海外だより

日本競馬のゴールデンウィーク

日本の競馬好きにとって、今日8月9日は〝世界進出記念日〟として記憶されています。27年前の1998年の今日、フランスのドーヴィル競馬場を舞台に、森秀行厩舎のシーキングザパールが、直線1300mのG1モーリスドゲスト賞をレコードで逃げ切り、日本調教馬としては初めて海外G1レースで金メダルを獲得したアニバーサリー(記念日)です。森秀行調教師は、当時まだ開業間もない若手トレーナーだったのですがチャレンジ精神の旺盛さで知られ、恩師である〝坂路調教のパイオニア〟と尊敬を集め競馬発展に多大な影響を及ぼしてくれた戸山為夫調教師から引き継いだレガシーワールドを開業2カ月目でジャパンCに勝たせ、翌年には同じくフジヤマケンザンの香港国際カップ(当時G2格付け、現在のG1香港C)勝利は、日本調教馬としてはワシントンバースデーハンデ(グレード制導入以前で格付けなし)以来36年ぶり2度目の海外重賞制覇を成し遂げています。若き日の森師は、限られた選択肢の中で厳しい競争を戦い抜くより、選択肢そのものを広げることを考えるのも調教師の重要な仕事だと考えていたようです。海外遠征もその一つでした。とくに出走レースを厳しく制限されていた当時の外国産馬にとっては、選択肢拡大は死活問題だったようです。

シーキングザパールも日本調教馬とは言え、アメリカ生まれの外国産馬で他厩舎からデビューした馬でした。今でこそ森厩舎といえば外国産というイメージが定着しています。先日も外国産馬の新馬戦の出走機会4回続けて4連勝するなど破天荒な記録でファンをビックリさせました。しかし当時の外国産馬は出走機会も極端に限られていた時代で、クラシックには縁がありませんでした。残された希少な選択肢の何を選ぶか?馬主や調教師など関係者は常に頭を悩ませられ常に議論の種となっていました。シーキングザパールもローテーションを巡る議論をきっかけに森師の管理馬となったようですが、師は彼女のために海外遠征という全く異質な選択肢をテーブルの上に載せます。海外経験の豊富な武豊騎手の貴重なアドバイスも得て、夢の実現へ一歩また一歩と歩みを進めます。しかし難問が持ち上がります。彼女は桜花賞、オークスこそ出走権がありませんでしたが、NHKマイルCを完勝してG1ホースの座を射止めています。この輝かしいマイル実績からも、森師は当初、彼女のために同じ夏のドーヴィル競馬場でも1週間違いのG1ジャックルマロワ賞を準備していたようです。しかしこのレースには、藤沢和雄厩舎から遠征するタイキシャトルが矛先を向けており、海外馬云々以前この日本調教馬には歯が立たないと考えたようです。日本調教馬初の海外G1制覇という歴史的快挙の背景に、日本馬同士の〝腹の探り合い〟や〝駆け引きと決断〟が忍び込んでいたというのも興味深いですね。森師と藤沢師、日本競馬を代表する名匠お二人の腹を括ったジャッジが、後に〝日本競馬のゴールデンウィーク〟と呼ばれるシーキングザパールからタイキシャルへの金メダルリレーが実現することになります。

シーキングザパールは後に繁殖に上がり、ストームキャットとの間にシーキングザダイヤを輩出しました。ご記憶のようにシーキングザダイヤは芝のニュージーランドTやアーリントンCを勝ち、ダートに路線転換して以降はG1級レースで2着9回という当時の日本記録を樹立するなどファンから絶大の信頼を得て、何より深く愛された馬でした。引退後は縁あって南米へ渡り、チリで2回もリーディングサイアーに輝くなど大成功を収めています。海外遠征の先達たちが切り拓いたものは、金メダルリレーだけに止まらず日本が育て上げた血統までをも繋ぎ伝えてくれているようです。

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