第3回ヒグチアイさん

シンガーソングライター

験を担ぐ。なるほど、ゲンとは経験の〝験〟と書くのか。
今回、コラムの依頼を受けてまず最初に知ったことである。ひとつ頭が良くなりました。
しかしなぜ〝験〟と書くのだろう。語源は?
調べてみると、縁起、えんぎ、が反対になり、ぎえん、げん、に言葉が変化していったと。そして験とは仏教用語で、修行や祈祷の効果の意味、担ぐとは、気にする、という意味があるらしい。

縁起を気にする。しかしそれは、修行の効果次第である。

だいぶ厳しい意味合いだということが判明してしまった。
普段なにもしていないのに、突然「あのときうまくいったから今日の朝はおにぎりだ」とか「左足から踏み出すんだ」みたいなことは通用しない。

でもよく考えてみれば、初回うまくいっていなければ、験を担ぐことはできない。うまくいった経験があるから験を担ぐことができる。
その初回は、明らかに自分の努力である。験を担がずとも、自分の手で勝ち取った勝利である。

さて、そろそろ競馬の話をするとしよう。わたしは寺山修司や浅田次郎の影響で競馬が好きだ。といえば格好がつくだろうが、始めるきっかけは競馬好きの元カレに連れて行かれたのが始まりだ。元カレは精神を病んでいて、一日中何かに没頭できるものを探し続けていて競馬に辿り着いたみたいだった。
たしかに競馬場に行き、新聞を眺め、パドックで時間ギリギリまで馬を見て、レースが始まればゴールラインで叫び、そんなことを繰り返していればしっかり一日が終わっているから驚く。まさか「差せー!!!」と腕を振り上げる人生になるとは。人間が出るから面白い。

わたしは自分の人生が地方競馬の馬みたいだなと思うことがある。「前走はいつだろう?」と新聞を読むと一ヶ月半前と書かれている。中央の強い馬たちはそんなスパンで働かされたりしない。「ここで終わりたくない」と思いながら「のしあがれるのだろうか」と悩み「このままここで頑張るのでもいいじゃないか」と諦める。
しかし寺山修司は言っている。競馬が人生の縮図なのでは無く、人生が競馬の縮図なのだと。 そう呟くと、悩んでいること自体バカバカしく思えてくる。人生なんて、そんなもんなんだ。だから、間違えないように進むのではなく大袈裟にいけよ、と。
そう誓ったわたしは、この間仕事で行った競輪場でどかんと賭けた。そしてしっかり負けた。

わたしに博才はない。しかしきっと、夢を追う才能はある。だからコツコツと努力を重ねて、でも間違いを恐れず、大袈裟に生きていこう。そして偶然ではない必然を覚えていよう。わたしの力で作りあげた〝験〟にするために。

リレーバトン 次回は

錦笑亭満堂さん です。

※この記事は 2024年2月23日 に公開されました。


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