海外だより

最強馬の揺りかご

華やかなロイヤルアスコット開催が終わったかと思えば、次なるステージでは3歳馬と古馬が激突する頂上決戦が幕を開けます。サンダウン競馬場で7月初旬に開催されるG1エクリプスSは、クラシック戦線を戦い抜いてきた3歳馬と歴戦の古馬が世代を超えて激突する最初の舞台となります。その年の国境を超えたチャンピオンを目指す戦いは、ここから始まるといっても過言ではありません。〝三冠〟の価値の重さが優位を占めている日本の場合は、菊花賞や秋華賞というビッグイベントが残っているこの時期は、世代の頂上同士が激突するのは少し先の天皇賞(秋)を選択する3歳馬も少数いますが、一般的には年の暮れの有馬記念あたりですね。このあたりは良し悪しを超えた競馬文化の違いでしょう。競馬場を変え距離を変え時季を選んで、世代最強馬を絞り込んでいくドラマティックな展開も捨てがたいのですが、1年のうちに各国のチャンピオンを争わせ、そのチャンピオン同士を戦わせ、次に世代を超えた真の最強馬決定戦へと突入していくダイナミズムにも興趣があります。この日本でありそうでなかった仕組みがエクリプスSからスタートします。見逃せない一番と言って良いでしょう。

何しろ最近10年間のエクリプスSの覇者、ゴールデンホーン、ロアリングライオン、エネイブル、ガイヤース、セントマークスバシリカ、シティオブトロイの6頭が延べで7度もヨーロッパ年度代表馬に輝いており、非常にハイレベルな舞台になっています。レベルが上がれば、勝利への困難さは飛躍的に上昇します。これらチャンピオン馬のオーナーが、極めて〝狭き門〟となっているのも大きな特徴です。10年間の勝利履歴を振り返ると、先ごろG1通算150勝と信じられない高みに到達したエイダン・オブライエン調教師&ライアン・ムーア騎手の〝黄金コンビ〟を擁するクールモアが3勝、その宿命のライバル・ゴドルフィンも2勝、名門中の名門ジュドモントは19年にエクリプスSを制した〝女帝〟エネイブルが凱旋門賞を連覇し年度代表馬にも2度輝きました。ヨーロッパではG1を頂点とするビッグレース勝利の大馬主グループへの一極集中が年ごとに進行している傾向が強まっています。ちなみに今季のG1戦線も、クールモアとゴドルフィンの両巨頭が現時点で9勝ずつと一歩も二歩も抜け出して一騎打ちを演じています。それを追うのもダンシングブレーヴに始まりフランケルやキングマンで競馬の歴史を書き換えて来たジュドモントファームやエメラルドグリーンの勝負服でお馴染みのアガ・カーンスタッド、さらにシャドウェル、ヴェルテメール兄弟など自家生産をベースとした大オーナーたちです。彼らは並外れて優秀なサラブレッド軍団を擁しているだけでなく、生産・育成・調教の技術やノウハウはもちろん、競馬の歴史そのもののような豊かな経験、そこから抽出された知識や知恵を我がものとしています。ヨーロッパのビッグレースのほとんどを、ことごとく掻っ攫(さら)って行くのも仕方がないでしょう。

さてエクリプスS、6頭立てと少頭数なのは例年通りですが、ブックメーカー大手が1倍台の人気をつけているのが古馬陣の大将格オンブズマン。前走ロイヤルアスコット2000mのプリンスオブウェールズSで、直線に向いて進路を馬群の壁にビッシリ閉ざされながら、強引に壁をブチ破って2馬身突き抜ける強い競馬で、G1初勝利を飾ったゴドルフィンの上昇馬です。一瞬しか訪れないタイミングをドンピシャで読み切ったウィリアム・ビュイックの冷静な判断力と燃え滾(たぎ)る熱い闘争心が生んだド迫力に、ハンデキャッパーは128ポンドと今年の世界最高レーティングを贈っています。このまま修正が入らない限り、日本馬フォーエバーヤングの127ポンドを超えて世界一の座はこの馬のものになります。エクリプスSの2番手も古馬のソージーが占めています。ファッションブランド・シャネルの創業家であり、名牝ゴロディコヴァや凱旋門賞でオルフェーヴルの寝首をかいたソレミアなど活躍馬を送り込んで来たフランスを代表するオーナーブリーダーであるヴェルテメール兄弟の所有馬です。昨年の凱旋門賞は1番人気で4着に敗れましたが、今季は開幕から絶好調でガネー賞、イスパーン賞とG1連勝中、逆転までありそうです。

実績で優る古馬勢に対する3歳陣は、今が伸び盛りの成長力で勝負でしょうか?名匠エイダン・オブライエンが送り込むのは、仏ダービー馬カミーユピサロと英ダービー1番人気で距離の壁に泣いたドラクロアの2頭。主戦騎手ムーアはドラクロアの鞍上を選びました。2000m級は2戦2勝、G3バリーサックスSではのちの英愛ダービー馬ランボーンを寄せ付けず2馬身余差で完勝、G3愛ダービーTRは英ダービー3着に突っ込んだテネシースタッドに7馬身近い差をつけて圧勝しています。母テピンはBCマイルやロイヤルアスコットのクイーンアンSなど国境を超えて8連勝した名マイラー。その切れ味を重厚味の勝った父ドバウィとの配合を通して、2000mの距離で再現する中距離タイプのようです。ライアンの慧眼(けいがん)に賭ける手もありそうです。一方のカミーユピサロも2100mの仏ダービーを勝ち、2歳G1ジャンリュックラガルデール賞を制しています。仏1000ギニーを勝った僚馬アンリマティス同様、フランスの馬場との相性の良さは父ウートンバセット譲りで折り紙付きです。積み重ねた経験の数々がイギリスでも開花しないでしょうか?そもそも競馬文化の成り立ちや在り方が異なる日本が、最強の座へ上り詰めるには学ばねばならいことが、まだ両手に余るほど残されているのかもしれません。

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