調教師。騎手。馬券を買う人。
馬主、実況アナウンサー。
そして、スターター。
様々な人の思惑、
推理、強い念が交差する時間。
当コラムは、
発走時刻1分前にまつわるコラムです。
第25回垣花 正 さま
忘れたくても忘れられない発走時刻1分前。
あの日、私は東京駅、八重洲地下街のスターバックスコーヒーのカウンター席にいました。
八重洲地下街にはクリスマスツリーが飾られて、手を繋ぐカップルや買い物途中の笑顔の家族などたくさんの人で華やいでいました。なぜ私はそんななか発走1分前の緊張感に震えていたのか、2005年クリスマスの日の私の置かれていた状況の説明にしばしお付き合いください。
私は現在フリーランスのアナウンサーをしています。2019年まではラジオのニッポン放送のアナウンサーでした。
ニッポン放送といえばクリスマスイブからクリスマスにかけて24時間生放送のチャリティ特別番組を放送します。1975年から現在も続く毎年恒例の番組で、リスナーにとっての年末の風物詩が「ラジオチャリティーミュージックソン」。そして言うまでもなく年末の風物詩といえば有馬記念です。
クリスマスイブやクリスマスが日曜日だと、ミュージックソンと有馬記念が重なり、競馬ファンのニッポン放送社員は大変なんです。ミュージックソンには社員総出で取り組みますから。
「今年はミュージックソン明けで有馬だね」
そんな会話をあの年もしていました。
有馬記念をどこで観戦するか、馬券をいつ買うかという事はもちろんですが、私にはもう一つあの年クリアしなければならない大きな問題がありました。
借金です。
チリも積もれば、ではないですが、いつしか膨らんでしまった借金を何とかしなければなりませんでした。8社ほどからの借金の毎月の返済は息切れぎみで、家賃も滞納していました。
無敗の三冠馬ディープインパクトの有馬記念で一発勝負して、増やすしかない、という状況でした。
ミュージックソンの生放送にどんな形で関わったか正直、記憶がありません。しかしミュージックソンが終わったあとなぜ競馬場でもテレビの前でもなくスターバックスにいたのかについてはよく覚えています。
私はその日、夕方からもう一つ仕事が入っていました。
糸井重里さんの「ほぼ日」さんからいただいた仕事。糸井重里さんとタモリさんのトークのアシスタントです。私はミュージックソンを終えたあと、貯金(と言ってもいただいたばかりのボーナスとその日振り込まれた給料ですが)をすべておろして、WINSに向かいました。
たしか百万は超えていました。券売機に入れるのに時間がかかったのを覚えています。
馬券は一点です。
無敗の三冠馬ディープインパクト。そして同じサンデーサイレンス産駒のジャパンカップ二着馬ハーツクライ。
馬単一点勝負でした。
そう、馬単なんです。
無理して馬単にせず馬連にしていれば見事に的中し、それはそれは素晴らしいクリスマスになるはずでした。
後方からしか競馬ができないはずのハーツクライを、ルメールが先行させます。
ラジオの実況アナがそう伝えています。
嫌な予感。
「まだディープインパクトは後方!」
僕はひとりで見えないディープに話しかけます。
ディープどうした?
差せ!ディープ!差せ!
競馬ファンには説明不要ですね。
ディープインパクトが国内で唯一負けたレースがあの日の有馬記念でした。
馬券が紙屑になったあとしばらく世界は無音になりました。
なんとも言えない不思議な時間がしばらく流れていました。
心の片隅に「タモリさんからお金借りられないかな」という言葉が浮かびました。
実行しなくて良かったです。
発走時刻1分前。
あの日に戻って自分を止めたいか?
いいえ(笑)。
あの経験があるから今の私がいるのです。
そう言わせてください。
※この記事は 2023年11月17日 に公開されました。