この私が切り込み隊長となって馬主、調教師、騎手に話を伺う『キャプテン渡辺のウィナーズサークル』。
(株)G1レーシング 吉田正志代表にお越しいただいてのインタビュー。2回目の今回は競馬の世界を志したきっかけなどを伺いました。
競馬の仕事を志したきっかけ
渡辺:吉田代表は、もうそれこそ生まれたときから身近に馬がいる環境で育ったわけですよね。
吉田:私は東京で生まれ、育ったので牧場で育ったわけではないのですが、子どものころから北海道の牧場や当時あった千葉の牧場、競馬場に来てました。
渡辺:競馬の仕事に就くのも当然の流れだったのでしょうか?
吉田:中学生ごろから夏休みになるとノーザンホースパークによくおいてかれてました。俊介くん(現・(有)サンデーレーシング代表)、エアの吉原さん((株)ラッキーフィールド)のご子息とかも泊まっていて、厩舎の手伝いをしながらいっしょに乗馬をしたりしていました。いま思うとそれが教育でもあったと思います。
渡辺:へぇ。
吉田:そのころから、将来東京で普通にサラリーマンをしている姿は想像できなかったですね。漠然と競馬の仕事に携わるのだろうなという思いでした。
渡辺:吉田代表がマネージャーを務められる追分ファームができたのが1995年ですよね。
吉田:まだ追分ファームができる前に、親父に「牧場やりたいか」って聞かれて「やりたい」とは返事したものの、そのときまだボクは14歳でしたから、あまり実感ないまま返事しただけでした。
渡辺:まだ中学生ですものね。
吉田:気がついたら牧場ができていて。でも将来場長として馬やスタッフといっしょに仕事をしていくとか、クラブ法人として馬を集めて一口を買っていただくとか、具体的にそこまでは思うのはもう少しあとですね。
圧倒されたセリの世界
渡辺:いまの仕事に就こう、と思われたきっかけがあったのでしょうか?
吉田:仕事として考えるようになったのは、18歳のときに初めてトレーニングセールに連れて行ってもらったときですね。場所はバレッツだったと思うんですが、親父を含めて関係者みんなでトレーニングセールに行きまして、セリの凄さや面白さをそこで体感したのがきっかけですね。
渡辺:馬体うんぬんというよりも、セリ自体の面白さに魅了された感じですか?
吉田:当時はまだ競馬に詳しいわけではなかったですし、これまで見たことがない世界でしたし圧倒されました。
渡辺:値段もバンバン上がっていきますし。
吉田:セリの場を体感して、そこで馬の見方であったり、セリの立ち振舞い方であったりを見聞きして、いろいろ教わりました。そのセリで購入した馬の名前を付けていいよという話になり、競馬好きの友人と一緒に考えてエターナルビートと名付けました。名付け親になると思い入れもでてきて、長浜厩舎や北海道の牧場に馬の様子を見に行くうちに、トレセンに行く回数も増えて、仕事として競馬を考えるようになったのはそのあたりからですね。
渡辺:エターナルビートは3勝しているんですね。重賞で2着にも入ってますね。
吉田:そのあとにボクが選んだスタンドオンエンドという馬も、結構勝ってくれて。これでなかなか勝てなかったりしたらまた違っていたかもしれないですが、2頭とも結果を残してくれたのもあり、自然と競馬の世界に入っていけました。
渡辺:最初に入られたのが追分ファームですか?
吉田:2004年に白老ファームからスタートしました。2ヶ月ほどいて、セレクトセールが終わってからイギリスの語学学校に通いはじめて、ニューマーケットの隣町のケンブリッジの語学学校だったので、車を借りてニューマーケットのセリにも行ってました。その後、アメリカの牧場に行って帰国して追分ファームになります。
渡辺:お父さんから競馬の哲学のようなものを叩き込まれた、なんてことはありますか?
吉田:叩き込まれたというのは特にないですね。自然と教わっているとは思います。馬の見方については、今でも手伝っていただいている尾形獣医から教わったことが多いです。
渡辺:追分ファームのマネージャーとしてだけでなく、いまはG1レーシングの代表も務められてますし、日々忙しそうですね。競馬以外の趣味は何かございますか?
吉田:やることが多いので、仕事が趣味みたいになっていますよ(笑)。