この私が切り込み隊長となって馬主、調教師、騎手に話を伺う『キャプテン渡辺のウィナーズサークル』。
国枝調教師へのインタビュー3回目。今回は美浦トレセンの話題から競馬会のあり方についての話となりました。
初重賞制覇
渡辺:調教助手からスタートして、いつか独り立ちしたいという想いはあったんですか?
国枝:だんだんね。この業界をいろいろ見て、いつか自分もというのはありましたよ。
渡辺:免許を取られたのは1989年ですね。
国枝:受かったのは平成元年で、調教師としての開業したのは平成2年からだね。
渡辺:開業スタートからオレはいけるぜ!みたいな手応えはあった感じですか?
国枝:それはないけど。
渡辺:調教師としてこれはいけそうだなと思われたのはいつ頃ですか?
国枝:ブラックホークでスプリンターズステークスを勝ったあたりかな。最初にダービー卿を勝って、とにかく重賞を勝つのが初めてだったからね。
渡辺:開業してから8年以上かかったんですね。もっと早くから重賞を手にしていたイメージがありました。
国枝:調教師の目標としてのひとつの目標として重賞を勝てたことで、ひとつホッとしたところがありましたよ。
渡辺:いまでこそ多くの名馬を手がけてますが、一番苦労されたことはなんですか?
国枝:苦労、うーん。言えばきりがないけど(笑)。でも恵まれた立場にいるとは思ってますよ。業界の中でやっててね。守られているというか、でも囲いの中だからその分、自由がきかないというのはありますけどね。
すべてはファンのために
渡辺:先生が開業されてから美浦もだいぶ変わったのではないですか?
国枝:オレからすれば、全然だね。
渡辺:美浦の改修工事が進み、いろいろ新しくなりそうですけども。
国枝:昭和53年にこの世界に入って、そのあと坂路ができた、ウッドができた、プールができたうんぬんあるけど、仕組みはまったく変わってない。もう少しフットワークが軽ければなぁ。
渡辺:でも先生も、馬の栗東留学とか、これまでにないことにもチャレンジされてきたじゃないですか。
国枝:ノーザンファーム天栄に行ってごらん。いろんなことにどんどんチャレンジして、失敗したり上手くいったり、自由に挑戦している。
渡辺:ここ数年、外厩帰りの馬が結果を出してますね。
国枝:結局、ここ最近関東馬のレベルが上がっているのは外厩をうまく利用していることもあるんじゃないかな。
渡辺:なるほど。
国枝:西と東の営業所があって西の方が成績がいいのなら、普通の企業なら東の方にテコ入れするよ。それこそオレが調教師になりたてのころから今もそうだけど、西高東低とずっと言われつづけてるわけ。調教師をしてきて、まわりの調教師もだいぶ人が入れ替わって変わったけどそれでも状況が変わらないということは、調教師個々の問題じゃなくてもっと根本的な事があるんじゃないかな。
渡辺:まだ栗東の方が条件がいいということでしょうか?
国枝:我々調教師は競馬会から免許を得て仕事をしているわけだから、競馬会がずっと西が強くていいんだというならそれでいいよ。でもファンに対して、東と西を拮抗させて商品をさらによくして提供していきたいのであれば、おかしなところは変えていくべきだよね。
渡辺:すべてはファンのために、ですよね。
国枝:そう。競馬会の手帳にもお客様のためにとそう書いてあるんだから、ファンのために動いてほしいね。