発走時刻1分前。
調教師。騎手。馬券を買う人。
馬主、実況アナウンサー。
そして、スターター。
様々な人の思惑、
推理、強い念が交差する時間。
当コラムは、
発走時刻1分前にまつわるコラムです。

第26回土屋つちや伸之のぶゆきさま

お笑い芸人

締切のベルとともにマークシートを滑り込ませ、出てきた馬券を手にしてからが的中への最初の関門。

まずは買ったばかりの馬券を、ハズレ馬券たちと別のポケットにしまわないといけません。未来ある馬券に悪い気を吸わせないためです。箱の中のミカンが腐ってしまった画をイメージしてもらえば伝わるでしょうか。

その日の服装によってポケットが少ない場合は財布に入れてもいいですし、収める場所が財布しかなければハズレ馬券との間にレシートを挟みます。ミカンも予め間に新聞紙を挟んでおけば、隣を腐らせずに済むのと同じこと。レシートがなければせめてもの抵抗としてハズレ馬券と未来ある馬券を背中合わせにして、印刷面が触れないように気を付けます。

「はずれたら都度捨てればいいじゃないか」

浅草の師匠に言われたこともありますが、小心者の土屋にはハズレ馬券がハズレ馬券であることをじっくり確認する時間も必要なのです。最終レースが終わるまでキープさせて下さい。

思い返すと無意識にやっているマイルールは他にもあります。タバコは辞めてもう10年以上が経ち、今では匂いも苦手なのですが、競馬場やウインズに行くと無性に嗅ぎたくなって喫煙所に近付いてしまいます。

若手の頃。出番の合間に向かうウインズ浅草への道すがらで、串に刺した“シケモク”を吸っているおじさんを見かけることがありました。しかも、不思議と見かけた日に勝つことが多かったので、いつの間にかシケモクおじさんを吉兆と捉えるようになります。流れ星やドクターイエローみたいなものです。

路上喫煙とともにシケモクおじさんも見かけられなくなってしまった今は、せめてもの吉兆らしさを求めて、ついつい喫煙所に近付いてしまうのです。

なお、土屋の主戦場であるウインズ浅草は、華やかな競馬場とは対照的に首都圏では屈指の、渋いシニアが集う場外発売所。主に紺・茶・灰の三色で彩られていますが、そんな中でも、遜色なく…いや、むしろ群を抜いて汚いおじいさんだったのが、今は亡き我らがマセキ芸能社の会長でした。なにせ、事務所ライブを見に来た会長を、“路上の諸先輩”と勘違いした受付の新人が、やんわり追い返そうとしたことが一度や二度じゃないほど。芸能プロのトップとは思えない風体だったのです。

そんな会長ですが、シケモクおじさんとは対照的な存在でして、ウインズ浅草で会長に遭遇した日の土屋は大抵負けていました。会うと不吉の兆しだった会長、今は天国で競馬を楽しんでおられるでしょうか。

タバコの匂いとポケットの整理は今も継続していますが、廃止にしたマイルールに、“勝ったお金をその日に使い切る”というものがありました。

「競馬で勝ったあぶく銭は身に付けちゃいけねえからその日に使うんだ」

そう言って、馬券を当てた祖父がおもちゃやお菓子を買ってくれたのが嬉しかったから覚えていたのでしょう。祖父が亡くなってずいぶん経ってから始めた競馬なのに、最初の頃はせっかく得た配当も日付が変わるまでに必ず使い切っていました。

あれは2004年の皐月賞。ダイワメジャーを軸に3連複や馬単などを当ててしまい10万円ほどになりました。

本来なら喜ぶべきシーンですが、大学を出たばかりでお金の使い方を知らない貧乏芸人だった土屋にはあまりにも大金。その日のうちに使い切れないんじゃないかという不安に駆られます。当日いたウインズ汐留で競馬グッズをしこたま買って、友達2人と高級なお寿司をたらふく食べて、なんやかんやと頑張りましたが、それでもお金が余ります。

刻々とタイムリミットが迫る中、残った1万円を握りしめて焦っていると、駅に向かう途中の広場にジャグリングや玉乗りを披露している大道芸人さんがいました。「これだ!」と閃き、意を決して、彼が置いていたシルクハットに1万円札を入れたのです。彼はずいぶん驚いて、上手に投げ回していたマラカスが嘘みたいに次々落ちて転がりました。

何とか使い切ったこちらは安堵して帰ったのですが、あの瞬間の彼の表情とマラカスが落ちる映像がフラッシュバックしてなかなか寝付けないでいるうちに、その日に使い切る必要はないことにやっと気付き、勝ったお金を無理に使わないよう改めました。

発走時刻1分前のルーティーン。皆さんには何かありますか?今週は、競馬好きに会うたびに聞いてみようと思います。

※この記事は 2023年12月8日 に公開されました。


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