畠山調教師にお越しいただいてのインタビュー。今回は、ウインブライトのパートナー松岡騎手や畠山調教師が競馬の世界に入るきっかけについてお話を伺いました。
松岡騎手のこと
渡辺:ウインブライトはデビューから松岡騎手が跨っていて、G1馬で日本人ジョッキーがずっとパートナーという数少ない馬の1頭ですね。
畠山:オーナーサイドのバックアップもあってですよね。その期待に応えられるよう松岡も必死だと思いますよ。
渡辺:ずっと鞍上が同じ騎手だと調教師としてもコミュニケーションとりやすいですか?
畠山:それはありますね。松岡とは気心も知れた仲ですし。
渡辺:ちなみに松岡騎手の人柄も含めて評価はいかがですか?
畠山:ダメなときにはダメと素直に言ってくれます。こっちは調子が上がってるはずなんだけどって言っても、松岡からは「まだまだ」なんてやりとりもありますよ。
渡辺:ざっくばらんな感じで馬のことを言い合えるのもよさそうですね。
畠山:ジョッキーによっては馬のいい部分を見て話してくれるタイプもいますし、ストレートに感じたままを言う騎手もいますので、騎手によって違いますね。
渡辺:松岡騎手は明らかに後者ですよね。
畠山:テレビ向けのコメントはわからないですけど、厩舎に対してはそうですね。松岡とは彼が若手時代からの付き合いで、デビューしたてのころビッグレッドファームのバックアップで実力馬に乗せてもらいながら、大きなレースも勝ったりしてましたね。15年近く前にうちの厩舎から桜花賞に出走した馬がいたんですけど、松岡が鞍上でした。
渡辺:2005年に桜花賞に出たマイネコンテッサですね。
畠山:本人にとっては最初のG1、クラシック騎乗だったんじゃないかな。お互いにそのころからの付き合いですから、気心もわかってますしストレートな物言いでも気にはならないです。
渡辺:生意気なこと言いすぎて次は乗せない...なんてことはしないですか?
畠山:あはは(笑)。もちろんそんなことはしないですよ。
競馬の世界に入るきっかけ
渡辺:畠山先生の競馬人生にも触れたいのですが、静岡出身なんですね。ボクも静岡なんですよ。ちなみに高校はどこですか?
畠山:東海第一ですね。いまは東海大翔陽に名前が変わっちゃいましたが。
渡辺:高校サッカーで全国優勝してますよね。東海第一が出身校だなんて、当時サッカーをされてたんですか?
畠山:してないです。ボクは昭和37年生まれなので、そのころうちの高校はサッカーより野球のほうが強かったですね。
渡辺:競馬への興味はいつごろから始まったんですか?
畠山:それこそ祖父の代からですよ(笑)。中山馬主協会さんとはお付き合いがあって、子どものころから競馬には触れてました。祖父が馬主だったので、物心ついたときには祖父や両親に連れられて競馬場に行っていましたね。
渡辺:なんと! それで中山馬主協会とも縁があったんですね。
畠山:はい。昔の写真を見ると親に抱かれて競馬場で写っている写真ばかりですね。
渡辺:ジョッキーになろうとは考えなかったんですか?
畠山:子どものころ、騎手が調教師にすごく厳しく怒られている姿を見てたんですよ。そのころの調教師は弟子に対しても厳しい方が多くて、叱咤しているシーンをよく目にしていたので、騎手という選択肢はなかったです。
渡辺:怒られるのは嫌ですものね(笑)。
畠山:そうですね(笑)。祖父は牧場経営もしていて、子どものころから牧場に行ったりしてたので、最初から調教師になろうというよりも将来、馬の仕事に携われたらいいなとぼんやりと子どものころから考えてました。
渡辺:途中、競馬以外への寄り道はなかったんですか?
畠山:なかったです。通っていた大学が東京競馬場に近かったので、東京競馬場の乗馬センターで馬術を教わって、大学卒業して競馬学校入り、厩務員課程を経て厩舎に配属されて競馬の世界へって流れですね。
騎手に聞くキャプテン渡辺のここだけの話
- Q.大学時代は合コンとか遊びの方はどうだったんですか?
- A.ぜんぜんです(笑)。(畠山調教師)
渡辺:キャンパス生活というと、どうしてもキレイな学生とか楽しそうな華やかな世界をイメージしてしまうんですよ(笑)。
畠山:ボクもそういうイメージを持っていたんですけどね(笑)。
渡辺:女子大生はいましたよね。
畠山:日本獣医畜産大学の出身で、女性もいましたけど、化粧せずみんなジーパンに長靴を履いてました。飲み会の場に行っても周囲が慶応だ、早稲田だって言う中で日本獣医畜産大学って言っても響かないから、東京競馬場に近かったので自然とそっちの方にいくことが多くなりました(笑)。
渡辺:ギャンブラー生活ですか?
畠山:いえいえ。学生ですし、東京競馬場と言っても乗馬ですね。乗馬の練習のために、乗馬センターに通ってましたよ。