――北洋牧場を持たれて、繁殖牝馬だけではなく種牡馬も購入して、本格的にオーナーブリーダーをはじめられました。
『そう。それでイギリスのニューマーケット、フランスのドーヴィルといった主要な競り市はもちろん、ニュージーランドまで出かけていろいろと買いましたね。
生産馬のなかには、けっこう走ってくれる馬もいてね、ダービーで6着に頑張ったのもいたよ。まぁ、けっこうボチボチある程度の馬が出たんだけれど、そこから先が実は本当に大変でね』
――と、いいますと。
『種馬とね、繁殖牝馬を両方持っていると、どうしても血が偏ってきちゃうのね。
そうすると、代を重ねるに連れて、あまりデキがよろしくない馬も出てくるわけです。だけどオーナーブリーダーということで、使わないといけなくなっちゃう。
経済原理だけでクールに割り切れればいいんだが、馬はかわいいからね。損得ばかりで走らせたり、走らせなかったり、なかなかできませんよ。そうなると、いい結果は残せない』
――血の偏りという問題は、いつの時代も深刻なんですね。
『そう。それでヨーロッパじゃなくてアメリカの血に注目して、フロリダのマイアミのそばにフォートローダーディルというところがあってね。そこで2歳のトレーニングセールをやっているの。そこへ毎年通いましてね、何頭か買いましたよ。
日本へ持ってきた馬もいるけれど、そのまま向こうで走らせた馬もいましたね。アメリカの場合は日本と違って馬主の門戸が開かれていて、国籍証明書と指紋だけで誰でも簡単に資格が取れる。そこで娘(信子さん)に馬主資格を取らせて、そのうち向こうの馬は全部、娘が持つようになったの』
――お嬢さんは最初はアメリカで馬主になられたのですか?
『そう。馬主資格にうるさくないからね。最初はアメリカだった。そのうちに日本でも資格を取って馬主になったんだが、まぁ大した馬はいなかったんですよ。
それでも2頭目の所有馬でナカヤマフェスタにめぐり合えたんだから、私なんかより娘のほうが馬主運は強かったんでしょうね』
※この記事は、2010年10月21日に公開されました。