ゲスト 菱田 裕二 騎手

02. 愛する家族のために、もっと、もっと、もっと、頑張ります!

愛する家族のために、もっと、もっと、もっと、頑張ります!
30度目の挑戦で手にしたビッグ・タイトル。テーオーロイヤルに、師匠・岡田稲男調教師に、支え続けてくれた家族にさらなる飛躍を誓ったヒッシー、菱田裕二騎手。後半のインタビューでは、ジョッキーを目指した理由、20年前に見た光景、後輩へのアドバイスなど、多岐にわたって話をしてくれました。

サッカー少年からジョッキーへ
菱田少年を導いたのは……

――菱田少年は、京都パープルサンガのジュニアチームに所属していて、将来は、Jリーガーを夢見ていたと書いてあるけど。

菱田本当です。いまでも、パープルサンガを応援していて、試合を見ているときは、アドレナリンが出まくっています(笑)。

――それが、なぜ、ジョッキーに?

菱田はじめて競馬場に行ったのが、小学校5年生のときなんですけど、大袈裟ではなく、そのとき、僕の運命が決まった感じです。

――ヒッシーが小学校5年生というと……。

菱田2004年です。5月2日の京都競馬場で――。

――10番人気のイングランディーレが大逃げを打ち、そのまま逃げ切った天皇賞・春だ。ん!? ちょっと、待った。イングランディーレに騎乗していたのは……ヒッシーとテーオーロイヤルのコンビが優勝した天皇賞・春で大逃げを打ったマテンロウレオに乗っていたノリさん(横山典弘騎手)だ。

菱田そうです、そうです。

――そうか。あのレースを見て、菱田少年のゲートが開いたわけだ。

菱田そこはちょっと違っていて(苦笑)。パドックで馬を見た瞬間、ものすごい衝撃を受けて、これだ!と感じたんです。

――そこからは、ジョッキー一直線?

菱田僕的には、そうです。でも、なかなか両親には言い出せなくて、図書館で手当たり次第に馬の本を見て、買った雑誌も見つからないように隠して。毎日のように競馬学校のホームページを見ていたんですけど、見た後は、必ず履歴を消していました。

――両親にはいつ、カミングアウトしたの?

菱田中学3年になって、進路を決めないといけなくなったときです。でも、父には反対されて。それは認められない。高校だけはいっくれと言われました。

はじめて味わった挫折…
馬に乗るのが怖かった

――それでも、菱田少年は諦めなかった?

菱田競馬学校を受験して、もし落ちても、1年間、牧場で働きながら勉強をしてでも騎手になる覚悟があるという話をしたら、最後は、わかってくれました。

――ヒッシーも偉いけど、お父さんも偉い。

菱田時期もよかったんだと思います。ディープインパクトの出現で、新聞、雑誌が大々的に取り上げ、テレビではディープの走りを科学的に分析するという番組もあったりしましたから。それで許してくれた部分もあると思います。

――ディープの出現で、競馬はギャンブルでもあるけど同時にスポーツ的な要素も強く、もジョッキーもアスリートだと見られるようになったからね。で、そうやって入った競馬学校はどうだったの?

菱田記憶にないくらい、悲惨でした(苦笑)。
同期はみんな乗馬が上手いのに、僕だけ下手くそで。やっても、やっても、上手くならない。それでも、自分は下手だ、技術がないというのを素直に認めることが出来なくて……留年が決まったときは、目の前が真っ黒で、絶望しかありませんでした。

――そうか……ヒッシーは競馬学校が好きすぎて、人より一年多く学んだわけだ。

菱田そうとも言えます(苦笑)。でも、これは、強がりでもなんでもなくて、いまは、あの時、留年してよかったと思っているんです。

――WHY? なぜ? どうして?

菱田教官に、技術的なこともあるけど、メンタル面……馬に乗るときに、“恐怖心”が見えると言われて。

――マジで!? 騎手志望で、そんなことってあるの?

菱田実際、教官に言われた通りでした。技術がないから、馬をコントロールできない。制御できないから、どこへ行くかわからないジェットコースターに乗っているような気持ちになり、結果、馬に乗るのが怖くなる……その繰り返しで、まるで出口の見えない迷路にハマり込んだような感じでした。

――やめよう、もう、諦めようとは思わなかった?

菱田まったくなかったわけではありませんが、これで帰ったらカッコ悪すぎるよなと思って(苦笑)。人より一年多く学んだおかげで、卒業するときは、技術も身につき、恐怖心もなくなっていました。

――それだけ苦労して掴んだジョッキーの切符なんだから、デビュー戦を迎えたときは嬉しかったでしょう。ドキドキ、ワクワクで、前の日は眠れなかったとか。

菱田それが……ゲートを出て、中団につけたというか、中団にいて、そのまま、何もできないままゴールしていたという感じです(苦笑)。

――もしかして、競馬学校のときと一緒で、デビュー戦も記憶がない?

菱田記憶はあります。何もできなかったという記憶が(苦笑)。

20年前の自分に捧げる勝利

――今年デビューした騎手たちも、そんな感じなのかな?

菱田いえ、最近の子は全然違います。ちゃんとわかって乗っているし、周りも見えているし、レースの流れも掴んでいます。

――新人騎手と乗るときは、やっぱり気を遣いますか。

菱田いま、振り返るとですけど、僕らのときも、先輩たちが、レース中に事故が起きないように気を遣ってくれていたんだと思います。だから、先輩たちがそうしてくれたように、僕も同じように新人の騎手には声をかけるようにしています。

――どんな言葉をかけるんですか。

菱田返し馬に出る前に、「アブミを長めにして、落ちないように」とか、「馬がちゃんと走ってくれるから、乗っていれば大丈夫だから」とか、ですね。

――ヒッシーは優しい。でも、怖い先輩もいるんじゃないですか。

菱田みんな優しいですよ(笑)。

――いそうだけどなぁ(笑)。

菱田強く言ってもらえることで覚えることもあるし、身に染みることもあるし、心に刻まれる言葉もあります。何も言わずに黙っていた方が楽なのに、それでも、事故が起きないようにと思っていってくれることなので、僕はその言葉を大事にしてきたし、若い子達にもそうして欲しいとは思います。

――最後に、もう一度、テーオーロイヤルとともに勝ち取った天皇賞・春のレースのことを伺います。30回目の挑戦で手にしたGIのタイトルは、師匠・岡田稲男先生にとっても初のGIタイトルでした。

菱田先生には、感謝しかありません。感謝しても、感謝しても、感謝しても、まだ足りないくらい、感謝の気持ちでいっぱいです。

――最初は、騎手になることに反対して、お父さんが見ている前での勝利でした。

菱田最後は背中を押してくれた父の前で、やっといいところを見せられて、嬉しいのと同時に、ホッとしているところもあります(笑)。

――勝利ジョッキーインタビューで、ヒッシー自身が口にしていたように、20年前の自分に見ていてくれと言いたいような鮮やかな勝利でした。

菱田コーナーを回りながら、20年前に見た光景が蘇ってきて。どうだ!見たか!と言いたい気持ちになりましたね。

――表彰式終了後、真っ先に向かったのは家族の元でした。

菱田ずっと支え続けてくれた妻と、生まれてきてくれた2人の子供が僕の原動力。家族のために、もっと、もっと、もっと、頑張らなきゃいけないし、頑張ります!

(構成:工藤 晋)

菱田 裕二 ひしだ・ゆうじ
1992年9月26日 京都府出身
初騎乗は2012年3月3日、中京1R、バトルマグマに騎乗(4着)。
初勝利は、12年4月14日、阪神1Rの3歳未勝利戦。パートナーは、トーブプリンセス
18年8月19日、アレスバローズで重賞初制覇(北九州記念)。
GI初騎乗は、13年5月5日のNHKマイルカップ(ディアセルヴィスで10着)
デビュー13年目、30回目のGI挑戦となった天皇賞・春をテーオーロイヤルで制し、GIジョッキーの仲間入りを果たした。

キャプテン渡辺:1975年10月生まれ。お笑い芸人。競馬、競輪、パチンコ、パチスロは趣味の域を超えていまや生活の一部に。特技は関節技。現在テレビ東京系列で放送中の『ウイニング競馬』にレギュラー出演中。YouTubeで競馬予想更新中

※この記事は 2024年6月11日 に公開されました。
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