調教師。騎手。馬券を買う人。
馬主、実況アナウンサー。
そして、スターター。
様々な人の思惑、
推理、強い念が交差する時間。
当コラムは、
発走時刻1分前にまつわるコラムです。
第24回目黒 貴子 さま
発走時刻 1分前
競馬場のスタンドから。あるいは自宅のTVの前で。例えば検量室前のモニターの前で。発走時刻1分前、私はある意味「達観」した心持ちでこれから始まるドラマを待っている気がします。
競馬の仕事を始めて28年目。仕事にもいろんなスタイルがある中で、私のベースになっているのは「話を聞くこと」でした。週末のレースについての抱負を該当馬の関係者である調教師や厩務員さんなどに伺い、どんな見解で予想しているのかを解説者や記者に。そして勝利したジョッキーへのインタビューなどなど。言葉のニュアンスや表情とともに感じたことを付け加えてリポートすること。 そんなことから、私が競馬新聞を広げて印の有無、クラスでの着順などをざっとみた後に、重点的に読み込むのは「関係者コメント」の欄。前走からの変わり身やコースに対する分析など、たった数行の中にもたくさんの情報が記されています。誰のコメントかというのも私には大きなポイントで、その人の顔を思い出しながら読むことにより感情が加わって予想に反映されている気がします。その馬に携わり、毎日毎日観察している人の言葉であり、ちょっとした変化も見逃さない姿勢で取り組んでいるわけですから重みがあります。よく「縦の比較、横の比較」と言いますが、関係者の言葉は最も精密な「縦の比較」だと思っています。そういった関係者のコメントを分析して同じレースに出走する馬たちと比較する、いわゆる「横の比較」は私たち競馬ファンに許された、贅沢な時間でもあると考えています。
検量室前という特殊な場所で仕事をしていた私は、関係者の感情も目の当たりにしてきました。喜びを爆発させる人、嬉しさに涙を流す人。悔しいけど納得の表情の人、「チッ」と納得がいかず怒りを露わにする人。もちろんレース前もピリピリしている人もいれば、平常心を保つように努力する人。そんな中、うっかり地雷を踏んで怒りを向けられ私も何度も落ち込んだり、いいコメントをゲットできて喜んだり。いろんな感情が渦巻く中で毎週ドキドキしていたと思います。特に勝利ジョッキーインタビューではどの馬が勝つのか、どの騎手にインタビューするのか。発走時刻1分前は、実は1番の緊張の時間、まさにそのピークだったと思います。(苦手な騎手じゃないといいなぁ)…こんなことばかり考えていました。実際に私の聞き方が悪くて怒らせてしまったり、そっけない言葉しか引き出せなかったり。逆に苦手にしていた騎手からたくさんコメントを引き出せて笑顔で終わることができた時の満足感たるや…。対して、急にバタバタと顔色を変えてコースに向かう関係者の姿を見ることもあります。これは馬に何かがあった時。その悲痛に支配された表情は見るのも苦しい。そんな悲しい場面も。検量室前は関係者のいろんな思いが錯綜する場所。それを見てきた今は…。
競馬を始めた頃は自分の妄想(馬券)が現実になるか、ワクワクのピークだったような気がします。競馬が仕事となり、週の初めには週末のレースについての情報を精査し、週中には追い切りの感触によって。そして枠順が決まってから。雑誌、新聞、TVなどを通じて、私の妄想もクルクルと変化します。「あ、この人がこんなこと言ってるんだ。じゃあ信用しようかな?」これも私にはよくあること。練りに練った妄想は発走時刻5分前くらいには馬券という形になって私の手元にあります。ギリギリまで迷うことはあまりありません。
発走時刻1分前。どんな結果も(当たっても当たらなくても)全てを受け入れる覚悟。そして「とにかくみんな無事に」と心からの切実な思い。いろいろなシーンを見てきたことで、1分前の心境も随分変わったなと思います。
数分後。どの馬も無事にゴールしたことを確認し、安心する。そして、「あー、いいレースだった」と感傷に浸る。勝った馬が引き上げてくるのを見て「本当によかったね」と称える時間。しかしながら、ハッと自分の妄想と向き合った時、それが現実に繋がることがほとんどないという「現実」こそ、私にとってはより向き合わなければならない重大な問題であることは言うまでもありません。
※この記事は 2023年10月27日 に公開されました。