馬事叢論 活動報告、提言など

第11回「“サラブレッドの首都” レキシントン(前編)」

アメリカで見たこと考えたこと 第11回「“サラブレッドの首都” レキシントン(前編)」

“サラブレッドの首都”ケンタッキー州レキシントン。 その誇りを支えている中核的な存在が キーンランド競馬場で行われるセリ市の仕組みです。 その発祥は、遠く18世紀にまでさかのぼります。

ケンタッキー州レキシントン、この地を地元の人たちは、“サラブレッドの首都”と呼んでいるそうです。アメリカだけではなくヨーロッパ、日本、UAEなど世界中に優駿を送り出している誇りがそう言わせるのです。

その誇りを支えている中核的な存在がキーンランド競馬場で行われるセリ市の仕組みです。

馬のセリという発想は18世紀のイギリスからはじまっています。
リチャード・タタソール氏が1766年にロンドンで起業したタタソールズ社が競売型式で競走馬の売買事業を確立しました。
伝統あるエプソム・ダービー創設の14年前のことです。

その当時のイギリスはヒートレースが中心でした。3マイルとか4マイルとかを同じ馬が複数回勝つまで何度でも勝負を争う苛酷極まりないレースです。
1764年生まれで18戦18勝の名馬エクリプスもうち7勝はヒートレースのものだったと伝えられています。

当然、サラブレッドにはスピードに加えて頑健さが要求され、心身ともに完成された古馬がその中心でした。5歳でようやくデビューみたいなことも少なくなかったようです。

馬主はサラブレッドの成長をじっくり見きわめて購買する、そうしたことも十分に可能な時代でした。

ところが1776年にセントレジャーが創設され、80年にダービーがはじまると様相が一変します。

当時としては考えられない3歳限定レースです。若駒のうちに素質や将来性を見抜く力が必要になります。

タタソール氏の出番でした。

ニューマーケットはもちろんアイルランドにも足を伸ばし、良駒を発掘し、選び抜いた優駿だけをセリにかける、今に伝わるセリ市のシステムが誕生したのです。
前述したエクリプスの産駒が多いに貢献したのは無論です。彼はヒートレースに耐える頑健さに加えて、非凡なスピードを子孫たちに伝えることに成功したのです。

現在のサラブレッドの95%はエクリプス系となったのは、エクリプス自身の偉大さはもちろんですが、それを伝え広めたタタソール氏の功績も少なくないでしょう。

まさに近代競馬の成立と発展とともに歩んできたタタソールズ社は、現在もヨーロッパ中のホースマンから厚い信頼を寄せられています。

それでは今や世界一の規模と質を誇るキーンランドのセリ市は、どのように築かれてきたのでしょうか。

※この記事は2010年12月7日に公開されました。


×