海外だより

日本馬不在のロイヤルアスコット

来週火曜18日、英王室が主催する伝統のロイヤルアスコット開催がいよいよ開幕、22日までの5日間に8つのG1を含む全35レースが行われます。残念にも今年は日本調教馬の参戦はなく、JRAによる日本での馬券発売もありません。自然をそのまま取り込んだようなコース設計が特徴で、日本のようにきめ細かく整備の行き届いたコースは望むべくもありませんから、これまで日本馬が勝った試しのない〝鬼門〟とあっては、仕方がないのかもしれません。そもそも1711年と言いますから遡ること300年余り、大の〝競馬好き〟で有名なアン女王が住まいのウィンザー城からほど近い広大な丘陵を通りかかって「競馬場にピッタリじゃないの」と思いついたのがアスコット事始め。起伏に富んだダイナミックなアンジュレーションはそのままに、芝も刈り込まれたりせず野趣を色濃く残しています。日本馬には経験のない環境です。怪物フランケルが世界中のホースマンに鳥肌が立つような思いをさせたロイヤルアスコットのG1セントジェームズパレスS、実は〝世界の矢作〟がNHKマイルCを楽勝したグランプリボスを送り込んでいました。しかしグランプリボスはフランケルから27馬身も遅れてゴール、世界の壁の高さと分厚さを思い知られます。本場アメリカ勢には子供扱いされて当然と考えられてきたダートや、手の施しようがない道悪に阻まれ続けたパリロンシャンと並んでアスコット競馬場は、日本調教馬にとっては最大の〝鬼門〟の一つになりました。

唯一の好走例は、2001年に森秀行厩舎のアグネスワールドがチャレンジした当時はまだG2格付けだったキングズスタンドSでの2着が最高です。アグネスワールドはダンチヒの外国産馬で、つい最近まで1分06秒5という1200mの日本レコードを20年以上も保持し続けていた超快速馬でしたが、カーブを回るのが苦手で直線競馬がなかった日本ではG1は惜敗に涙を呑み続けた気の毒な馬でした。この恵まれない快速馬のために森調教師は、世界中のレーシングカレンダーの海を泳ぎ渡り、アグネスを凱旋門賞当日のスプリントG1アベイドロンシャン賞に武豊騎手で登録します。無謀?とすら思われたチャレンジでしたが、しかしチームジャパンはパリロンシャンの表彰台の真ん中に日の丸の旗を掲げます。ところが帰国後は当時はまだ年末開催だったスプリンターズSが2着、翌春の高松宮記念も3着とカーブのあるコースでは、どうにも勝てません。森師はロイヤルアスコットのG2キングズスタンドS1000mと3週間後にニューマーケットで行われるスプリント頂上戦G1ジュライC1200mにともに武豊騎手でエントリーします。

キングズスタンドSは今日に至るまでも日本調教馬が記録したロイヤルアスコット史上最高の2着、ニューマーケットでは競馬の母国イギリスのスプリント最高峰を遂に極めます。なぜか、この偉大なレガシーは地味にしか伝えられていませんが、日本競馬史の最初のページに書き留められて不思議のない偉業です。今では短距離王国・香港勢にまったく歯が立たないことを考えると、アグネスワールドの蹄蹟はまるで奇跡そのもののように思えます。アグネスワールドには、外国産馬ゆえに秘められたポテンシャルが身体の奥深くに流れていたのでしょうか?とは言え、日本国内のG1レースは遂に未勝利に終わったのですから、競馬というものは本当に奥が深くて難しいものです。そんなあれこれに思いを巡らしながら、日本馬が出走しないロイヤルアスコットで、日本調教馬の進化と飛躍を考えるのも一興かもしれません。

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