いま全米のホースマンがモンマスパークに注目しています。
リーマンショック以降の“競馬不況”にあえぐ苦境にあって大胆な“競馬改革”に取り組んでいるからです。
今までは週5日だった開催日を3日に削減し、その分だけ1レースあたりの賞金を大幅に増額しました。また賞金給付対象も従来は4着までだったものを、5着以下最下位まで一律1500ドルを配分することにしました。月2走すれば預託料がまかなえる勘定だそうです。
こうした手厚い賞金政策は出走頭数の増大が狙いです。
出走頭数を増やし、スリリングで面白い競馬を実現することでファン招致を進めることが“競馬改革”のコンセプトでした。
さて、その成果は・・・・・?
回を追ってくわしくご報告させていただきます。
もともとモンマスパークのあるニュージャージー州はハドソン川を渡ればすぐニューヨークという立地にあります。
ニューヨークはベルモントパーク、サラトガ、アケダクトなど世界的にも高名な競馬場が集まっています。モンマスパークにとっては手ごわすぎるライバルたちなのです。
とくにクラシック最終関門ベルモントSが開催される6月上旬は、開催日がもろにかぶり、集客に大きな影を落とします。
日本でいえば明治2年、1870年の開場といいますからケンタッキーダービー創設より5年も早い140年前のことです。
しかし大都会ニューヨークと競合するその歴史は茨の道でした。
開場後間もなく財政難に見舞われ存続が危ぶまれたそうです。そして最大の受難は1894年に降りかかってきました。
州当局はパリミッチェル方式の禁止に踏み切ります。同方式は売上から一定額を控除し、残りを的中者に分配します。
これがなくては馬券が成立しません。
モンマスパークの門は草の茂るままに50年間も閉じられて・・・。“競馬改革”への熱い思いは今にはじまったことではなく、モンマスパークの輝かしい“伝統”なのかもしれません。
※この記事は2010年10月1日に公開されました。