みなさんのプラスになるお話が届けられるように、これからも頑張っていきます。

「自分も頑張ろう、絶対になろう」
――藤原さんは、ラジオNIKKEIで『こだわり羽生結弦セットリスト』という番組MCを務めるくらい、羽生結弦選手の大ファンなんですよね?
藤原はい。大好きです!高校1年生の頃から追いかけ始めて、ファン歴15年になります。もともと、母の影響で幼稚園の頃からフィギュアスケートを見ることが大好きなんです。
――藤原さんが高校生の頃、羽生選手はどんな選手だったんですか?
藤原その当時の日本のエースの1人は髙橋大輔選手で、世界王者はカナダのパトリック・チャン選手でした。「この、絶対王者を倒すのは誰か」みたいな時代で、羽生選手は“これからさらに駆け上がって行く”という頃だった記憶があります。
――まさにこれから!という時だったんですね。ファンになったキッカケは何だったんでしょう?
藤原朝、学校に行く前にテレビでスケートカナダという大会を見ていました。その時、真っ白い衣装を着た羽生選手が滑っていたんです。「なんだ!この美しい形は」って、朝食のパンを持つ手が止まるぐらいの衝撃でした。もう、一目惚れに近いですね!そこから、羽生選手のことを調べ始めました。一気にファンになりましたね。
――それほどのインパクトだったんですね。
藤原そうなんです。羽生選手のファンの間では、これを落ちるといいます(笑)。スケーティングが本当に美しくて、いい意味で浮世離れしているというか。それに、とっても負けず嫌いで、自分が描いてきた目標を叶えるために努力している姿がすごく刺激的でした。
――それは、どんな点が?
藤原幼い頃のインタビューを拝見したのですが、その時点で、もう「自分はオリンピックに行って、金メダルを獲る。1回ではなく、2回獲る」とおっしゃっていたんです。その夢を叶えられたんですよね。私も中学生の頃からアナウンサーになりたいという思いがあったので、「自分も頑張ろう、絶対になろう」と。人生が変わりましたね。
――アナウンサーに「なりたい」ではなく、「なる」になったんですね。
藤原はい。前回このコーナーでインタビューさせていただいたLynnさんも、声優に「なりたい」ではなく、「なる」と養成所に通っていたとお話なさっていました。自分の経験もあったので、その話を聞いて鳥肌が立ちました。アナウンサー受験をしていても、「なりたいんだよね」ではなく、「アナウンサーになるんだ。どこの局がいいか」と言う人たちが合格しました。みんな、根拠のない自信があったこともLynnさんのお話と同じで(笑)。

Nコンの経験を経て、自分は変わった
――藤原さんもアナウンサー試験の時は、その心構えで臨んだんですね。
藤原そうですね。さらに、キッカケがあるんです。高校時代に放送部に入っていて、NHK杯全国高校放送コンテスト(以下、Nコン)という大会の本戦への出場を目指していました。これは、放送部の甲子園って呼ばれているもので、全国の放送部はみんなこの大会に命をかけているんです。
――放送部の皆さんが目指している、大きな大会なんですね。
藤原そのアナウンス部門の神奈川県大会に出場しました。何百人と出るんですが、全国大会に行けるのは6人まで。そこで、高校1年生の時、7位になりました。
――それは惜しい〜!
藤原そうなんですよね、だから次は全国大会に行こう!と。その翌年は、6位以内に入って全国大会に出場しました。全国から集まった300人の中から、次の準決勝に行けるのが60人、NHKホールで行われる決勝に行けるのは10人です。でも、私は高2の時は、準々決勝で終わりました。じゃあ、高校最後の3年生では、準決勝の60人に入りたい!と思って。運が良ければ最後の10人に残りたいなと思って練習をしていました。そうしたら、その60人止まりでした。
――そこまで行ければ、すごい!と思いますけど…。
藤原私は、すごく後悔しています。運良く上に行こうなんて考えじゃダメだったんです。優勝するぞ!って決意しないと。実際の優勝者は、「優勝を獲りに行く」という考え方をしていました。それまで、目標を公言することが恥ずかしかったんですが、これからは強く気持ちを持とうと思いました。言霊って、本当にあるんですよ!
――それが、藤原さんのアナウンサー人生の原点なんですね。
藤原はい、Nコンの経験を経て、自分は変わったと思います。

天然?おっちょこちょい?
――大学生の時も、いろいろと活動していたんですよね?
藤原大学では放送研究会に所属していて、他にも東京湾をクルージングする納涼船で船内DJとリポーターをしていました。とにかく話す活動が大好きな学生で、TOKYO MXの『ひるキュン!』という番組で、食レポをしたこともあります。
――その頃から、“ななかもしか”って呼ばれていたんですか?
藤原中学生の時に名付けられました。足だけは速くて、走っている姿がカモシカに似ているということから、カモシカちゃんとか呼ばれていました。ただ、そのあだ名をつけた先輩は、いわゆるシカをイメージしていたと思うんです。カモシカって実はウシ科で、私が見た動画のカモシカの足はどちらかというと遅めでした(笑)。
――だいぶ、イメージが違いますね(笑)。藤原さんも、お仕事とプライベートではイメージは違いますか?
藤原おっちょこちょいなんですよね…。そこは、お仕事で出さないように気をつけています。
――おっちょこちょい?
藤原大学の4年間、パン屋さんでアルバイトをしていたんですけど、その時もヤラかしました。併設のカフェでランチにカレーを出していたんです。だから、朝の勤務の人は、そのお米を炊くんですが、その日は私がその係でした。よし、炊けたぞ~と思ったんですが、なんか炊きあがりが、いつもより早くて。で、パカッと炊飯器の蓋を開けたら…。
――開けたら?
藤原熱々の生米が…。水を入れるのを忘れていたんです。信じられなくて、いったん蓋を閉めて、また開けて。でも、やっぱり入っているのは熱々の生米でした。
――それは!(爆笑)。いったん炊飯器の蓋を閉めて…夢であって欲しい!と思ったけど…、
藤原夢じゃなかったんです(苦笑)。あとは、大学の体育の授業ですね。ドッジボールの授業で、最初のジャンプボールに自分で手を上げて立候補したのに、着地に失敗しました。もう開始10秒で捻挫で離脱です。立てなくて、医務室まで運んでもらったんですが、当日は学校のクリスマスツリーの点灯式だったんです。
――母校はキリスト教系の学校ですもんね。
藤原はい。みんなが校門にあるツリーの点灯を、今か今かと待って集まっている中を、医務室に向かって捻挫姿で通ることになりました。かなりの人数がいたので、顔は真っ赤でした。今は本当に気をつけています。

みなさんのプラスになるお話を届けたい
――確かに。トレセンに取材に行ったり、レース後は騎手や関係者にコメントを取りに行ったり、実況アナウンサーは体が資本ですね!そんな、藤原さんの座右の銘は?
藤原「のんびり、楽しく、全力で」です。お仕事もですけど、まずは全力で頑張りたい。で、せっかくやるなら楽しくハッピーに過ごしていたい。ただ、あんまり頑張りすぎちゃうと、自分で自分を苦しめちゃうので、のんびり自分のペースでということを大事にしています。
――いつもは、出演者の方の座右の銘を、藤原さんに聞いてもらっていますが、これは深いですね!最後にこれからの意気込みをファンや読者の皆様に一言お願いします。
藤原じっくりお話をうかがって、そのお相手の魅力をお届けしたいという気持ちがあったので、インタビューはアナウンサーになって、やりたいことのひとつでした。「We♡horses」のおかげで1個夢が叶いました。少しでも、みなさんのプラスになるお話が届けられるように、これからも頑張っていきます。競馬実況も、もっともっと精進していきますので、これからもどうかよろしくお願い致します。

構成:スポーツ報知 志賀浩子
Photograher:山口比佐夫
インタビュアー・広報担当:IDEO

藤原 菜々花ラジオNIKKEIのアナウンサー。担当番組:「中央競馬実況中継」「ななかもしか発見伝!」「こだわり羽生結弦セットリスト」等
