてあげられるように、頑張ってきたいと思っています。これからも応援してください。よろしくお願いします!

(構成:工藤 晋)

丸田 恭介 まるた・きょうすけ:1986年5月20日 北海道旭川市生まれ。2007年2月に競馬学校第23期生として卒業。同年3月3日にデビュー。同年5月26日東京競馬第5競走で、ノースリヴァーに騎乗して初勝利を挙げる。1年目は3勝に終わったが翌年は31勝を挙げるなど、毎年、確実に勝利を重ね、2022年3月27日、師と仰ぐ、宗像厩舎のナランフレグに騎乗し、高松宮記念を制覇。念願だったGIジョッキーの仲間入りを果たした。

キャプテン渡辺:1975年10月生まれ。お笑い芸人。競馬、競輪、パチンコ、パチスロは趣味の域を超えていまや生活の一部に。特技は関節技。現在テレビ東京系列で放送中の『ウイニング競馬』にレギュラー出演中。YouTubeで競馬予想更新中

※この記事は 2022年9月22日 に公開されました。
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