競馬、波乱万丈著名人に聞く、競馬と私

第3回:馬主として知る競馬の奥深さ

草野仁さんは馬主として本会会員でもあり、また一口馬主としても愛馬を数頭お持ちでいらっしゃいます。草野仁さんに聞く「競馬、波乱万丈」。インタビュー第3回は、馬主としての競馬の楽しみについて伺いました。
  • 草野 仁さん

馬主になり、あらためて実感する競馬の奥深さ

ダンスインザダーク、ブエナビスタのクラブ会員として同馬を語る草野仁さん

——昭和60年にNHK退社されてフリーになられて。そのあと、馬主になられますが、どのようなきっかけからでしょうか?

草野そのころ、社台ファームの吉田照哉さんから「そろそろクラブ会員になってもいいんじゃないの」とおっしゃっていただいて、それからですね。

——最初に持った馬はカッティングエッジ。クラブ会員の馬でしたね。

草野ファバージ産駒の牝馬でしてね。
血統からは、それの上がほとんど走らなかったらしんですが、「切れ味がひょっとしてあるかもしれない」と思いまして。

馬を選ぶ際に、照哉さんが、「牧場ですごく元気だった」とおっしゃっていたので、「元気な馬がぜったい一番です」と言って馬主になりました。

——その最初に会員になった馬が、なんと新馬戦から4連勝!

草野競馬ってやさしいんだなぁ(笑)って思いましたね。

——(笑)。

草野・・・と、そんな風に思わず思ってしまいたくなるほどの強い馬で。当時3歳だったテレビ東京3歳牝馬ステークスという重賞に勝ちましたし、東京のクイーンカップにも勝ちましてね。一時は桜花賞候補とまで言われたんですが、直前の調教で骨折しまして。

不思議な馬で、3年連続右前脚が骨折するという不思議な馬で。それが11戦6勝もしてくれてね。

——とても孝行馬ですね。

草野当時千葉に社台の牧場がありまして。カッティングエッジが骨折で休んでいるときに、りんごやニンジンを持って行って、元気づけに行きましたよ。とてもキレイでおとなしい馬で。馬房にも入れてもらい、抱擁も交わしました。

ダンスインザダークの苦い思い出

馬主として草野仁さんは、競馬の奥深さをあらためて発見したという

——クラブ会員としては、ダンスインザダーク、ダンスインザムード、ブエナビスタなど活躍馬をお持ちでいらっしゃいますね。

草野ダンスインザダークには苦い思い出があるというか。とても応援していましたら菊花賞を勝ってくれて、すごく嬉しかったですね。

実はダンスインザダークは、とてもいい形で成長してくれて。皐月賞をこのままいったら勝つかなというときに熱発で出られなくなり、プリンシパルからダービーに向かいましてね。

ダービーでは、他の馬との実力差からしても負ける要素はないと思ってですね。おもいっきり単勝で馬券を買いました。

——あのレースですよね(笑)。最後の直線でまさか・・・という。別な話題にいきましょうか(笑)。

草野アハハハ(笑)。レースも思い通りにいっていたんですよ。4コーナーを回って、直線350メートルくらいのところで、まだダービーを勝ってなかった武豊騎手が、有力各馬がぜんぜん来ないということで、もう勝ったと思ったと思うんですね。そこから追い始めたんですよ。

私は馬券を手にしながら、「ちょっと早い!」「ちょっと早い!」と叫んで。

ゴール前70メートルくらいですね。ピッタリ後ろをついて回ってきたフサイチコンコルドに交わされて、「こ、こんなはずじゃぁ・・・」と(笑)。

——それもあり、菊花賞のときは、喜びもひとしおだったのでは。

草野現地まで応援にいきまして、嬉しかったですねぇ。どういうレース展開のアヤがあったのか、いつも好位にいるはずのダンスインザダークが後方にいるんですね。

「どうしたのだろう。今日は惨敗するのか」と思ったら、そこから直線に入って、インコースから外に切れながら伸びてきて勝ってくれて。すごく嬉しかったですね。

個人馬主として、クラブ会員として

——草野さんのお話を伺っていると、メイクマイデイなど、菊花賞がベースになっている感じがしますね。

草野そうですね。シンボリルドルフの実況も、三冠の菊花賞でしたし。競馬実況のスタートが菊花賞だったということもあってか、菊花賞は私にとって縁起のいいレースのようにも思いますね。私が放送していなくても、馬券はうまくとれたりとか。

——個人馬主と、初めて馬を持たれたときはいかがでしたか?

草野なかなか時間がなかったので、まず初めは抽せん馬で知り合いと4、5人で馬を持つ形で馬主をしてまして。ミステリーハンターと、「世界ふしぎ発見!」からとって名付けた馬で萩原厩舎に入りました。

萩原さんが稽古をみていて、「ひとつふたつはいけますよ」とおっしゃっていて期待していたんです。
ところが、ある朝の日に突然...
「ちょっと大変なことになってしまいました」と電話がかかってきまして。夜、厩務員がいなくなったときに疝痛を起こしたらしくて。
暴れて、顔面をどこかにぶつけて片側の視力が喪失していると。それで、中央でデビューできなくなりましてね。

——つらい出来事ですね。

草野生き物はそういうことがあるんだなぁ、と。馬はいろんなことがある生き物なんだよなぁ、と。

悲しい出来事を体験と共に知って、そこから馬第一主義というか、調教師さんが一生懸命育ててくれて、だんだん元気になって走っていけばいいんで、過大な期待をかけすぎるのはいけないんだと、個人馬主の最初の第一号で経験しましたね。

——春には馬主であるランブリングローズが未勝利を勝ち上がってくれました。

草野ランブリングローズは千代田牧場に生まれまして。それでなかなか買い手がつきにくかった馬でね。

ボクは最初からアグネスデジタルという血統が惹かれるものがあって。馬を見たら、結構気の強そうな雰囲気だったので、「これにしましょう」といってこの馬を選びました。

とても元気で、脚元の心配もなく、調教もよく走るんです。ある程度の能力は持っているなと。
ようやく1勝してくれて、馬主としてはひと安心ですね。あとは500万下でもいいので、ゆっくりだんだん力を付けてくれればと思ってます。

——確実に掲示板には入ってますからね。

草野ほんとに馬主孝行の馬ですね。基本的に体が丈夫なのですごく安心ですね。

——馬主になる以前となったあとでは、競馬の見方は変わりましたか?

草野馬は生き物ですからね。ほんとにいろんなことがあるし、競馬というのは馬を持っていると、人間がまんしなきゃいけない、むしろその連続が人生なんだよと教えられている感じがありますよね。

馬を持つことによって、人間と動物のかかわりあい常に愛情を持って接してあげて、できればいいところを勝ってね、馬が一生を終われるようにしてあげるのが馬を持った人間の務めなのだろうなぁとそういう意味で、やさしくなれたと思います。

馬券だけ買っているときは、「なにしてんだ!」とかほんとに勝手なことばかり言ってましたが(笑)。

——個人馬主とクラブ会員とで馬を持たれてますが、個人馬主とクラブ会員との違いはどんなところにありますか?

草野クラブ会員の場合、一口馬主同士が手をとりあって喜んだり祝賀会をしたり、不思議な連帯感が生まれますね。いろいろな人が集まりますから。

ブエナビスタの祝賀会のときにも、
「私は横断幕作ります」
「私が記念写真撮ります」
とか、みんなで共同で馬を応援する楽しみがあります。

本当は個人馬主として、時間があれば、馬を一頭一頭見て回りたいのですが、自分の時間がなかなか取れないこともあって。しばらくは。クラブ会員と個人馬主とで両方切り分けながら、馬を持っていこうと思ってます。
(第4回につづく)

草野 仁:1944年満州・新京生まれ。1967年東京大学文学部社会学科卒業。同年NHK入社、1977年にNHK東京アナウンス室へ異動。主にスポーツ・キャスターとして、さまざまなスポーツの実況中継を担当。1985年に退社後は、フリーのキャスター、テレビ番組の司会者として活躍中。TBS「世界ふしぎ発見!」は放送開始から25年を超える長寿番組である。