墓碑には3頭のサラブレッドの名前が刻まれています。
1頭は和田共弘さんと北野豊吉さんの共同所有でフランスで走り、引退後、すぐにシンボリ牧場に繋養されたモガミです。
和田さんにはダービー馬シリウスシンボリ、北野さんには牝馬三冠メジロラモーヌをプレゼントした律儀なまでにオーナー孝行の種牡馬でした。
もう1頭がシンボリの名を世に広めたスピードシンボリ、そしてパーソロンが今もご一家に囲まれて静かに眠っています。
『パーソロンは早くから目を付けていましたね。
どこがそんなに気に入ったのか、引退を待てないで現役のうちに購入していたんですよ。
私なんかから見ても、とても気品のある馬でしたね』
パーソロンは1960年にアイルランドで生まれ現在は2歳チャンピオン決定戦としてG1格付けされているナショナルSなど14戦2勝の成績を残し、クラシック戦線では愛ダービー6着、愛セントレジャー4着と一息にとどまっています。
3歳シーズンを終えるとパーソロンは日本へと旅立ちました。シンボリ牧場で種牡馬となるためです。
『成績もそうだけれど、サラブレッドの本質は血だと口癖のように申しておりました』
和田共弘さんがパーソロンを日本に輸入した1964年は、シンザンが戦後初の三冠馬に輝いた年として記憶されます。
シンザンはご承知のとおり大種牡馬ヒンドスタン産駒で、その父ボワルセルはセントサイモンの43のクロスを持ち、ヒンドスタンの母系にもセントサイモンの父ギャロピンのクロスと一時代を築いたセントサイモン系の結晶のような血統です。
シンザンの母系にもギャロピン、セントサイモン親子の血が色濃く流れ、この一族の集大成といって過言ではないでしょう。
パーソロンはこの時代の主流血脈を持たない異系の血でした。
母の父ファリスの5代前にセントサイモンの名が出てきますが、パーソロンは異系のトウルビヨン44のクロスを持つことで、王道を行くセントサイモン系とは一線を画していました。
最近でいえばサンデーサイレンス全盛時代にほとんどSSの影響を受けていない血をあえて選んだのです。
今から考えれば“さすが炯眼”と感嘆するしかないのですが、当時はシンザンばかりかヒンドスタン産駒が牡牝問わずに次々と大レースを勝ちまくっていました。
和田さんの挑戦が無謀と受け取られても仕方のない時代です。
※この記事は2011年1月27日に公開されました。