中山馬主協会概要

一般社団法人中山馬主協会は昭和25年3月の創立以来、60年以上の歴史を数えます。現在の会員数は423名(2018年7月現在)と最大規模の馬主協会となっております。

当協会は中央競馬に競走馬を出走させているオーナーが会員となり、相互の親睦・研修会の実施や情報提供を行い、また千葉県下の社会福祉事業への助成や様々な地域貢献活動を行っております。

一般社団法人中山馬主協会
千葉県船橋市古作1-1-1
設立:昭和25年(1950年)3月
会員数:423名(2018年7月現在)

中山馬主協会の主な事業内容

会員相互扶助事業
  • 会員がお互いの親睦を深め、馬主としての見識を高めるための勉強会や研修会の開催
  • 馬主の権益を擁護し、それらを善処するためJRA等との折衝
  • 馬主として必要な情報をホームページや会報を通して提供
  • 愛馬出走の際の接遇や、会員の家族などを招いて競馬観戦企画などの実施
  • 馬主をはじめとする競馬サークル振興に関する事業活動
社会福祉事業への助成・地域貢献事業
  • 昭和44年の中央競馬馬主社会福祉財団の設立以来、競馬において会員馬主が獲得した賞金の一部を原資に、千葉県下の福祉施設へ助成金を毎年交付
  • 中山競馬場周辺地域に対しての地域貢献事業の実施(近年の主な内容・・・幼児2人同乗自転車の寄贈、動物園へのポニーの寄贈、防犯用外灯の設置、学校への避難器具の設置など)
  • 周辺市の児童福祉施設へのクリスマスプレゼント(大型競走馬のぬいぐるみ等)

活動概要

競馬サークルの発展と競馬の根幹を支えている馬主の権益を守り、公益法人の役割である社会貢献活動などを行っている本会の概要を紹介します。

総会

当協会の最高決定機関である。定時及び臨時に総会を開催し、公益法人としての事業を行うために事業計画・予算並びに決算について議決する。また、馬主の権益を擁護し、競馬サークル全体が隆盛を極めるための当協会の方針を決定する。

理事会

当協会を運営するために、定期的に開催している決定機関である。総会において決定された事業計画・予算に従い、会員研修・福祉活動・地域貢献活動・広報活動などの事業を総括する。

常務会

夫々の事業を行うために各専門委員会より立案された事業の検証を行う。また、新規に開拓する事業について検討を行う。

専門委員会

総務委員会(入会・苦情)

総会に上程する事業計画・予算並びに決算等の立案を行う。

●入会
当協会は入会希望者に対して、当協会の定款や規程並びに活動内容などを理解いただくため懇談会を実施している。また入会基準に達しているか審査する。

入会基準
日本中央競馬会の馬主資格をお持ちの方

●苦情対策
競馬サークル内での会員や関係者からの提言などを受け持つ。競馬の根幹である競走馬を提供している馬主が様々な問題に直面した場合に、個人ではなかなか解決出来ないことが多く、当協会が窓口となり馬主の集合体として交渉を行うことで解決をめざす。

福祉委員会

●中央競馬馬主社会福祉財団の助成事業の実施
当協会会員馬主が競馬において獲得した賞金の一部を原資に千葉県下の福祉施設へ助成金を毎年交付している。当委員会では助成の要望の取りまとめや交付先の選定などを行なっている。

助成金実績

昭和40年代に入り、馬主として " 目に見える形 " で社会福祉に貢献し、同時に競馬のイメージアップを図りたいとの機運が高まり、昭和44年に中央競馬馬主社会福祉財団が設立されこれらが実現されました。昭和44年から平成28年までの47年間に当協会が千葉県下の福祉施設等へ助成した件数は1901件、約77億200万円となりました。
助成物件については、開始当初はその頃大変高価であった特殊浴槽やパソコン機器が圧倒的に多かったのですが、介護制度導入とともに最近では送迎用としての車両の要望が多くなり、時代とともに助成物件の変様を窺い知ることが出来ます。

●地域貢献活動実績
競馬場周辺地域への様々な地域貢献事業を行なっている。(幼児2人同乗自転車の寄贈・動物園へのポニーの寄贈・防犯用外灯の設置・学校への避難器具の設置など)

地域貢献活動実績

平成19年より中山競馬場周辺地域に対して、福祉活動以外で住民生活に直接関係する貢献活動を行っています。この活動は行政ではなかなか行き届かない事柄に対して、当協会のネットワークを張り巡らせた中から必要と思われる事業を精査し、寄贈を行っています。
また、同じく平成19年度より周辺市内の児童福祉施設に対して、クリスマスプレゼントとして当協会オリジナル競走馬のぬいぐるみを贈っています。

●児童福祉施設へのクリスマスプレゼントの贈呈
当協会がオリジナルとして作成した大型の競走馬ぬいぐるみを県内の児童福祉施設へクリスマスプレゼントとして毎年贈っている。

馬場賞品委員会

●中山競馬賞品の選定
中山競馬場で施行される特別競走、並びに重賞競走の優勝馬主に贈られる賞品の選定を行なっている。
また、当協会を運営するための定款や諸規程等を司る部署である。その他慶弔関係を含め協会を運営するにあたり様々な事柄を受け持つ。また、中山競馬場で行われる皐月賞と有馬記念の優勝馬主へ贈る中山馬主協会賞の選定も行っている。

●中山競馬場コースの整備、改善に関する事項
愛馬が実力を発揮し気持ち良く疾走するため、中山競馬場の各コース(芝馬場・ダートコース・障害コース)の芝の育成状況や路盤の傷みなどを調べ、より良い条件下で競走が施行されるよう馬主の見地から視察を行っている。

また、中山競馬場ダートコースはほとんどが1200mと1800mしか施行されていないため、愛馬のためにもファンのためにもダートコースの充実を願って研究を行っている。

中山馬主協会賞

クラシック三冠レースの幕開けを飾るGⅠ競走である皐月賞、そして、中央競馬の一年を締めくくる有馬記念での優勝馬主に対してその栄誉を称え、また競馬を愛する馬主同士として敬意を表し当協会は記念の額を贈っている。

額は平山郁夫画伯の原画に、鍛金師平澤正英先生が彫金をした作品で、芸術品としても申し分のない、グレードレースに相応しい品格ある額である。

●愛馬おめでとうキャンペーンの実施
競馬の根幹として愛馬を提供している馬主の喜びの最たる場面である優勝を更に盛り上げるため、中山競馬場で施行される一般競走(新馬、未勝利、条件競走)で優勝した会員馬主に対して、当協会がオリジナルとして作成したぬいぐるみに、騎乗したジョッキーのサインを入れて贈っている。また " 口取り " では優勝プラカードを持った「中山ウィナーズレディー」が加わり盛り上がりを演出している。

研修委員会

●研修会の実施
会員相互ならびに競馬サークル内の親交をより深めること、また馬主としての見識を高めることを目的に、様々な研修会を企画、実施している。主な内容としては国内外の競馬場や牧場等の視察や競馬関係者による講演会などを実施している。

競馬場視察実績

昭和から平成に移った頃、競馬サークルは国際化の波につつまれていました。いわゆるマル外馬として多くの外国産の競走馬が勝鞍を席巻しました。

この時期より当協会は諸外国へ積極的に訪れ、当地の競馬場を訪問し関係者と懇談を重ね、海外競馬との融合と競争をテーマに研修を行ってきました。この流れは現在も引きつがれ、17ヶ国、26ヶ所の競馬場と交流を持つまでとなりました。
また、国内競馬場の視察とともに会員同士の懇親を目的に研修旅行を実施しています。

●美浦トレーニングセンター会員研修会の実施
会員の愛馬が日頃調教を行っている美浦トレーニングセンターを訪問し、愛馬とのふれあいや調教施設の見学、預託調教師・騎手その他厩舎関係者との懇親を行う。

●会員やその家族を競馬場に招いての競馬観戦企画
普段あまり競馬場に来る機会がない会員の家族や関係者を招いた競馬観戦イベントを企画・実施している。当日は競馬記者の方を招いての予想検討会や競馬ビギナーを対象とした競馬教室などを企画し大変好評をいただいている。

広報委員会

馬主が必要とする情報を周知するための様々な活動。

●協会ホームページの運営
ホームページを立ち上げることにより、今までより迅速に新しい情報を会員に向け発信する。またホームページを通じて協会外へも広く情報発信を行ない、中山競馬場及び競馬界全体の一層の盛り上がりを目指す。

●当協会会報の発行
会報を発行し、会員へ協会の活動報告等を行なう。

中山馬主協会会報

本会の会報は平成6年に創刊し、年1回(平成22年までは年2回)発行しております。

日本の競馬を他方面から検証し提言を行う「シリーズ日本の競馬を考える」、海外競馬などから馬主のルーツを探る「馬主から始まる競馬」、「中山競馬場のGⅠ競走完全データ」他、馬主にとって大変有益な情報を掲載しています。

中山馬主協会史

戦後、競馬復興にかけた先達者の情熱や、競馬ブームに沸きたった時代など、時代の移り変わりとともに歩んだ当協会の歴史を振り返ります。

明治40年

7月総武競馬会が社団法人として認可され、発足。会長河野広中氏。
9月第1回開催は4日間で競走回数40回、出走頭数は91頭。
10月総武牧場株式会社と合併。

明治41年

3月全国公認競馬倶楽部聯合会の設立。(大正10年に社団法人競馬協会と改称)
10月秋季3日間競馬の終了後に馬券金禁止令出る。

明治42年

1月各競馬倶楽部連名で馬券法許の請願書を提出。
※総武競馬会はこの年開催せず。全倶楽部統合の動きの中で単独経営を図る。

明治43年

6月 定款を改正し「社団法人松戸競馬倶楽部」と名称変更して認可が下る。設備補助金により競馬場施設を総武牧場株式会社から買収して新発足。

大正4年

4月3月10日に千葉県知事の許可を得て春季から余興(景品)競馬の開催始まる。

大正8年

10月陸軍工兵学校に接収され葛飾郡葛飾村古作210番地へ移転。(現在地の南側駐車場付近)

大正9年

1月中山競馬倶楽部と改称。

大正12年

4月春季3日間競馬で以後は開催不能となる。
9月関東大震災で被害甚大。

昭和2年

10月競馬場を現在地に移して突貫工事で建設。

昭和3年

1月春季競馬を4日間開催。(中断してから4年9カ月ぶりの再開で盛況)

昭和5年

3月理事長に肥田金一郎氏、常務理事に阿部純隆氏。

昭和9年

12月第1回中山大障害競走を実施。

昭和11年

10月秋季開催で新設「第1回中山記念」を施行。

昭和12年

6月中山競馬倶楽部を解散。日本競馬会へ継承。
7月中山競馬振興会を設立。

昭和18年

11月秋季競馬後に開催停止。

昭和19年

3月競馬場は閉鎖。陸軍軍医学校出張所に引き渡す。

昭和20年

8月中山競馬場は第3農場に指定される。

昭和21年

9月日本競馬会中山競馬場の復活=須田立場長着任。調教師騎手会と共催で開場式を施行。
10月社団法人関東競馬振興会が認可発足。(中山支部長・中村勝五郎氏)

昭和22年

3月戦後第1回の8日間開催は盛況。
7月東日本競馬振興会に改称し認可。

昭和24年

4月東日本競馬振興会中山支部の離脱。組織再編成のため設立発起人会を開く。(出席者14名)設立総会を開催(下総若草牧場)名称を社団法人中山馬主協会とし発足を決議。定款を改正し、初代会長に中村勝五郎氏、常務理事に加野庄吾氏を選出。
5月会員23名の承諾書を添え県庁経由で主務省に認可申請を提出(23名の承諾書)
11月主務省から「許可保留の理由書」が届く。

昭和25年

2月定款の一部を改正し、書類を整えて再申請。
3月社団法人中山馬主協会が農林省指令25畜第1215号をもって認可された。第1回定時総会を競馬場2階会議室で開催(会員88名)
6月臨時総会を開き、国有財産である千葉県印旛郡富里村十倉に所在する「両国育成所」を本協会に売払い下げ申請を決議。

昭和26年

4月定時総会で定款を改正。入会者の増加と対外的な問題処理のため理事3名、監事2名を増員。国営競馬実施規則の改正で法人の馬主登録が認められた。
7月他の馬主協会と協調して全日本馬主協会連合会を設立。競馬民営化を目指し「民営対策委員会」を発足させた。

昭和27年

5月理事の任期3年を就任後3回目の定時総会まで、監事の2年は就任後2回目の定時総会までに変更。
6月農林大臣の諮問機関に「競馬制度審議委員会」が設置され、本会から中村勝五郎氏が委嘱される。

昭和28年

5月定款にある「競走馬の繁養を奨励」に基づき東京馬主協会と共同購買でサラブレッド系、アラブ系、米国産サラブレッド系の2歳馬26頭(牡3、牝23)を輸入し、抽選で配布。

昭和29年

6月初代会長の中村勝五郎氏が逝去(享年63歳)葬儀に参列する人が街道にあふれた。
7月川口鷲太郎氏が2代目会長に就任。副会長制度を設け中村正行氏を選出。
9月農林大臣の諮問機関として運営審議会が設置され第1回開催。本会の川口鷲太郎氏も委員に。 中央競馬の発足ー競馬の近代化がスタート

昭和30年

4月提示総会で理事3名の補充と監事を改選。
11月馬見所の補強工事が6月の2、3号に次ぎ4号も完了。
12月装鞍所の新築工事竣工。

昭和31年

4月定時総会で定款の変更。理事13名に増員。任期の3年を監事と同じ2年に短縮。顧問制度を新設。新スタンドの起工式。
9月競走馬慰霊祭を競馬会、関東各馬主協会、調教師会の共催で挙行。川口鷲太郎会長の逝去により中村勝五郎氏が3代目会長に就任。

昭和32年

9月新スタンドにふさわしい会員徽章に改定。
12月中山グランプリが有馬記念と改称され、西博副会長のハクチカラ優勝。

昭和33年

1月中央競馬馬主相互会の設立。
6月関東在住調教師代表の尾形藤吉調教師から馬手給与増額改定で要望があり、中労委の斡旋案により預託料増額1,500円のうち馬主が1,000円を負担することで決着。翌9日、中村会長は尾形調教師に回答文を発送。

昭和34年

2月渡米中のハクチカラが第24回ワシントン・バースデー・ハンデキャップ競走に優勝。
6月全日本馬主協会連合会と日本中央競馬会の間で、売上予算の6%をその年の奨金予算(現在の競走事業費)とする旨申し合わせた。
10月樫山純三会員のオンワードゼアが米国遠征のため横浜港を出港。
12月馬手組合の要求で年末手当として馬主は3,000円を負担することになる。設立時から厩舎関係者との親睦に努めてきた本会は「お歳暮」の形で調教師を通じて贈与。

昭和35年

2月1月に全馬労が24時間ストに突入。事態収拾のため中労委の要請で本会は糸川三男、山之内軍二両常務理事に全てを委嘱。2月27日に争議解決ウッド式発馬機の使用を検討。
10月ウッド式発馬機事故審査委員会が設置された。
12月東京馬主協会から「中央競馬馬主協会連合会」設立の提案があり、本会もその趣旨に同意。

昭和36年

1月新設アメリカジョッキークラブカップ競走でオンワードベルが優勝。ニューヨーク・ジョッキークラブ事務総長マーシャル・キャシディ氏本会員の樫山純三氏に優勝杯が贈られた。
3月全日本馬主協会連合会を再編成して名称を改め、中央競馬馬主協会連合会を設立(会長・鈴江繁一氏)本会会長中村勝五郎氏が副会長理事に。
11月連合会、競馬会、調教師会の3者による厩舎制度改善協議会が第1回会議を開催。本会は中村会長以下5名が連合会役員の資格で参画。
12月連合会は海外の競走事情視察を行い、本会は糸川常務理事が豪州に出発。

昭和37年

5月騎手の給与改善要求に対して連合会、調教師、騎手の3者間で協議。平均月額1万5,000円に5,000円増額することで解決。
11月中山競馬場の装鞍所で特別セリ(デラックス・セール)を施行。65頭の出場で最高価格は590万円、平均237万円強とまずまずの成績を収めた。

昭和38年

2月中央競馬馬主協会連合会では競走馬課税に関する陳情書を農林省及び国会関係に配布。枠制連勝複式による投票方式の実施について、連合会は緊急理事会を招集。売上が著しく低下した場合の省令改正、38年度賞金は37年秋季の賞金水準を維持する条件付きで了承。翌13日に農林大臣へ要望書を提出。
4月山之内軍二常務理事が連合会の代表として第3回アジア競馬会議に参加。副会長が西博氏から小川乕三氏に交代。

昭和39年

3月ライデンの調教中の事故と馬場の悪化、3月14日のハヤトオー注射事件に関し競馬会と協議。
10月東京オリンピック開催を記念し、会員相互の親睦と国際親善のため、外国馬術選手を中山競馬場に招待した。

昭和40年

1月中央競馬と地方競馬で馬主相互の調和を保つため初めての懇談会を設けた。後の「十日会」。
3月施設改善の要望が実って馬券発売所が増設され、2階中央には13の「婦人専用窓口」が初めて設けられた。自働タイム計測装置も正式採用。
9月9月13日に発生した騎手不正事件を重くみて緊急役員会を招集。競馬の公正確保を期して馬主も襟を正し、入会申込者の身元調査の徹底を図る。
10月緊急役員会で9月末に集団発生した伝貧の防疫対策と経過を確認。岩佐厩舎の火災(10月5日)で火災報知機の設置や馬房改造を要望。引き続き野平・矢野両調教師の渡米壮行会、高橋英夫騎手の900勝祝賀会を催す。

昭和41年

3月日本中央競馬会は施行規程を一部改正し馬主登録審査委員会を設置。
4月会員記章の更新、中山大障害の参加騎手に記念品の贈呈を決定。
7月日本中央競馬会の石坂理事長宛に要望書を提出。主な3項目のうち
(1)ファン利用の駐車場4,500台収容を7,000台程まで拡張
(2)観覧席その他施設の改善
について中村会長へ回答あり。11月にスタンドA棟の改造が完工。

昭和42年

4月春闘の処理をめぐって連合会の内部に不協和音が生じ構成を改革。常務理事制度から民主的な委員会制度へ。本会がその主導的な役割を果たした。中村勝五郎氏が連合会会長に就任。小川乕三氏が本会の4代目会長となる。(同月24日)
6月企画、連絡、競走馬資源、労務の各委員会で会合が集中。とくに、競走馬の激増で厩舎不足が深刻化し、白井分場に4棟の新設が決定。
11月和田共弘理事の愛馬スピードシンボリがワシントンD.C.インターナショナル競走で5着。
12月馬主席の不足、慈善団体への寄付、興奮剤事件による薬物投与に関する施行規程の改正案について役員会で審議。賞金の源泉徴収は、大蔵省主税局との度重なる交渉で翌43年からの実施となる。

昭和43年

4月役員改選で山之内軍二氏が副会長に就任。
7月中山競馬場白井分場に建立した馬魂碑の除幕式と法要を施行。本会が率先提唱してきた社会事業寄付金の制度が「馬主協会特別賞」の名目で新設された。競走費の枠内でダービーなど18重賞競走を対象にこの年1,550万円とわずかな金額だったが、翌年に中央競馬社会福祉財団設立のきっかけとなる。本会は地元市川市、船橋市に特別会計から200万円宛を寄付した。
9月小川乕三会長が運営審議会の委員となる。

昭和44年

3月東京で開催された第8回アジア競馬会議に本会から小川乕三会長はじめ5名が参加。
4月連合会役員に樫山純三理事、中央競馬馬主相互会役員に河野魁理事を選出。
7月和田共弘氏理事のスピードシンボリが英国キングジョージⅥ&クイーンエリザベスS競走に日本馬として初挑戦し9頭立ての5着に。
10月翌45年が本会の設立20周年にあたり、役員会では会員に記念品「シリコン柱時計」の贈呈を決定。財団法人中央競馬社会福祉財団の設立認可。

昭和45年

4月定時総会の開催は創設時から定款で毎年2月のままになっていたが、総会で4月に変更。入会金の値上げも決定。
12月前年のバスター出走妨害事件に関して、競馬会は一切の名義貸しを認めない方針を明示。6回中山8日目に有馬記念を2連覇したスピードシンボリの引退式が行われた。

昭和46年

4月役員会は繰越金の中から会員に還元する意味で、日本中央競馬会発行『サラブレッド種牡馬名鑑』配布を決める。
12月有馬記念当日に有力馬が異常な発熱で出走取消となり、これを発端に中山・東京両競馬場で馬の流行性感冒「マイアミA2型」が集団発生。競馬史上に類を見ない被害をもたらした。12月23日に緊急役員会を招集して対策を協議したが、以後の見通しも立たない有様だった。

昭和47年

1月猛威をふるった馬のインフルエンザもこの日から新たな発症はなくなった。本会は2月3日に調教師会、調教助手会、騎手クラブ中山支部、厩務員組合、開業医、装蹄師会、診療所、中山競馬場に対し寸志として見舞金を贈りその労をねぎらった(罹患馬1,772頭)
6月多数会員の声を聞くため、箱根で懇談会を開催(参加58名)
9月東日本馬主協会連絡協議会の設立総会を開催し、その下部組織として各単協に馬房問題苦情処理委員会と馬場管理委員会を設置。本会の山之内軍二氏が両会の委員長を兼任。
12月本会会員の収支明細書による統計では、いわゆる「黒字馬主」は3年前から47%、36%と下降線をたどり、この年はわずか28%にすぎなかった。

昭和48年

10月東京競馬場で行われた初の地方競馬招待競走(地方馬6頭)で本会会員・碓氷勝三氏の愛馬ユウシオが優勝。
12月中央競馬馬主相互会の主催で「物故馬の慰霊祭」を日本中央競馬会本部で施行。

昭和49年

7月競馬運営審議会で競馬会が提示した競走予算で「6%枠」を無視された馬主側が反発。連合会は競馬民主化委員会を結成して対抗したが、競走費4.36%に圧縮された。
12月名馬ハクチカラ、ハクショウなどのオーナーで、本会の役員として尽力された西博氏が逝去。 馬主経済向上への努力-6%協約をめぐる綱引き

昭和50年

3月新設された出走奨励金を進上金の対象とするには他単協の反対もあったが、本会はサークル一体化を重視し単独で進上金「特別会費」扱いを決議。
5月47年に設置した馬房問題苦情処理委員会を継承し「労務委員会」として再編。12月に賞品委員会も新設した。

昭和51年

4月会員の増加に伴い、定時総会で定款を変更。理事を13人から15人に、常務理事を2人以下から5人以下に。山之内軍二氏の死去により、副会長には樫山純三氏が就任。

昭和52年

1月小川乕三氏が同月21日に連合会会長に就任。役員会の互選で樫山純三氏が5代目会長に。
5月春闘で調教師会が馬主会の合意なく厩務員のベアを決めたため、緊急役員会を招集。進上金を含む賞金等の全額銀行振込みを決議。7月に調教師会から和解の申し入れと確約書が提出され決着。
8月競馬会から公式な相談がなく美浦トレセンへの移転準備が進められたため、輸送に伴う交通事情などを憂慮。東京馬主協会と「美浦対策委員会」を設置して7回の協議を重ねた。

昭和53年

2月美浦トレセンの移転問題で緊急臨時総会を開催。馬の移動禁止、出馬投票の拒否など合法的な対抗措置をとる決議文を満場一致で採択。
3月競走馬移動禁止仮処分申請を東京地方裁判所民事第9部に提訴。その後の話し合いで日本中央競馬会と和解が成立し、7条項を盛り込んだ和解の文書を交換した。

昭和54年

4月創立30周年を記念して会員に緑彩花瓶(藤田喬平作)関係各位にセイコークォーツ置時計を贈る。連合会、競馬会、調教師会による「預託料問題に関する懇談会」を設置。厩舎制度全般の在り方を見つめ直すため第1分科会、第2分科会で役割分担。本会の和泉信一常務理事が両分科会で馬主サイドの委員長を務めた。

昭和55年

4月連合会会長として長年尽力された本会の元会長・小川乕三氏が心不全で急逝。9日に市川市若宮の自宅で密葬、同月24日に東京都文京区の護国寺で本会会員はじめ関係者多数が参列し小川運輸株式会社の社葬が行われた。役員改選により、会長は樫山純三氏に代わって菅浦一氏が就任。副会長に河野魁氏が選出された。6月12日に中村勝五郎氏は名誉顧問理事、樫山純三氏は名誉会長理事となる。
5月東日本馬主協会連絡協議会(昭和47年に発足)は休眠状態だったが、問題山積の折から会則を改め機構を強化することになった。

昭和56年

10月愛馬とのふれ合いと会員相互の親睦を兼ねて美浦トレーニング・センター見学会を挙行。以後は毎年恒例の行事となる。5月所有馬の輸送事故で会員からの陳情を受け、輸送会社及び競馬会と折衝し善後策を講じた。競走馬自働車輸送における損害賠償約款の改定、見舞金制度などを見直す一つのきっかけになる。

昭和57年

4月親睦委員会を設置。
5月に美浦トレセン見学会、秋は11月11日に熱海で親睦会を挙行。
6月預託料問題に関する懇談会が3年の歳月を費やし一応の結論を得た。その内容を調教師に周知徹底した上で58年度から実施することになった。

昭和58年

12月この年後半に燕麦、寝ワラの価格が大幅値下がりしたため、預託料対策委員会は調教師会と折衝。12月分から基本預託料引き下げを実施。

昭和59年

2月東日本馬主協会連絡協議会の会則を改正、機構の強化を図った。事務局は本会が担当(委員6名)菅浦一本会会長が議長となる。協議会は預託料のチェック機関として預託料調整委員会を新設。
11月和田共弘会員の愛馬シンボリルドルフが史上初の無敗3冠馬となる。12月23日の有馬記念も優勝。

昭和60年

11月東日本馬主協会連絡協議会の預託料調整委員会が中山競馬場内に事務所を開設。
12月クリスタルコーナーの新設、大型映像ディスプレイ装置の運用開始を記念して、競馬場が本会を招待。会員多数が新スタンドで楽しく観戦した。和田共弘会員のシンボリルドルフは春の天皇賞、ジャパンカップに次ぎ有馬記念も連覇して7冠馬となる。また、シリウスシンボリはヨーロッパを転戦して後進に貴重な経験をもたらした。

昭和61年

6月前会長の樫山純三氏が逝去。
10月親睦委員会で初の海外研修旅行を企画。香港競馬視察に67名が参加。

昭和62年

11月翌年のスタンド改築工事中に馬場の徹底した補修管理を実施するため、馬場委員会は競馬場(馬場造園課)と綿密な打ち合わせを行った。

昭和63年

9月オーストラリアで開かれた第20回アジア競馬会議に連合会を通じて、本会から菅会長をはじめ和泉・新井・福岡各常務理事、田中理事の5名が参加。

平成元年

7月東日本馬主協会連絡協議会が名称を「東日本馬主協議会」と変更。4月に中山競馬場事務所内から事務局を都内に移し、10月には美浦トレセン内に事務所を新設して機能の充実を図った。
9月本会の創設40周年にあたり、中山競馬場で会員・家族同伴合わせて250名、関係招待者116名が集い盛大に記念祝賀を挙行。
11月シンガポールのブキティマ競馬場の視察を実施。

平成2年

4月定時総会で定款を改め、理事を18人以下、監事も3人以下に増員。副会長1人を2人以下とした。
7月札幌競馬の芝コースが日本初の洋芝竣工。(6月)視察観戦を兼ねての親睦会に80名が参加。

平成3年

9月入会希望の増加傾向から、会員相互の和を大切にするため、入会手続きの方法を見直し新たに入会審査委員会を設置。
10月タイのバンコク競馬場の視察を実施。
11月馬場委員会と競馬場で検討を進めてきた1,300㍍のコースは、競走距離体系の関係で白紙に。

平成4年

4月役員改選により、副会長に和泉信一氏が選出され河野魁氏と2人制に。常務理事では毛利喜昭氏が新任。中村勝五郎氏が名誉会長、平井義一氏は名誉顧問に推された。この年会員へのサービスとして、有限会社競馬通信社の協力で血統・配合に関する資料を提供。事務所設置のパソコンを活用し、中山開催で本会会員の所有馬が優勝した際には5代血統表を無料で送付。労務委員会を「苦情処理委員会」と改称。

平成5年

4月菅会長が中央競馬馬主協会連合会の会長に就任。河野魁氏が本会の7代会長に就任。
6月名誉会長の中村勝五郎氏(3代会長)が逝去。連合会会長、運営審議会委員など多方面にわたる長年の尽力により、7月12日に中山競馬場で関係8団体の合同葬が執り行われた。
9月「会報」発行の気運が高まり広報委員会を設置。最初の会合を開く。
11月アメリカのサンタアニタ競馬場の視察を実施。

平成6年

4月財団法人中央競馬社会福祉財団が「財団法人中央競馬馬主社会福祉財団」に名称変更。スピードシンボリ、シンボリルドルフ(7冠馬)のオーナーで本会理事として長年尽力された和田共弘氏が逝去。
10月香港のシャンティ競馬場及びマカオのマカオ競馬場の視察を実施。

平成7年

1月阪神・淡路大震災が発生。被災された西日本馬主協議会所属馬主に対し東日本馬主協議会を窓口に義援金2000万円、本会は500万円を分担拠出。
2月競馬学校卒業式にラジオを贈呈。
4月定款の一部変更。定時総会を2月開催とし、役員20名、常務理事6名に増員。
10月オーストラリアのコーフィールド競馬場及びワーリックファーム競馬場の視察を実施。

平成8年

7月創立50周年記念事業に向けて第1回準備委員会を開催。16日にかけて本会事務所を改装。
8月初の顔写真入りの会員名簿完成。
9月カナダのウッドバイン競馬場及びフォートエリー競馬場の視察を実施。

平成9年

9月日本馬主協会連合会は学術・医療・国際親善への貢献を目的に、世界平和研究所、慶応大学及び千葉大学医学部、京都映画祭実行委員会などに総額8000万円を助成。馬主研修会で美浦トレセン馬場造園課長を招いて「森林馬道」の施設概要や効果について研修。
10月ニュージーランドのエラズリー競馬場の視察を実施。

平成10年

2月和泉信一氏が8代会長に就任。
5月恒例の美浦トレセン見学会は本会創立50年で参加者79名。懇親会は関係者合わせて264名が盛大に祝う。 
9月ドイツのバーデンバーデン競馬場及びフランスのロンシャン競馬場の視察を実施。
10月会員研修会(中山競馬場事務所2階の大会議室)社団法人中山馬主協会の創立50年記念式典を挙行(会員・同伴・来賓合わせて680名)

平成11年

11月川口隆三副会長が勲五等双光旭日賞を受賞された。
京都競馬場の視察を実施。

平成12年

4月馬主席の喫煙マナー向上のため、中山競馬場に対して喫煙室設置を要望。
6月大井競馬場を視察し、ナイター競馬を観戦。
7月フランスのシャンティ競馬場及びイギリスのサンダウンパーク競馬場の視察を実施。
10月競走馬の共有について会員へアンケート調査を実施。

平成13年

6月アメリカのハリウッドパーク競馬場及びベイメドウ競馬場の視察を実施。
7月リニューアルされた新潟競馬場を視察し、日本初の直線レースを観戦。
新潟競馬場の視察を実施。

平成14年

4月預託料が自由化となり、馬主と調教師が直接交渉することとなる。
6月デンマークのコペンハーゲン競馬場の視察を実施。
9月阪神競馬場の視察を実施。

平成15年

2月会報第19号を創立55周年記念号として増版。
3月中京競馬場の視察を実施。
4月和泉信一会長が日本馬主協会連合会会長就任したことに伴い、福岡三男氏が9代会長に就任。
6月SARSの流行により、海外競馬視察が中止となった。
9月小倉競馬場の視察を実施。
11月創立55周年を記念した馬主研修会を実施。

平成16年

2月毛利喜昭氏が10代会長に就任。
4月中山競馬場来賓室を解放し、中山オーナーズデーを開催。
6月鳥インフルエンザの流行により、海外競馬視察を中止。
9月入厩・出走・預託料に関するアンケート調査を実施。
札幌競馬場の視察を実施。
11月京都競馬場の視察を実施。

平成17年

4月第1回目のJRA育成馬のトレーニングセール(現ブリーズアップセール)が中山競馬場で実施。
6月イタリアのサンシロ競馬場及びフランスのロンシャン競馬場の視察を実施。
10月金沢競馬場の視察を実施。

平成18年

3月専門委員会の馬場賞品委員会及び賞品委員会を統合し、「馬場賞品委員会」に改称。
6月福島競馬場の視察を実施。
8月会員に各競馬場の馬主席や及び競馬会館の利用方法、各種届出等を周知するため「会員ガイドブック」を作成。
10月日本馬主協会連合会社会貢献事業として、当協会が窓口となり中山競馬場の地元地域に対して助成活動を実施。
12月有馬記念競走優勝馬主へ「中山馬主協会賞」を贈ることとなった。

平成19年

3月馬事公苑の視察を実施。
4月皐月賞競走勝馬主へ「中山馬主協会賞」を寄贈することとなった。
8月アイルランドのカラ競馬場の視察を実施。
11月地域貢献事業を本年より行うこととなり、船橋・市川両市に対して助成を行った。
11月会員による第5回中山競馬開催前の馬場視察を実施、多数の会員が愛馬が疾走する馬場の感触を確かめた。
12月地域貢献事業として船橋・市川両市の児童福祉施設(船橋市57施設、市川市52施設)に対してクリスマスプレゼントとして競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。
12月根岸競馬記念公苑の視察を実施。

平成20年

1月「愛馬おめでとうキャンペーン」を実施。
2月宮崎育成牧場へ視察を実施。
3月宮崎育成牧場へJRAブリーズアップセール上場馬の視察を実施。
4月西川 賢氏が11代会長に就任。
8月韓国ソウルの果川ソウル競馬場および釜山の釜山慶南競馬場の視察を実施。
10月創立60周年記念行事を実施。
12月地域貢献事業として、市川市動植物公園にポニーを寄贈、千葉県内の児童福祉施設(松戸市47施設、習志野市15施設、浦安市15施設)に対してクリスマスプレゼントとして競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。

平成21年

6月当協会ロゴマークの承認。
7月札幌競馬場の視察を実施。
8月競馬成績における東西格差と預託料について東京馬主協会とともに勉強会を実施し、データ作りを実施。
10月香港のハッピーバレー競馬場及びシャンティ競馬場の厩舎の視察を実施。
12月地域貢献事業として、船橋・市川市の市民に幼児2人同乗用自転車を各128台ずつ寄贈、千葉県内の児童福祉施設(鎌ヶ谷市8施設柏市3施設、印西市9施設、八千代市18施設、流山市18施設)に対してクリスマスプレゼントとして競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。

平成22年

6月アメリカ・ニューヨークのモンマスパーク競馬場およびケンタッキーのチャーチルダウンズ競馬場の視察を実施。
10月帯広競馬場のばんえい競馬の視察を実施。
10月会員馬主の利益供用のため、また競馬サークルの活況のためホームページを開設。
12月好評につき本年2回目のオーナーズデーを開催。会員と家族383名が中山競馬場に来場し、一日競馬を楽しんだ。
12月売上が厳しき中、有馬記念を盛り上げるため、当協会が主催し第1回有馬記念プレミアムレセプションを開催。
12月地域貢献事業として、船橋市に幼児二人同乗用自転車50台を寄贈、市川市に青色防犯パトロール用の軽自動車1台、3輪原付自転車2台、2輪電動バイク2台を寄贈、千葉県下の社会福祉施設5施設へ助成金を交付、千葉県内の児童福祉施設(6市87施設)に対してクリスマスプレゼントとして競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。

平成23年

7月東日本大震災被災地支援チャリティーオークションを開催し、最終落札額14,550,000円を東日本大震災被災地支援金として、日本赤十字社へ拠出。
8月函館競馬場の視察を実施。
8月東日本大震災により甚大な被害を受けた東北地方の被災地に対して義援金500万円を拠出し、また、当協会所在地である千葉県下でも津波などの影響で多大な被害が発生したことから、生活再建支援として義援金3,000万円を拠出。
9月一般社団法人への移行認可申請書を提出。
12月一般ファンを馬主席へご招待するイベントの募集を当協会ホームページにて開始。
12月第2回有馬記念プレミアムレセプションを実施。
12月地域貢献活動として、船橋市に災害用備蓄倉庫を寄贈、市川市に遊具を寄贈、千葉県下の社会福祉施設8施設へ助成金を交付、千葉県内の児童福祉施設(8市町村87施設)に対してクリスマスプレゼントとして、競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。
12月一般社団法人への移行認可承認。

平成24年

1月社団法人の解散登記および一般社団法人の設立登記を行い、「一般社団法人 中山馬主協会」に名称を変更。
6月リニューアルオープンした中京競馬場の視察を実施。
9月当協会が率先して提唱した自ブロック優先制度が開始。
11月シンガポール・クランジ競馬場の視察を実施。
12月第3回有馬記念プレミアムレセプションを開催。
12月地域貢献事業として、船橋市に災害用備蓄倉庫を寄贈、市川市に遊具を寄贈、千葉県下の社会福祉施設8施設へ助成金を交付、千葉県内の児童福祉施設(20市町村、88施設)に対してクリスマスプレゼントとして、競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。

平成25年

1月ドバイ・メイダン競馬場の視察を実施、ドバイワールドカップを観戦。
12月第4回有馬記念プレミアムレセプションを開催。
12月地域貢献事業として、船橋市に避難器具を寄贈、市川市に火災予防・消防の認識を深めるため活動を行っている音楽隊へ楽器を寄贈、千葉県下の社会福祉施設10件施設へ助成金を交付、千葉県内の児童福祉施設に対してクリスマスプレゼントとして、競走馬のオリジナルぬいぐるみを寄贈。