ゲスト 長谷川 雄啓 さん
02. 人の輪と、世代を繋ぐ、心温まる大切なイベント。それが、ジョッキーベイビーズです!
優勝ではなく、挑戦することに意義がある
――長谷川さんは、『ジョッキーベイビーズ』(正式名称:全国ポニー競馬選手権)のスタートから関わっていて、“ジョッキーベイビーズの主”とも、“ジョッキーベイビーズの神”とも呼ばれていますが。
長谷川ウソ、ウソ。そう言っているのは、キャプテンだけでしょう?
――バレ…ました!? でも、スタートから、真剣に向き合い続けてきたのは、間違いありません。
長谷川『ジョッキーベイビーズ』以前は、引退された騎手によるエキシビション競走『ジョッキーマスターズ』があって。すごく盛り上がっていたんですが、レースに騎乗するための練習時間が十分に確保できないとかさまざまな問題が生じて、過去ではなく、未来を見据えて、全国各地で乗馬に励んでいる子どもたちの夢舞台として、2009年に『ジョッキーベイビーズ』が、誕生したんです。そのイベントに最初から関わらせていただいているというのは本当に嬉しいことです。
――今年で13回目。数多くの子どもたちがここをステップにして、ジョッキーになっています。
長谷川多いですよ。夢の舞台である決勝大会、東京競馬場で走った経験を持つ子だけでも、木幡巧也、斎藤新、松本大輝、菅原明良、角田大和、佐藤翔馬、小林勝太、横山琉人、永野猛蔵(敬称略)の9人もいますから。
――決勝大会には出てこられなかったけど、そこから頑張ってジョッキーになった騎手もいますよね。
長谷川います。藤田菜七子、木幡育也、荻野極、西村淳也、大塚海渡、小沢大仁、西塚洸二、今村聖奈、永島まなみ、角田大河、大久保友雅(敬称略)の11人。全部合わせると、20名ですね。
――“ジョッキーへの登竜門”と呼ばれるのもわかります。
長谷川そう…なんですけどね。でも、あくまでもこのジョッキーベイビーズの基本理念は、日頃、乗馬を頑張っている子どもたちに東京競馬場の芝コースを走らせてあげたいというJRAからのプレゼントで。そこを間違えちゃいけないと思うんです。
――決勝大会に出ること、そこで優勝することが目的じゃない?
長谷川そうです。決勝大会で、東京競馬場で走った経験を持つ子は、もう一度、あそこで走りたいと頑張りますし、決勝大会に出られなかった子達は、その悔しさをバネに頑張る。それでいいんですよ。将来のジョッキーを育てることが目的じゃないんです。
実際、地方や海外でジョッキーになったり、JRAの職員になったり、装蹄師になったり、中には、育成牧場を継いだという子もいますし、たくさんのホースマンを輩出しているイベントだということをもっと多くの方に知ってほしいし、ずっと続けて欲しいなと思います。
人の輪が紡ぎ出すドラマの数々
――嬉し涙。悔し涙。そこにはたくさんのドラマがあるんでしょうね。
長谷川両手の指では数えきれないほどの素敵なドラマがありますよ。
――いくつか、教えてもらえますか。
長谷川本馬場入場のときにしゃべる、子どもたちひとりひとりの紹介コメントは、僕が考えているんですけど、昨年、優勝した東北・新潟地区代表の松浦太志君のお母様から、予選のレースの後、『ウチの子はこの予選会を見て、ボクも挑戦したいと乗馬を始めたんです。長谷川さんの声で紹介してもらえるなんて…。感動しました』と言っていただいて。お母様の目も潤んでいたんですけど、それを聞いた瞬間、僕も泣きそうになってしまって。涙を堪えるのに必死でした。
――いい話ですねぇ。
長谷川いい話は両手に抱えきれないほどたくさんあるんですが、一度だけ、落馬で手の甲の骨を折るという事故が起きてしまったことがあって。
――それは一大事です。
長谷川安全第一のイベントですから。場合によっては、その年だけではなく、将来的に、イベントそのものがなくなってもおかしくはなかったんです。
――そうなっても、不思議ではないですよね。
長谷川そうなんです。でも、お母様が、ウチの息子の怪我が原因で、こんな素敵なイベントがなくなってしまうのは困るので、ぜひ続けてくださいとおっしゃってくださって。その言葉をもらったと知ったときは、胸が熱くなりました。
――そうやって、どんどん人の輪が広がっていったんですね。
長谷川人の輪ということでいうと、台風の影響で、開催が1日順延になったことがあって。たかが1日と思うかもしれませんが、このイベントに関わってくださるたくさんの大人たちの協力がないとできないので、それほど簡単なことではないんですよ。
でも、全員が、“いいよ”、“やろうよ”と言ってくださって。あのときも、ジーンとしましたね。
その光景を心のアルバムに刻み込んでほしい
――いい話のオンパレードじゃないですか。どうして、そういういい話を今まで隠していたんですか。もっと教えてください。
長谷川隠していたわけじゃないんだけど(笑)。世代を超えてというキーワードでいうと、第6回、角田大和君が優勝したときのことなんですけど。
――角田晃一調教師の息子で、角田大河騎手のお兄ちゃんですね。
長谷川そうです。大和君も2年前に騎手としてデビューして、1年目は20勝、2年目の昨年は41勝したホープなんですが、その大和君が優勝したときにプレゼンターとして来てくださったのが、田中勝春騎手だったんです。
――カッチー!? そうか、現役の騎手が、プレゼンターとして来てくれるんですね。
長谷川そうなんです。子ども達にとっては、それが嬉しいご褒美になっているんですが、角田調教師と田中勝春騎手は、競馬学校の同期なんですよ。
――確かに、そうでした。2人は競馬学校の5期生です。
長谷川でね、勝春騎手が、表彰式の前に、ぼそっと、一言、「角田の息子かよ。なんか、いやになっちまうなぁ」とつぶやいたんです。その表情が、嬉しいような、困ったような、なんともいない感じで。世代というのはこうして繋がっていくんだなと思いました。
――僕ら古い世代の競馬ファンにとっては、たまらない話ですね。
長谷川第5回大会で優勝した斎藤新君のときのプレゼンターは、武豊騎手だったんですけど、インタビューで新君が、「将来の夢はジョッキーです」と言ったら、横で聞いいていた豊さんが、「必ず一緒に乗りましょう!」と最高の言葉を贈ってくれて。6年後に新君がジョッキーとしてデビューして、あの時の約束が実現しているのを見ると、感慨深いものがありますよね。
――うううううっ。やばいです。マジで…泣きそうです。
長谷川じゃあ、もうひとつだけ。第7回大会で決勝大会に進んだ永野猛蔵君が、新潟競馬場のウィナーズサークルで表彰式に臨んでいた内田博幸騎手に、「内田さん、内田さん!」と大きな声で呼びかけて、「僕、ジョッキーベイビーの大会に出るんですけど、記念に今、手に持っているターフィー人形をもらえませんか?」と、叫んだんです。
――また、ムチャなお願いをしたものですね。
長谷川そう思うでしょう? ところが、内田騎手は、「競馬場で頑張れたときにプレゼントとするから」と言って、実際、その年のプレゼンターとして来てくださり、永野君だけじゃなくて、レースを走った8人全員にターフィー君をプレゼントしてくれたんです。すごくないですか?
――号泣する前に、最後の質問をさせてください。今年も、10月8日に、東京競馬場で決勝大会が行われる予定ですが、見どころ、楽しみ方を教えてください。
長谷川今年は、8名の子どもたちの内、半分は女の子だというのと、東海地区代表として、川田将雅騎手の息子の川田純煌(かわだぎんじ)君が出場することが話題になりそうですが、そうじゃない、8名全員が主役です。みなさん、当日は、東京競馬場に足を運んでいただき、レース中は、「頑張れ!」、表紙式では、「おめでとう! よく頑張った!」という声をかけてあげてください。よろしくお願いします!
――子ども達には、なんと声をかけますか。
長谷川400mのところから広がる緑のターフ。正面に見えるゴールと右に聳える巨大なスタンド。湧き上がる拍手と歓声。それはすべて君たちへのご褒美だから、しっかりと目を見開き、そこに広がる景色を、目に映る光景を、余すところなくすべて心のアルバムに刻んでほしいということ。僕が言いたいのは、それだけです。
(構成:工藤 晋)
長谷川 雄啓 はせがわ・たけひろ:
11月13日生まれ。東京都出身。
大学在学中にスカウトされキングレコードよりデビュー。卒業後、第一プロダクションに入社。平成元年に同社を退社し、フリーのディスク・ジョッキーに。FM NACK5で、『BEAUTIFUL SONGS〜こころの歌〜(月〜木12:45〜1300)ほか、多数のラジオで活躍中。
JRA『ビギナーズセミナー』の講師をはじめ、毎年恒例となっている『ジョッキーベイビーズ』のMCを務めている。
キャプテン渡辺:1975年10月生まれ。お笑い芸人。競馬、競輪、パチンコ、パチスロは趣味の域を超えていまや生活の一部に。特技は関節技。現在テレビ東京系列で放送中の『ウイニング競馬』にレギュラー出演中。YouTubeで競馬予想更新中。