『どんな人だったって良く聞かれるんですが、とにかく72年の生涯を全力疾走したって感じでしょうか。
人のやらないことをやる挑戦の人、やり遂げるまで決して諦めない執念の人、言葉がたりないほどですね。
馬づくりは情熱、馬は情熱で走るんだって、それが口癖で情熱の人でもありましたね。
血統を大事にしていました。何より血統を伝えることに情熱を燃やした人でした』
『他界する直前には、今度はアイルランドに牧場を買うぞ、って盛んに言っていましたね。世界一の馬をつくるんだって。アイルランドは夏が良くってねぇ、素敵な土地柄なんですよ』
アイルランドは、スピードシンボリの父ロイヤルチャレンジャー、シンボリルドルフを出したパーソロンの生まれ故郷です。その双方の血を受け継いだルドルフは日本最強馬に育ちました。
情熱家・和田共弘さんの原点がそこにあると言っていいでしょう。
そこから今度は世界最強馬を送り出そうと情熱に燃えた稀代のホースマン共弘さんが亡くなられて15年の歳月が流れました。
『今はヨーロッパじゃなくてアメリカ、ケンタッキーに繁殖牝馬を置いてやっています。シンボリクリスエスも息子の孝弘が向こうで買った繁殖の仔です。
馬づくりは孫の代になりましたが、新しいシンボリで、ぜひG1を獲りたいって、必ずね』(完)
長い間のご愛読ありがとうございました。
取材にご協力いただいた和田容子さんはじめシンボリ牧場の皆さんに心より感謝しております。
次回は想を改め近日中にスタートいたします。
どうぞよろしくお願いします。
※この記事は2011年6月2日に公開されました。