3月26日(火)より6日の日程で、会員他58名が参加しドバイワールドカップなど9つのグレードレースが施行される「ドバイワールドカップデー」が開催されましたメイダン競馬場の視察を行いました。
この視察の模様を馬事叢論で毎週更新いたします。
初回は7つの首長国から形成されているアラブ首長国連邦の中心であるドバイ首長国における競馬の誕生を辿ります。
アラビア半島のペルシャ湾沿いに位置し、アラビアンナイトが現実となったような国、アラブ首長国連邦(UAE)で初めて競馬が行われたのは、1969年のことです。
1981年には正式に制定された規則に基づくヨーロッパ式の競馬が初めて行われ、その後、1991年に競馬統括機関であるエミレーツ競馬協会が発足し、ナド・アルシバ競馬場にて競馬が施行されるようになりました。
アラブ首長国連邦ではイスラム教が国教として信仰されており、宗教上の理由から馬券の発売が禁止されています。
亜熱帯気候で夏季には気温が50℃を超えることから、競馬の開催は冬季である11月頃から3月頃にかけて行われています。
ドバイ競馬は、2009年までナド・アルシバ競馬場で行われていました。
同競馬場は、アメリカのチャーチルダウンズ競馬場をモデルに1986年から建設され、競走馬の調教用馬場として使用、1991年に最初の競走が行われたのが始まりです。
コースの形状は三角形に近く、外側がダートコース1周2,254m、内側が芝コースで1周2,121m、内馬場には中東では数少ない芝コースのゴルフ場が併設されていたそうです。
今では国際招待レースとして有名となったドバイワールドカップは、1995年にドバイの王族で世界有数のオーナーブリーダーでもあるシェイク・モハメド氏が当時の世界最高賞金レースだったアメリカのブリーダーズカップ・クラシックを超える賞金額のレースとして考案し、誕生した国際レースです。
その総額賞金は1000万ドルといわれ、世界各国から最強クラスの競走馬が参戦する世界最高峰のサラブレッド種による競走とされています。
2009年までナド・アルシバ競馬場のダート2,000mで施行され、アメリカのケンタッキーダービーやブリーダーズカップクラシックと並ぶダートの最高峰レースとして位置づけられ、名実共に広く世界に認められる国際レースとなりました。
次回はナド・アルシバ競馬場から移設されたメイダン競馬場などをさぐります。