ホースマン・サロン ホースマンが語る競馬への想い

【第1回】有馬記念とシンボリ牧場

ゲスト シンボリ牧場・和田容子さん 【第1回】有馬記念とシンボリ牧場

ときおり寒風が吹き抜けるが冬とは思えない穏やかな陽差しに包まれた放牧場。 一頭のサラブレッドのかたわらに柔和な表情の老夫婦がたたずんでいます。 サラブレッドの名はシンボリルドルフ。 真っ直ぐに背筋を伸ばして気品をただよわせながらルドルフに語りかけるのは和田容子さんです。 “昭和の大ホースマン”和田共弘夫人その人でした。

巷にジングルベルが響きはじめると、もう有馬記念の季節です。今年で55回目、半世紀以上の年輪を刻んだことになります。この師走の国民的催事から数々の名勝負、名馬が生まれました。

シンボリ牧場は有馬記念とは深い絆で結ばれています。史上初のグランプリ連覇を飾ったスピードシンボリ以来、シンボリルドルフ、シンボリクリスエスと連覇ホースを輩出、実に3頭で6勝という大偉業を成し遂げています。

『スピードシンボリが走っていた頃は、まだトレセンができる前で競馬場と厩舎が一緒の時代でした。だから、朝起きるとおはようって馬房をのぞいて、昼は競馬場でレースに付き添って、夕方にはまた馬房で馬の顔を見る、いつも馬と一緒、馬、馬、馬の毎日でした。

でも、それがちっとも苦じゃなくて、レースに勝ったりしようものなら、みんな集まってきて必ず宴会をしていましたね。みんな若くて、元気があって、楽しかったですよ』

スピードシンボリが走った時代は、高度成長の坂を駆け上がりつづけた日本が一息ついて、労働時間の短縮や休日の増加など、庶民の目が余暇に向きはじめた頃のことでした。レジャーやエンタテインメントが普及しはじめた新時代のヒーローとして彼は世の中から迎え入れられたのです。

『スピードシンボリは5度も有馬記念に出ているんですよ。なかなか勝てなくて悔しい思いをたくさんしました。
最初の年は菊花賞でナスノコトブキにハナだけ負けて、リベンジしようと有馬に出たらコトブキには先着したけれど、古馬を掴まえられなくて半馬身とハナだけ3着でした。
でもそこから力をつけて、明け4歳、当時は5歳と数えましたが、ポンポンと3連勝で天皇賞を勝ってくれました。
天皇賞にはナスノコトブキも出ていたんですが、かわいそうなこと(予後不良)になりまして、嬉しいには嬉しいんですが、なんだか複雑な気持ちでした』

当時の天皇賞は勝ち抜け制で4歳春に早々と勝ってしまったスピードシンボリには目標とするレースが限られてきます。

希代のホースマン・和田共弘さんの胸にある構想がふつふつと湧いてきます。

※この記事は2010年12月16日に公開されました。


×