ゲスト ノーザンファーム顧問 中尾 義信 さん
02. ここまで27年……さらに発展するためには、弛まぬ努力が欠かせません。
吉田善哉代表には
たくさんのヒントをいただきました
――中尾さんが社台グループに入社されたのは……。
中尾1982年なので、ノーザンファーム、社台ファーム、白老ファームに分割・再編される前……旧社台ファーム早来牧場は、(吉田)善哉さんが代表で、総務・経理が2人、庶務を担当される方が1人で、営業は(吉田)勝己場長ともう1人という体制でした。
――えっ!? それだけですか?
中尾それだけです(笑)。
同時に入社したのは2人で、1人は、(吉田)照哉さんに、「お前はこっちに来い」と連れて行かれて、残ったのが僕です(笑)。――なんか、いま、すでに伝説として語られているような方のお名前を次から次に聞いたような気がするんですが……。
中尾僕にとっては、すべてが縁でした。何かを得るために努力をすることはもちろん大切ですが、それとは別に、僕の人生は、人と人との縁に恵まれた人生だったと思います。
――伝説の人、善哉代表は、どんな方だったんですか。
中尾仕事場では、とにかく怒っている人でした。いつでも、どこでも、誰に対しても怒っていて。怒るというのはエネルギーがいることですからね、あれだけ怒り続けられるというのは、もう、それだけで、すごいことだと思います。
――そんなに、ですか?
中尾当時は気が付きませんでしたが、いま、振り返ると、少しでも気を緩めると怪我をする仕事ですから、みんなを戒める意味で気合を入れられていたのだと思います。善哉代表は、ここは、こうだ! これはこうだ! ということをはっきりと口にされる方ではありませんでしたが、物事を考える意味で、とにかく、たくさんのヒントをいただきました。
庭先取引からせりへ――
購買者の方の応援がなければ
失敗していたと思います
――セレクトセールがスタートしたのは、その善哉代表がお亡くなりになられた後でした。
中尾善哉代表の時代に、すでに、繁殖牝馬のセールをやっていたので、それを原型にして、セレクトセールに至るという感じです。
――あぁ、そう、なんですね。僕は、すべて、“庭先取引”と呼ばれる、牧場の方と馬主さんの直接取引なんだと思っていました。
中尾善哉代表が亡くなられて2年ほど、すべての機能が停止してしまって。みんなが、このままじゃだめだ。何かを変えなくてはという気持ちになって、苦しみ抜いた末にたどり着いたのが、セレクトセールでした。
――中尾さんはその立ち上げから携わっておられるんですよね。
中尾中心的な役割を担うのは社台グループですが、日本競走馬協会の主催で、日高の生産者の方、購買者の方、皆さんにとってプラスになるものにしなければいけないということで、それはもう、大変な作業でした。
――その中心となったのが、現ノーザンファーム代表の吉田勝己さんです。
中尾立ち上げ時は、誰か一人が中心にならないと、まとまるものもまとまらない。そこで白羽の矢が立ったのが、“剛腕”勝己社長です(笑)。ただ、中心となるには、それだけの業務と責任も伴いますから、大変な苦労があったと思います。
――何が一番というのはないと思いますが、中でも、「これは大変だったなぁ」というのはどういうことでしょう。
中尾ルール作りから運営の仕方まで、何もかも、すべてです(苦笑)。上場馬を選ぶにしても、当時の社台グループから、中小、家族規模でやっている牧場まで希望も事情もそれぞれですから、100点満点とはいかなくても、「これなら、まぁ、いいか」と、みんなが納得して、合格点をつけられるようにしなければいけない。大変な作業でした。
――その中で、あえて、ひとつと言われたら?
中尾う〜〜〜〜〜ん、ひとつですか……。去年まで、牧場に来て、そこで成立していた取引を、「今年からすべてセリになりました」と言わなければいけなくなったことでしょうか。社台グループとしても苦しかったですが、日高の牧場の方はそれ以上に苦しかったと思います。
――長い年月をかけて築き上げてきた、調教師の先生や馬主さんとの信頼関係を、自分たちの手で壊さなきゃいけないだから、それは、大変というか、ある意味、ムチャです。
中尾牧場の方にとっては、それまでの信頼関係が崩れるというデメリットが生じる代わりに、良い馬を作れば高い値がつくというメリットもあります。でも、購買者の方……とりわけ、長く競馬に携わり、牧場との確かな信頼関係を築いて来られた購買者の方にとっては、誰も彼もが参加できるせりはメリットが少ない。セレクトセールが日本の競馬に根付いたのは、そういった購買者の方が、積極的にせりに参加し、応援してくださったお陰だと僕は思っています。
今年が27回目。
この先、50回、100回を迎えるために
必要なこととは?
――文句を言ってくる人もいたでしょうね。
中尾「納得がいかない」という方も、「本当に売らないの?」と何度も聞いてくる方もいらっしゃいました。お馴染みさん、ご贔屓さんを大切にするというのが商売の鉄則ですから、それも、当然の反応です。
――どうやって、そういう方を納得させたんですか?
中尾すべての方が納得したのかと言われたら、決してそうでなくて、最後まで納得はされなかった方も中にはいらっしゃったと思います(苦笑)。
でも、そうしないといい馬が買えないとなったら、これはもう、北海道に足を運ぶしかないわけですから、最初はしぶしぶ、やって来られて――。
――一度、せりに参加したら、あまりの面白さに病みつきになった?
中尾相手と競って、自分の力で手にした馬というのは、それだけの価値がありますし、愛情もありますから、より競馬がいい方向に動いていくと僕は信じています。
――今年で27回目。ここまでくるのは長かったですか。
中尾ここにきて日高の馬も高い評価を受ける馬が増えて来ましたし、他のセールとの連動も、少しずつですけど、活発になって来ているので、やって来て良かったというのが素直な思いです。
――ここまで来るという自信はありました?
中尾トップクラスの馬がセリに出て来たら盛り上がるだろうなというのは思っていました。サンデーサイレンスの仔もいましたから。ただ、そう思ってはいましたが、ここまで大きくなるとは思っていませんでした。
――第1回は、当歳と1歳を合わせた売上の総額が、50億円弱。それが、昨年は281億円超えです。
中尾特にここ数年は非常に高い評価をいただいており、皆さんには感謝しかありません。ただ、時代の流れとともに変わっていかなければいけないし、時代が変わっても、守っていかなければいけないものもまた、あります。そのためには、皆さんのご協力と関係者の弛まぬ努力が必要だと考えています。
(構成:工藤 晋)
中尾 義信 なかお・よしのぶ:
1959年4月生まれ。ノーザンファーム顧問。長年、ノーザンファームに勤務し事務局長等を歴任。
1987年旧社台ファーム繁殖牝馬セールはじめ、88年レックス・ノミネーションセール、そして98年のセレクトセール開始当初からメインの鑑定人として活躍する。
キャプテン渡辺:1975年10月生まれ。お笑い芸人。競馬、競輪、パチンコ、パチスロは趣味の域を超えていまや生活の一部に。特技は関節技。現在テレビ東京系列で放送中の『ウイニング競馬』にレギュラー出演中。YouTubeで競馬予想更新中。