きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

中山を彩った名馬たち【15】セイウンスカイ
1998年4月19日 第58回皐月賞

乗り替わり――。
スポットが当たるのは1着のみ。2着以下はすべて敗者とみなされ競馬の世界で、オーナー、調教師がもっとも頭を痛めるのが、この乗り替わりの決断を迫られたときだろう。
情はある。できることならば、乗せてあげたい。しかし……。勝つためには、非情の決断をしなければならないときもある。ましてそれがGI、クラシックの舞台となればなおさらだ。

1998年1月5日、中山6R芝1600mの新馬戦でデビューしたセイウンスカイの評価は、単勝5番人気と驚くほど低かった。このレースを6馬身差で圧勝。続く2戦目、1月25日、中山で行われたジュニアカップでも5馬身差をつけて連勝し、一躍、クラシック候補として脚光を浴びることになった。鞍上は、デビュー7年目の徳吉孝士騎手。
――この馬で夢を掴みたい。
このとき、徳吉騎手の想いは、どこまでも広がっていたはずだ。
ところが……。
ジュニアカップ後に悪化したソエの影響で、万全とはいえない状態で挑んだ弥生賞でスペシャルウィークの急襲に屈し、2着に惜敗。皐月賞を前に、陣営は、乗り替わりという大きな決断に迫られた。
白羽の矢が立ったのは……横山典弘騎手。乗り替わりを宣告された騎手は、逍遥としてそれを受け入れ、乗り替わりを依頼された騎手は、プロフェッショナルとしてその期待に応える騎乗をする。それが、騎手の宿命とはいえ、抱える想いはまた別の問題だ。
当時、横山騎手は、「孝士のためにも勝ちたい。セイウンスカイはアイツが育てた馬だからね」というコメントを残している。
――すべては皐月賞を勝つために。
チームの想いを背負ったセイウンスカイは、デビューからずっと走り続けてきた中山のコースを軽快に駆け抜け、最後の直線、満を持して先頭に躍り出ると、キングヘイロー、スペシャルウィークの猛追を抑え、悲願でもあった栄光の座を勝ち取った。
「いつも武豊じゃ、面白くないでしょう」
そう胸を張った横山典弘騎手の胸の中には、きっと徳吉孝士騎手への思いが詰まっていたに……違いない

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