シンボリ牧場のというより日本馬産界の“中興の祖”和田共弘さんが現役時代から目を付けていたパーソロンは天皇賞、オークス、そして遂にはダービー馬まで輩出します。大成功といっていいでしょう。
しかし共弘さんはパーソロンの偉大な可能性にはまだ奥があると頑なに思い続けていたようです。
そこで選ばれたのがスイートルナという1頭の牝馬でした。
スピードシンボリの娘です。
シンボリ牧場の誇りが詰まった大事な血統です。彼女はパーソロンとの間にシンボリフレンドを産みます。
しかしご承知のようにフレンドは極度の気性難で主戦の柴田政人騎手をさんざん手こずらせます。
それでも京王杯スプリングH1400mでは、当時のNo.1スプリンター・サクラシンゲキを倒しています。秘める潜在能力は相当なものだったのでしょう。
この“呪われた”ような気性難を目のあたりにしても共弘さんはルナにパーソロンを配合し続けます。そして4番目に誕生したのがシンボリルドルフでした。
『もう付きっきりでね。なんでも自分でやらないと気が済まない。調教も自分でつけていましたし、野平や岡部にも『俺の言う通りにしろ』って』
和田容子さんは野平祐二調教師や岡部幸雄騎手を自分の子供のように愛情こめて“呼び捨て”にします。
それはオーナーブリーダーと厩舎スタッフの関係というよりは、サラブレッドと人間をめぐる“シンボリファミリー”といった絆の強さを感じさせてくれる表現に聞こえます。
※この記事は2011年4月8日に公開されました。