ゲスト
ダノンデサイル号担当 原口 政也さん 栗東・安田翔吾厩舎

02. 大切なのは、いつも通り。“見て”“感じて”“気づくこと”です

大切なのは、いつも通り。“見て”“感じて”“気づくこと”です
細江純子さんをインタビュアーに迎えてスタートした『イケメンホースたち〜担当者が思う愛馬の素顔〜』。デビューから、京成杯までを語ってくれた前編に続き、後編は、“回避の決断”を決断した皐月賞。そして、日本ダービーまでの道のりを、ダノンデサイルをもっと近くで見ていた原口さんにお聞きしました。

先が見えない中、一日、一日を全力で

細江あらためて、皐月賞の日を振り返って頂きたいのですが、そもそも普段において爪をぶつけるようになってきたのはいつ頃からですか。

原口京成杯の後、放牧に出ていたときです。爪と爪がぶつかるようになったけど、鉄を替えたら少し良くなったということで、まず、問題ないという状態で厩舎に帰ってきました。

細江走るフォームが少し変わったということなんでしょうか。

原口見た目は同じなんですけど、結果的に見ると、自分で当てているんで、そういうことになるんでしょうね。

細江ぶつけるのは、いつも同じ場所ですか?

原口いつも、右前です。ただ、追い切りなどスピードが早くなるときは、プロテクターのようなものをつけ、ぶつかる可能性を抑えていたので、これなら大丈夫だと思っていたのですが……。

細江そういった最新の注意を払いながら皐月賞当日を迎えて、パドックを周回しているときも、返し馬も、何も問題はなかった?

原口そうです。少なくとも、僕はまったく気づきませんでしたし、ノリさんも同じだったと思います。

細江ところが、です。

原口ポケット地点からゲート裏に来るときに、ノリさんが、あれ? と首を傾げて。下が柔らかいところと硬いところで、キャンターのようなことをして。で、もう一回、ポケットまで戻って確かめたんだけど、“やっぱり、おかしい”と。“いつかまたいいときが来るから、今日はやめた方がいい”ということになったんです。

細江その間、馬はどうしていたんですか。

原口内側に退避する場所があるんですけど、鞍を外した後は、そこで、じ〜〜〜っとしたまま、レースを見ていましたね。

細江それも、すごい話です。通常ならバタバタとしそうなところを…。

原口本当にそうです。担当してて過去の若駒達と違いました。

細江その後の歩様の変化は?

原口レース終了後、馬運車に乗せて厩舎に帰ったときには、はっきりと症状が出ていて、当たると痛がっていたので、馬のことを第一に考えたノリさんの判断は間違っていなかったと思いました。

細江その時点では、日本ダービーはまったく見えていなかったわけですよね。

原口おっしゃる通りです。結果としてこのときは、軽い打撲ということで、消炎剤のようなものを巻いただけで事なきを得ましたが、いつまた、同じ症状が出るかわからないので、とにかく、その日、一日、一日という感じで、もう、これで大丈夫と思ったことはなかったですね。

運命の分かれ道

細江ダービーを見据えたとき、理想を言えば、一度、レースを使って、息を整えたりしておきたいところだと思いますが。

原口この世界に長くいる僕としては、一度、使いたかったというのが本音で、調教師にもそれは伝えました。でも、ノリさんは、“使わずに行った方がいい”という意見で、最終的には、調教師とノリさんが話し合って、ダービー直行になりました。

細江そこも、運命の分かれ道でしたね。

原口そうですね。調教師も、“その判断が、難しかった”と言っていましたから。

細江ダービー当日、原口さんは、どんな気持ちで臨まれたんですか。

原口勝てるかどうかより、とにかく無事に出走させてあげたい――。その気持ちの方が強かったので、ゲート入りのときも、ノリさんの表情ばっかり見ていました(苦笑)。

細江不安そうな顔をしていないか? 首を傾げたらどうしよう? という感じですか。

原口そう、そう。ほんと、そんな感じです(笑)。奇数枠だったので、ゲートに収まったあとは、“早く、みんなゲートに入れ”と思い、ぜんば、ゲートにおさまってからは、“早く、開いてくれ”と、思っていましたから(笑)。

細江スタートしてすぐに、ノリさんは3番手につけました。あそこは?

原口検量室に向かって外ラチ沿いを歩いていたので、どうなっているのかよくわからなくて。後で、レース映像を見て、“ノリさん、思いきったなぁ”と思いましたね。

細江そうか、そうですよね。原口さんからは、よく見えないんですよね。勝った瞬間も、同じですか。

原口そこは見ていました。かなり遠くにですけど、実際のレースとターフビジョンを交互に見ながら、という感じで。

細江4コーナーから直線にかけては、どんなお気持ちでした。

原口“これは、もしかしたら!?”と思って。うちから抜け出したときは、“勝てるんちゃうか?”と(笑)。

細江ジャスティンミラノが外で、ノリさんとダノンデサイルが内で――。

原口後ろを見たら、来そうな勢いのある馬もいなかったし、ダノンデサイルの脚色も変わっていなかったので、ゴール手前くらいのところで、早々に、ガッツポーズをしていました。

細江乗り越えなければいけないことがたくさんあった中での、ダービー制覇です。勝った瞬間のお気持ちはいかがでしたか。

原口とにかく無事に帰って来てくれという気持ちが強かったので、ダービーを勝ったという実感があまりなくて、普通に、他の厩務員と一緒に検量室に戻って来た感じです。

細江ほんと、ですか!?

原口地下馬道の途中で、“あっ、迎えに行かなあかん”と思い出して、慌てて馬場に戻ったんですけど、ちょうど、ウイニングランをしていているところで。“よかった。なんとか、間に合った”と。

秋の大目標は、菊花賞

細江馬の状態はいかがでしたか。

原口興奮することもなく、鞍を外して、少し回った後は、カメラマンさんが写真を撮っている間も、普通に、じ〜〜〜〜っとしていましたね。

細江ダービーを勝った後に、ですか? もしかしてですが、まだ目一杯走っていなかったとか?

原口そうですとは言えないですけど、でも、目一杯という感じではなかったような気がしています。テンションが上がって、興奮がおさまらないという感じではなかったですから。どちらかというと、ケロッとしている感じでした。

細江爪は大丈夫でしたか。

原口レース直後は大丈夫でしたが、しばらくしてから、少し痛がっていて。いまはもう大丈夫ですが、今後どうなるか、そこは心配しています。

細江秋の大目標は、当然、菊花賞になります。

原口肉体的にも、精神的にも、心臓が強いし、長丁場で折り合いを欠くということもなさそうなので、いい走りをしてくれそうな気はしています。

細江このあと、こういう感じで成長していってほしいというのはありますか。

原口子育てと一緒で、こうなって欲しいと思って、その通りになるものじゃないですから、気負わず、普段通りに、です。自由にさせるところは自由にさせて、ぎゅっと力を入れすぎない。あれもしなきゃ、これもしなきゃと思いすぎると、どんどん、自分も馬も追い込まれていくので、できるだけ、いつもと同じでいたいと思っています。

細江大事なことをシンプルに、ということですね。

原口そう、そう、そう。追い込まれたり、焦っちゃうと、余計なことをしてしまう。それが、馬のプレッシャーになることもあるので、必要最低限で、気づいた範囲でやっていくということを大事にしています。

細江原口さんは、若い頃、“世紀末覇王”と呼ばれ、GI7勝を挙げたテイエムオペラーの担当をされていますが、そういう考えは、あの当時の経験から来ていることですか。

原口オペラオーに教えてもらったこともたくさんありますが、担当させてもらった馬、一頭、一頭から学んだことが全部、僕の引き出しに入っていて、それが、いま、生きているんだと思っています。

細江原口さんが、ウマに接する上で大切にされていることとは何ですか?

原口“見る”ということです。それも、近くに寄ってみるんじゃなくて、ある程度、距離を置いて、よく、見る。見て、感じて、気づくことで、大事にいたらずに済むこともありますし、待つことがいい結果に繋がることもある。それをきちんと判断できるかどうかを大切にしています。

細江そして最後の質問です。日本ダービーの表彰式では、オーナーがすごく…いや、ものすごく、喜んでいらっしゃいましたが、あのオーナーの笑顔を原口さんはどうご覧になっていましたか。

原口素直に、嬉しかったです。負けたときは申し訳ないと思いますし、勝って喜んでいらっしゃる顔を見るのは、やっぱり、嬉しい。ましてや、今回は、ダービーですから、嬉しさと同時に、馬を預けていただいてありがとうございますという気持ちになりました。

(構成:工藤 晋)

細江 純子
1975年愛知県蒲郡出身。1996年JRA初の女性騎手としてデビュー。2000年日本人女性騎手として初の海外勝利(シンガポール)。2001年引退。引退後はホースコラボレーターとしてフジテレビ『みんなのKEIBA』関西テレビ『競馬BEAT』に出演。夕刊フジ・アサヒ芸能などにコラムを連載中。書籍は『ホソジュンのステッキなお話』文芸ポストでの短編小説『ストレイチャイルド』。

※この記事は 2024年9月8日 に公開されました。

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