
この私が切り込み隊長となって馬主、調教師、騎手に話を伺う『キャプテン渡辺のウィナーズサークル』。
萩原調教師にお越しいただいてのインタビュー。今回は競馬の世界に入ったきっかけを中心にお話を伺いました。
競馬の世界に入るきっかけ

渡辺:インタビューに登場される方、皆さんにお聞きしているのですが、萩原調教師がこの世界に入るきっかけは何でしたか?
萩原:私の場合は、両親が競馬新聞の販売をしておりまして、親がそういう仕事をしていますから、身近に競馬新聞がありますし、自然と競馬を知ってレースを見るようになりました。
渡辺:競馬を見始めたのは何歳くらいのときですか?
萩原:ハイセイコーブームのときでした。中学生ごろだったと思います。
渡辺:ハイセイコーは歌まで出るほど国民的アイドルホースでしたね。
萩原:スターホースがいて、さらに競馬を見るようにました。実家が川崎で、府中競馬場まで自転車で1時間くらいなので、競馬場にも行くようになりましたね。
渡辺:いまでこそ競馬場もクリーンになりましたけど、昭和時代ですから怖そうとか競馬場へ行くのに抵抗はなかったのですか?
萩原:むしろ初めて競馬場を見たときはびっくりしました。広いし、馬が目の前を走っていきますし、あの衝撃的でいまでも覚えています。それもあり、競馬の世界で将来、仕事できたらと思いました。
印象に残っているレース

皐月賞の方が印象深いですね」と萩原調教師
渡辺:競馬の世界へはどのように入られたのですか?
萩原:高校を出て、トレセンに入る前提で大東牧場に行き、そのあと競馬学校の厩務員課程に入って厩務員になりました。23歳のころだったと記憶しています。
渡辺:この世界に入られたと当時は西高東低の状況が今よりも強かったと思うんですが、施設面も含めてこうしてほしいという想いはありましたか?
萩原:私はあまりそういう状況は意識していなかったです。施設の問題ではないと思っていましたし、私自身はとにかく、馬の調教技術を高めたいと思いながら日々過ごしていました。自厩舎の馬がどうしたら強くなれるかという思いのほうが強かったです。
渡辺:調教師になられたのは1996年で、2009年にはロジユニヴァースでダービーも制覇されています。土砂降りの雨の中で印象深いレースでしたね。
萩原:ロジユニヴァースについて言えば、私個人はダービーよりも皐月賞の方が印象深いです。皐月賞は負けてはいけない馬で負けたという思い が強く残っていますね。






















































