ホースマン・サロン ホースマンが語る競馬への想い

【第5回】馬主事始(後編)

ゲスト 中山馬主協会最高顧問・和泉信一さん 【第5回】馬主事始(後編)

戦後間もなく馬主となった和泉信一さん。 もう60年近くになるそうです。 さて、その和泉さんがある“事件”をきっかけにオーナー人生の幅を広げ、遂には牧場を所有してオーナーブリーダーとして活動を行うようになります。 さて、その“事件”とは・・・・・?

――オーナーは牧場も持たれていましたね。オーナーブリーダーになられたきっかけはどんなことだったんですか。

『昭和27~28年くらいだったかなぁ。
その頃、証券会社をやっていたの。それから穀物取引の会社もやってたもんだから、いずれ事務所にしようということで茅場町に40坪くらいの土地を買っておいたの。

株や穀物取引の仕事をするには打ってつけの場所だし。通りに面した割合といい立地でね。40万円くらいで買ったのかな。それが昭和30年代に入り、地下鉄の日比谷線が通ることになりましてね。そうするとその工事期間中は建物が建てられない。工事後も建築規制が厳しくなって思うような建物が建てられなくなる。

こりゃ困ったと思っていたら、東京都のほうから保証金の2500万円が入ったの。それが都の保証金ということで無税だった』

――まるまる2500万円が入っちゃったわけですね。

『そう。親父が社長で、私が専務をやっていた時代ですが、なにしろ私の給料が7000円くらいだっかな。それが2500万円も持っちゃったんだから大変ですよ。

それでどうしようかなって考えて、天からの授かり物みたいな金だから、まぁ、とりあえず馬を何頭か買っているうちに、預けていた調教師から北海道にいた佐藤って人を紹介されたの。

それじゃあ彼に支配人みたいなことをさせて牧場でもやるかって思いついたのね』

――牧場があって責任者を探すのではなくて、はじめに人がいて牧場を買ったわけですね。けっこう大胆というか、すごいことですね。それが北洋牧場だったわけですね。

『そう北洋牧場。ニューマーケッへ出かけて肌馬を買ったり、ドーヴィルでは種牡馬を購入したり、本格的にオーナーブリーダーをやることになっちゃった』

※この記事は、2010年10月14日に公開されました。


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