海外だより

“レジェンド”デットーリの集大成

エリザベス女王のお姿を見られないのは寂しいのですが、ロイヤルアスコットが例年通りの白熱の戦いに盛り上がっています。日本以上に大変なコロナ禍に見舞われ、伝統のクラシックレースが開催延期されるなど、戦争に匹敵するアクシデントに苦しんだヨーロッパ競馬界でしたが、ようやく平穏な日常を取り戻したようです。レーシングカレンダーも順調に消化されるようになり、サラブレッドの育成・調教もしっかり積めるようになり、本来の力を発揮できる状態に戻って来たようです。コロナ禍とピークの時季が不運にも重なって、生涯一度のクラシックを棒に振った気の毒な馬もいました。そうした悲劇を嘆かないでレースに臨める幸せを、改めてしみじみ感じさせてくれる今年のロイヤルアスコットです。そうした新時代にふさわしく、どのレースも人間の想像を裏切るようなニューヒーローが次々と出現してファンを熱狂させています。どうやら、コロナ禍下でのレーティング(実力評価)が過去のものになりつつあるようです。

昨夜行われた三日目、4000mの長丁場で展開されるアスコット名物のG1ゴールドカップでも、デビューして9カ月しか経たない新星クラージュモナミが注目されていました。3連勝中とは言え重賞経験すらないノンキャリア馬クラージュモナミに大ベテランのランフランコ・デットーリ騎手が手綱を握るという、ちょっと凸凹風の対照もファンの興味をそそっているようです。デットーリ騎手は今年限りで鞭を置くと伝えられ、ロイヤルアスコット開催もこれがラストステージです。イギリス超長距離界は、デットーリ騎手との名コンビでゴールドカップ3連覇や、もう一つのG1グッドウッドカップ4連覇など、天上天下唯我独尊の絶対王者だった歴史的名馬ストラディヴァリウスが引退し、昨年ライアン・ムーア騎手とのコンビでマラソンG1を総ナメにしたキプリオスが怪我で、今季は休養中でスター不在の状況が続いています。ニューヒーローの台頭が熱気を込めて待望される今年のゴールドカップです。

ゲートが開いて、デットーリ騎手とクラージュモナミは4000mを乗り切るスタミナを蓄えるように、後方の馬群に潜んで内ラチ沿いをジックリ追走します。どの馬もムダな動きはせずレースは淡々と流れ、最後の直線500mの追い比べに持ち込まれます。4コーナーでインをすくってポジションを上げたクラージュですが、各馬がスパートすると馬群に包まれ身動きが取れないポケットに押し込まれかけます。一昨年、ゴールドカップ4連覇を賭けてゴールを目指したストラディヴァリウスとまったく同じ苦境に追い込まれます。この敗北が引き金となり長年の盟友ジョン・ゴスデン調教師との確執が囁かれたほどの大事件でした。しかしデットーリ騎手は、直線残り300mで一瞬の隙を衝いてマジックのように馬を外に導き、絶体絶命の危地を脱します。酸いも甘いも知り尽くしたレジェンド・デットーリの集大成のような秘術でした。ストラディヴァリウスの後押しがあったのかもしれません。そう思えるほど、奇跡的な騎乗でした。後は先に抜け出していた1番人気コルトレーンと叩き合い、ゴール前でキッチリ差し切ります。古人の言い伝えに「スワンソング」という言葉が残されています。白鳥は、その最期に生涯もっとも美しい声で鳴くのだそうです。まさに天才ジョッキーが、最後のロイヤルアスコット、その思い入れの一番深いレースで、最高のレースを堪能させてくれました。

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