今回は、ナド・アルシバ競馬場から現在のメイダン競馬場への移設と日本馬のドバイワールドカップへの挑戦についてのお話です。
1991年から始まったアラブ首長国連邦(UAE)の競馬は、20年あまりで世界を席巻する競馬産業に急成長し、その象徴であったナド・アルシバ競馬場は2009年を最後に、翌2010年からは隣接した地に造られたメイダン競馬場が新たな舞台となりました。
このメイダン競馬場は、約6万人収容のグランドスタンドの他に映画館やホテル、ショッピングモールを併設した最新の設備が整う複合商業施設「Meydan City」となっています。また、現在、海外からの豪華客船を受け入れるための船着場の建設が計画中とのことです。
メイダン競馬場は、外側が芝コースで一周2,400m。内側は一周1,750mのオールウェザー馬場です。
ドバイワールドカップ施行当日は、現在九つのグレード競走が行われ、世界中から高額の賞金を目指し参戦してきますが、遠征費用の全てを主催者側が負担するというメリットも魅力です。
日本馬のドバイワールドカップへの挑戦は、第1回より当時ダート戦線でトップに君臨していたライブリマウントから始まり、現在に至るまで延べ22頭の実力馬が世界の頂きに挑戦し続けてきました。世界の壁は厚く、これまで2001年参戦のトゥザヴィクトリーの2着が最高記録でしたが、2011年 ついに歓喜の瞬間が訪れました。
2010年皐月賞と有馬記念を制覇したヴィクトワールピサは、国内G1レース6勝の女傑ブエナビスタ、そしてJCダートとフェブラリーSを制したトランセンドと共に出走し、見事 日本馬初の世界の頂点に上りつめました。
2着にもトランセンドが入り、日本馬によるワンツーフィニッシュは、当時、東日本大震災によって未曾有の大被害に見舞われていた日本に勇気と感動を与えてくれました。
現在では、社台スタリオンステーションにて種牡馬となっているヴィクトワールピサ。世界の頂点に立った偉大な血は、子供たちへ脈々と受け継がれていきます。
次回は、いよいよドバイ競馬研修会の報告です。サプライズとハプニングな出来ごとをお届けいたします。