ご承知のようにフランスでは、日本と同じように賭け事が禁止されており、お隣のイギリス、アイルランド、ドイツなどの競馬を底支えしているブックメーカーの存在は見当たりません。
では、競馬を興行として成り立たせるにはどうするか?
1867年にジョセフ・オーレルというフランス人がパリミュチュエル方式を考え付きます。前回でご紹介した歴史的名馬グラディアトゥールがフランス産馬初の英三冠馬に輝くなどの大活躍で大衆を熱狂させ、国民の競馬人気がピークに達しようとしていた、まさにその当時です。やがてオーレル氏の発明は法制化され、賭け事が禁止された法体系の中で正式に馬券を発売することが認可されます。
パリミュチュエル方式というと七面倒臭く聞こえますが、ご存じのように要は日本の馬券方式とまったく同じです。馬券売上げをいったん主催者がプールし、一定割合の控除を行った上で、残りを的中者に分配する方式です。
控除金の中からは国庫や地方自治体や地域社会に還元される分も含まれ、後に詳しくご報告しますが、運営においては少なからぬ雇用を生むなど、公共的な性格を持たせることで単なるギャンブルとは一線を画しています。オーレル氏はかなり頭が良い人ですね。
さて、しかし競馬場内だけの馬券発売では日本も同じことですが、大きなスケールメリットは出にくいものです。
フランスでは1930年に場外馬券発売公社(PMU)が設立され、各地に津波のように広まっていきます。どの街でも目抜き通りのカフェなどに併設され、現在では全国で1万1千か所を超えるPMUが存在するといわれます。
国土面積の違いはありますが、日本でいうとパチンコ屋さんの数にほぼ匹敵します。ちょっとした街なら、どこにでもあるといった身近で手軽な感覚でしょうか。
先にも触れましたが、250か所の競馬場と1万1千か所のPMUが生むのは、莫大な馬券売上げだけではありません。大いなる雇用も同時に創出しているわけです。そういう意味では国民生活に欠かせない産業として競馬事業は成り立っています。
ところでパリミュチェエル方式とPMUの二大発明がもたらしている売上げは2013年の統計では96億3620万ユーロ、日本円で1兆3500億円相当という巨額なものです。ヨーロッパでは群を抜いて大規模で、この潤沢な資金が競馬大国フランスの発展を支えていると言えそうです。
ちなみに同じ年のJRAは2兆4118億円余り、国民性も違えば文化的経済的背景も異なるのでどちらがどちらとも言い難いのですが、馬券に関する経済文化では日仏両国が世界のトップを走っているのは間違いありません。
この両国に共通する悩みはといえば、競馬人口、とりわけ競馬場来場人口の伸び悩みかもしれません。とくにフランスでは250以上もの競馬場が集客競争を繰り広げているのですから、事態はより深刻かもしれません。
しかし彼は祖先から受け継いだ文化資産や天からの恵みものである自然景観を巧みに競馬場に取り入れています。シャンティの古城や人類遺産モンサンミュエルなどを借景に競馬が行われたりします。カジノもあるリゾート都市ドーヴィルではバカンスの季節には1か月ぶっ続けで競馬が開催されています。美しい砂浜には調教場も完備され人も馬も避暑地の夏を心行くまで満喫しています。
つまり観光と競馬が一体となることで集客を図っていることになります。バカンスという国民的余暇の過ごし方の中に観光とともに競馬もしっかり溶け込んでいるんですね。
この考え方はPMUの発想にも通じるものがあります。馬券購入だけではなく、いやむしろお茶を嗜みながら軽食を摂りながらおしゃべりを楽しみ、合間にちょっと馬券を買ってみるかといったゆとりのある風情なんでしょうね。
観光だけでもない、お茶や軽食を胃に流し込むだけでもない。もちろん競馬だけでもない、どこか大人の余裕を感じさせる余暇の過ごし方ではないでしょうか。
観光地に競馬場を改めて建て直すのは大変ですが、こうしたフランス人風の余暇思想は成熟化した高齢社会を迎えた日本でも生かすことができるだろうと思います。
しかし究極の集客戦略は、強い馬を国中から、さらには世界中から集め、人々が見たくてしようがない番組を生み出すことに尽きるのではないでしょうか。凱旋門賞という伝統あるレースもそうして誕生したものです。
次回は凱旋門賞の創生とその歩みに触れてみたいと思います。