小説家・早見和真さんをお招きしてのインタビュー。そもそも早見さんはなぜ小説家になろうと思ったのか...。キャプテン渡辺が早見さんの過去に迫ります。
※ インタビューは、新型コロナウイルス感染予防のため三密を避け、ソーシャルディスタンスをとって行いました。
ボクは神童だった
渡辺:そもそもの質問なのですが、どうして作家になろうと思ったのですか?
早見:ボクは小学校のとき神童でした。身長170センチ、体重80キロくらいあって、野球でピッチャーをしていたけど、まず打たれなかった。頭もそれなりによかったし、バレンタインチョコもいっぱいもらってました。
渡辺:とても羨ましいです。
早見:ボクもあの頃に戻りたいです。
渡辺:あはは(笑)。中学は桐蔭学園なのですね。
早見:野球推薦で入りました。小学校6年生のころ、周囲から今日は西武のスカウトが来てたとか声が聞こえてきてたから、自分は将来プロ野球に行くものだと本気で思ってたし、自分がなる以外に誰がなるのだろうと考えてました。
渡辺:当時の桐蔭学園といったら、甲子園にもつづけて出場して野球の黄金時代ですよね。
早見:西武の高木大成さん、ヤクルトの副島孔太さん、下の世代だとG.G.佐藤とか。上の世代も下の世代もプロにいった選手がいっぱいいましたね。中学の隣に高校のグランドがあって、グランドで練習する彼らを見てました。たしかに凄いと感じたけど、でも自分も高校になればあれくらいになれるだろうと思っていて。
渡辺:それくらい野球の才能があった。
早見:でも中学1年まででしたね。中学2年の4月に、怪物だ、天才だと騒がれた選手が入学してきました。高橋由伸さんです。
渡辺:桐蔭学園で天才といえば、この人ですね。
早見:守備から打撃から何もかもが違ってました。うまく言葉にできないんですが、とにかく圧倒的でした。自分がピッチャーとして高橋由伸を抑えられるイメージは沸かなかったし、バッターとしても2年後、自分があのポジションにたどりつけるわけがないと思ったんです。
渡辺:そうなんですね。
早見:仲間と一緒に由伸さんの練習を見ていたんですが、立ち尽くすボクを見て、仲間からいままでに見たことない顔をしていたと言われました。ボクは立ち尽くしながら、もうプロ野球選手になれないんだと絶望していたんです。いまなら中2という段階できちんと天才を見抜けていたと思えるでしょうけど、あのときはこれからボクはどうやって生きていったらいいんだと、人生がひとつ閉じちゃった瞬間でしたね。
物を書こうと思った原点
渡辺:でもそこから小説家になるわけですよね。何がきっかけがあったのですか?
早見:中学から高校に上がって、高橋由伸さんと数ヶ月寮で一緒に過ごすことができて諦めがついたんです。それと将来有望な選手がたくさんいたから、新聞記者がこぞって取材に来ていたんです。その新聞記者の大人たちを見ていて、大したことないなって思ったのがきっかけでした。彼らは決まってエースや4番に話を聞きにいきますから。
渡辺:それが仕事ですから(笑)。
早見:でも、たまたまかもしれないですけど、ボクのチームはエースも4番も野球の才能はあるけど、語れる言葉のない人間でした。ボクのところに聞きにくれば、エースのことでも4番のことでも全部教えてあげるのに、この大人たちはどうしてその視点がないのだろうって思ったんです。モノを書く仕事についたら、少なくともこの人達には負けないなって。
渡辺:随分と小生意気な高校生ですね(笑)。それまで野球しながら何か書いたりしていたのですか?
早見:日記すら書いたことありませんでした。中学、高校の6年間で読んだ本は2冊だけですし(笑)。
渡辺:あはは(笑)。
早見:大学から野球推薦の話もきたけど断ったところから、ボクの人生がスタートでしたね。もの凄い量の本を読み始めましたし、大学の授業は出ずにインドとかで過ごしたりしてました。だからといって自分が小説家になるリアリティなんて湧いてきません。物書きになる職業として新聞社しか想像できなかったし、実際に就職活動をして内定もらいました。ああ、これで人生安泰だなぁと思ってたら、今度は単位数足りなくて大学除籍。一転、人生が見えなくなりました。
渡辺:再び道が閉ざされちゃったのですね。
早見:ボロアパートの一室に引き籠もっていたら、そんなボクを見かねて、学生時代にお世話になっていたある編集者から呼び出されました。新宿3丁目で朝まで、なぜ物書きになりたいと思ったのか、それこそ高校時代の原体験のことなどをはじめて口にしました。そうしたら、その編集者が「それを小説に書いてみなよ。出版できる約束はないけど、読んで上げることはできるから」って。人生で最後のチャンスだと思いました。そして次の日から書き始めたのが、結果的にデビュー作となる『ひゃくはち』です。
渡辺:2008年のデビュー作ですね。
早見:書き始めてから本が出版されるまで5年以上かかりました。世の中には原稿用紙470枚ほどで出ているのですが、ボクが最初に書いたのは1300枚。そこから何年もかけて削ぎ落としていったんです。いま読み返すと行間から当時の無我夢中さや自己顕示欲がにじみ出ていて恥ずかしいですけど、必死に書き上げた作品でした。
ゲストに聞くキャプテン渡辺のここだけの話
- Q.小説家としてデビューする前はどうやって生活していたのですか?
- A.アルバイトしてました(早見さん)
渡辺:アルバイトは居酒屋とかコンビニの店員とかですか?
早見:フリーライターです。雑誌でいろいろな文章を書いてましたよ。
渡辺:生活はできていたのですか?
早見:最初の年の年収が80万円で翌年160万円になり、その翌年はさらに倍。最終的に1000万円超えて、これが一生続けばいいなって思いました(笑)。とにかく書きまくってました。
渡辺:雑誌の文章だけでそこまでいきますか?
早見:とくに若い頃は偉い人に入り込むのが得意だったんです。自伝とかで聞き書きってあるんですけど、編集者に原稿料を印税契約にしてくれと頼んでも絶対に無理なので、取材対象に擦り寄って「ボクとあなたとは対等なはずだ。ボクにも同じリスクを背負わせてほしい」みたいなワケのわからない意気込みを見せたりして。で、印税6%とかもらったりしてました(笑)。
継承される血と野望。届かなかった夢のため――子は、親をこえられるのか? 2019年JRA賞馬事文化賞、2020年 第33回山本周五郎賞 受賞作。
早見和真 『ザ・ロイヤルファミリー』 | 新潮社 はこちら