競馬、波乱万丈 著名人に聞く、競馬と私

第2回:競馬実況していたころ

ゲスト 草野 仁さん 第2回:競馬実況していたころ

草野仁さんはNHKアナウンサー時代に、競馬の実況もされていました。草野仁さんに聞く「競馬、波乱万丈」。インタビュー第2回の今回は、草野仁さんの競馬実況時代のお話を伺いました。

——草野さんは、NHKアナウンサー時代にいくつか大レースの実況もされてますね。

草野初めて競馬実況を担当したのは昭和50年。カブラヤオーがダービーを勝った年です。上司から、「お前、秋の菊花賞を実況しろ」と命令が下りましてね。

——当時はまだ、大阪にいらしたころですか?

草野そうですね。昭和48年に大阪に転勤になりましたから、当時はまだ大阪時代ですね。NHKの競馬放送というのは、当時も今もあまり変わってないかと思いますが、関西は年に2本、春の天皇賞と菊花賞だけで、残りは関東で。

大阪にとってはなかなかチャンスのない放送を「お前がやれ」と言われて。私にとり初めての競馬実況でしょ。どう実況したらいいか考えましてね。いざ放送しよう、いろいろと取材しました。過去の実況放送を見たりしていたのですが、こんなことを言ったら失礼なんですが、NHKの先輩がやっている競馬放送が、どうもしっくりこないんですね。

——しっくりこない?

草野ええ。映像を見ながら実況を聞いていても、どうも、自分で納得できないというか。それはなぜだろう、と思いましてね。皆さんラジオの時と同じように、双眼鏡を持ったまま実況をしておりまして。

そうすると当然写っている映像と、必ずしもシンクロしない。むしろ映像と実況とでズレていることもある。

——つまり、例えばテレビではカブラヤオーが写っているのに、実況では別な馬を取り上げているという。

草野そうです。そうです。これはちょっとテレビの放送としてはおかしいな、よくないなと思いまして。
だけども先輩たちに直接言うわけにもいかず。どうしたらいいかなと考えているうちに、関西テレビの放送を見たら、とてもいいかたちの放送をなさっているんですよね。

それで、これはもう当時関西テレビで実況をされていた杉本清さんに聞くしかないと思いまして。

「NHKの草野と申します。初めて競馬放送を担当させていただくことになり、いろいろと悩んでいるところもあるんですけども」
と杉本さんに言ったら、「じゃぁわかった、一度うち(関テレ)にいらっしゃい」
とおっしゃってくださいまして。

テレビ競馬時代幕開け、そのウラ側で

テレビの競馬実況創成期、草野仁さんにはある想いが...

——杉本さんからのアドバイスは、どのような内容だったのでしょう?

草野まず杉本さんに「私の先輩たちの実況が、どうもテレビ的ではない」と私の考えをそのままぶつけてみたんですね。

そうしたら、杉本さんが、「あなたの疑問はそのとおりだ」とおしゃいまして。実は杉本さんも、
「競馬放送をはじめたときは、双眼鏡で馬を追っかけていた」と。

昭和48年、春の天皇賞のときに、タイテエムという持ち込み馬の強い馬がおりまして。この年の天皇賞・春を勝つのですが、実況中継をしていた杉本さんがちょうど3、4コーナーの勝負どころで、人気になっていたタイテエムの姿を見失った。

で、内心ひっかかりを持ちながら、ごまかしごまかし実況をしていた。結局最後はタイテエムが勝つんですが、翌日、通勤電車の中で見知らぬ人に「杉本さん、昨日みえてませんでしたね」と指摘されたらしいんです。

すぐに関テレで映像を確認したら、映像ではタイテエムが3、4コーナーでズルズルと後ろに下がっていくシーンがハッキリと写っていた。それを自分は見失い、ごまかして放送していた。それは双眼鏡で追いかけていたせいだと。

——なるほど。

草野テレビというものは映像ありきですから。
杉本さんからは「草野さんが最初に迷うのは当たり前のことで。いまようやく私たちも落ち着いて実況中継ができるようになったところなんですよ」という話を伺って、すごく安心しましてね。
そこからですね。映像でレースを届けるテレビで、今までのように双眼鏡で実況するやり方は間違いだと確信したのは。

それから、スタッフと一緒に話し合い、たとえば向こう正面に入ったら
「先頭から見てみましょう」
「先頭は◯◯◯◯、人気の馬は◯◯◯」
と追いかけていくことにしましょう、と、チームワークを作って、テレビ競馬中継の体系をこう作っていこうと、いろいろと決めていきましたね。

テレビの競馬中継をどうやったらいいのか、他社の大先輩である杉本先生に導きを受けたというのは、すごくいい体験になりましたね。

競馬中継の想い出

——昭和50年のコクサイプリンスに始まり、グリーングラスの菊花賞、シンボリルドルフの3冠などいくつか競馬実況をされた中で、想い出深いレースをあげるとすればどのレースになりますか?

草野NHKの競馬中継は限られてましたから、競馬中継にタッチしたのは数えるほどなのですが。その中で、強いてあげるならば、第1回のジャパンカップ(昭和56年)ですね。

——アメリカのメアジードーツが勝ったレースですね。

草野このレースをNHKは競馬中継をやらなかったんですよ。私は、「絶対にやるべきだ」と言ったんですが、プロデューサーも含めた担当者が、「ジャパンカップというレースがどんなものになるかもわからないし、このレースが今後どうなっていくのか、このレースがどう成長するかもわからない。テレビではやれない」
と言って。

それだったらというので海外居住者向けにあるNHKのラジオ国際放送ラジオジャパンでやろうということになり、私が中継兼アナウンサーにとして放送しました。
そのときにお招きしたゲストが社台ファームの吉田照哉さん。

——ゲストも含めて、とても貴重な放送ですね。

草野海外にいる方しか聞けないラジオ中継だったんですが、すごく記憶に残ってますね。

民放の競馬放送と比べたらわずかですけれども、競馬放送を通じても、競馬界の方、騎手、調教師の方と接することができ競馬界にも貢献できたのは、非常にありがたい経験でしたね。
(第3回へつづく)

草野 仁:1944年満州・新京生まれ。1967年東京大学文学部社会学科卒業。同年NHK入社、1977年にNHK東京アナウンス室へ異動。主にスポーツ・キャスターとして、さまざまなスポーツの実況中継を担当。1985年に退社後は、フリーのキャスター、テレビ番組の司会者として活躍中。TBS「世界ふしぎ発見!」は放送開始から25年を超える長寿番組である。

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