馬事叢論 活動報告、提言など

第2回「茨の道を乗り越えたモンマスパーク競馬場(中編)」

アメリカで見たこと考えたこと 第2回「茨の道を乗り越えたモンマスパーク競馬場(中編)」

中山馬主協会は6月2日~9日にアメリカ競馬視察研修を行いました。 ちょっと時間がたちましたが、その模様をご報告しています。 毎週火曜日の更新となります。どうぞお楽しみに。 さて、第2回の今日は、苦難の道を乗り越えてハスケル招待ハンデなど第一級のG1レースを育て上げ、今また“競馬改革”に取り組むニュージャージー州モンマスパーク競馬場からのレポートを引き続きお届けします。

ニュージャージー州の法律で馬券システムの根幹であるパリミッチェル方式を禁じられ、50年間もの空白に耐えねばならなかったモンマスパークですが、戦後になってようやくジョッキークラブが設立され、1946年にパリミッチェル方式撤廃の法案の成立にこぎつけます。

1968年にはモンマス招待ハンデが創設されました。

81年にモンマスパークを廃墟からよみがえらせたジョッキークラブ初代会長エーモリー・ハスケル氏の功績を顕彰、現在のハスケル招待ハンデへと改称されます。日本でいえば有馬記念や安田記念みたいなことですね。

今では一流3歳馬が集う夏の名物レースとして親しまれています。

昨年は、ケンタッキーオークスを20馬身あまりで圧勝、プリークネスSも制した牝馬レイチェルアレクサンドラがベルモントS馬サマーバードを6馬身ちぎって満員の観客をどよめかせました。

一昨年は、無敗のまま三冠目のベルモントSに挑み、日本のカジノドライヴとの対決で盛り上がりましたが、無念の競走中止に泣いたビッグブラウンが再起の場をモンマスパークに求めてやってきました。

その前年は秋にブリーダーズCを勝つことになるカーリン、彼は前走ベルモントSで牝馬ラグサトゥリッチーズに敗れ、その疲れが残っていたのか、ここでは3着に敗退しています。ちなみにラグサはカジノドライヴの半姉にあたります。
これだけお伝えするだけで、このレースがどんなに格式が高く、ニュージャージーの人々の誇りであり、全米のホースマンから尊敬されているかが分かります。

さまざまな苦難に見舞われながらも全米のファンが注目する大レースを育て上げてきたモンマスパークのホースマンに敬意を捧げたいと思います。

さて、この日、研修団一行は思いもかけない出来事に遭遇します。その出来事とは・・・? 

※この記事は2010年10月5日に公開されました。


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