ゲスト 白老ファーム 細田 直裕 さん
02. 大切なのは、競馬の神様が微笑んでくれるように自分をアップデートし続けることです
しつこく電話をしたので、
最初は、アブナイやつだと
思われたみたいです(笑)
――細田さんが競馬に興味持ったのはいつですか。
細田私は学生時代から、海外の競馬に興味がありまして、定期的に海外競馬の雑誌や書籍を取り寄せて、翻訳して読んだり、アルバイトして貯めたお金で海外の競馬を見に行ったりしていました。
――それは……正真正銘、誰が見ても、マニアです(笑)。
細田そう、なんですよ。大学を卒業して、2年ほどサラリーマンをしていましたが、そのときも、海外の競馬を見に行くために、有給休暇をとって、2週間とか、3週間とか、世界の競馬場を回っていましたから。
――趣味で、ですよね!? それは、マニアの域を超えた変わり者です(笑)。それが、どういった経緯で、社台グループに入ることになったんですか。
細田海外でも、アポ無しで、生産者の方に話を聞いたりしていたんですが、吉田照哉社長が来ているという話を聞いて、ロンシャン競馬場のパドック出入り口で待ち伏せして、「お話を聞かせてください」とお願いしたのがきっかけでした。
――なんですか、それは。変わり者というより、ストーカーに近いじゃないですか(笑)。
細田今なら、通報されて捕まっていますよね(苦笑)。
照哉社長も、一瞬、何だ、こいつは? アブナイやつじゃないよな? という顔をされていましたから(笑)。――それから、どうされたんですか?
細田しつこく電話攻撃をしていたら、北海道なら時間が取れそうだということで、会いに行ったら、勝己社長もいらして。「お前、変わっているけど、面白いやつだな」といっていただいて、「とりあえず、やってみろよ」ということで、採用していただきました。
――マジですか!? 話を面白くしようとして、だいぶ、盛っているんじゃ?
細田実話です(笑)。
――入社後は?
細田海外競馬が好きというだけで、他は何も知らないので、馬のこと、契約のことを一から勉強させていただき、それをひとつ、ひとつ、積み重ねていった感じです。
点と点を繋いで
半ば強引に
一本の線にしていった感じです
――ということは、牧場で馬の世話からスタートした?
細田いえ、最初から海外です。ニューマーケットとケンタッキーに行って来いとお金を渡されて。空港に着いてすぐに地図を買って、牧場までの道を覚えたり、とにかくたくさんの方に挨拶をして……というセルフトレーニングでした。
――具体的な指示は何かあったんですか。
細田ないです。自分の目で馬を見て勉強をして、とにかく顔を売って来いと(笑)。
――盛大に恥をかいて、いっぱい痛い思いをして、そこから学べと?
細田振り返ると、そういうことだったんだろうなとわかりますが、当時は、目の前のことでいっぱい、いっぱいで(苦笑)。知らない牧場にいきなり電話をして、馬を見せてくださいとお願いしたりとか……若気の至りですけど、そうやって点と点を懸命に繋いで、半ば強引に、線にしていった感じです。
――どんな仕事でも、結局は、人と人ですもんね。
細田おかげさまで、いまは、どこにいっても、知り合いがいます。
――とはいえ、日本国内と違って、文化もルールも、それぞれ異なる外国で仕事をしていると、いろんなトラブルに巻き込まれることも多いんじゃないですか。
細田多いか少ないかはわかりませんが、トラブルはつきものです。
――例えば?
細田契約が無事に終わり、輸送の手続きも済んで、あとは飛行機に乗せるだけという段階になって、通関の許可が下りなかったときは、さすがに焦りました。
――通関、ですか?
細田高い金額で買った馬でも、産駒が走らないと一気に価値が下がりますし、その逆もあるじゃないですか。でも、競馬を知らない人は、それが理解できない。この金額で国内に入ってきて、こんな金額で出るのはおかしいと言われて……。書類を作り直して、なんとか無事に通関の許可は下りましたが、あのときは、冷や汗が出ました(苦笑)。
ウインドインハーヘア
オルフェーヴルにジャスタウェイ
そして…シスキン
――嬉しかったことも、たくさんあるんでしょうね。
細田最近で言うと、今年、デビューしたシスキン産駒の馬が、デビュー戦で勝ってくれたことです。
――シスキンと言うと、デビューから無傷の5連勝で、アイルランドの2000ギニーを勝ったあのシスキン!? あの馬を種牡馬として日本に連れてきたのは、細田さんの仕事ですか?
細田はい。種付けのシーズン中に、ひっくり返って腰を悪くしてシーズンを棒に振り、今年デビューできるのは、5頭か、6頭しかいないんですが、その中の一頭、キトンインザスカイがデビュー戦で勝ったときは本当に嬉しかったですね。新種牡馬は、初年度産駒の馬の成績で判断されてしまうことが多いので、すごく価値のある1勝でした。
――1年目で判断されちゃう?
細田これは日本に限ったことではありませんが、1年目に勝てないと、この馬の産駒は走らないというイメージが先行してしまい、あっという間に、離れていってしまいます。僕の立場としては、サンデー系の馬が勝つのは、もちろん嬉しいんですけど、父系の違う馬が成功するというのは、繁殖を考えたときに、自由度が一気気に増すので、とても大きなことですし、それが、自分の関わった馬ということになると、尚更です。
――表にはあまり出てこないですけど、他にも、細田さんが関わった馬はたくさんいるんでしょうね。
細田ウインドインハーヘアもそうです。
――ウインドインハーヘアって、ディープインパクトのお母さん!? え〜〜〜〜〜〜っ、それって、めちゃ、めちゃ、すごいじゃないですか。
細田社台グループとウインドインハーヘアの間に、目には見えない縁があったんだと思います。
――この馬に、この馬をつけようとか、そういう仕事もされたりするんですか。
細田チームとして、そういう話し合いをすることはあります。
――狙い通り! やったぜ!! という馬を、1頭、2頭、名前を挙げてくださいとお願いしたら――。
細田オルフェーヴルとジャスタウェイが、そうですね。
――ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、待ってください。ウインドインハーヘアの衝撃もすごかったですけど、今度のも、同じくらいのインパクトです。
細田たま、たまです(笑)。たま、たま、チームの狙いが当たったということで、競馬と同じで、外すことの方が多い仕事ですから。ただ、たま、たまということも含めて、この業界に入らないと見えなかったものがたくさんあって、それを間近で見られたことは本当に良かったし、幸せだったと思います。
――最後にひとつ、細田さんにお訊きします。個人的な目標というか、目指すものを教えてください。
細田すごい馬を出したという気持ちはありますが、最後の最後は、競馬の神様の範疇になると思っているので、神様に微笑んでもらえるように、自分をアップデートし続けることが大事だと思っていますし、いつまでも、それができる自分でいたいと思っています。
(構成:工藤 晋)
細田 直裕 ほそだ・なおひろ:
1967年生まれ 慶應義塾大学卒業後、某百貨店勤務を経て1992年社台コーポレーション(旧社台ファーム)入社。
入社以来、社台グループの海外担当として、主に種牡馬や繁殖牝馬の仕入れ買付輸送等を一手に担う。
キャプテン渡辺:1975年10月生まれ。お笑い芸人。競馬、競輪、パチンコ、パチスロは趣味の域を超えていまや生活の一部に。特技は関節技。現在テレビ東京系列で放送中の『ウイニング競馬』にレギュラー出演中。YouTubeで競馬予想更新中。