きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

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独断と偏見で勝手に選んだ《郷原洋行五番勝負》、アイドルホースキラーのイチフジイサミ、グレートセイカン、スプリンター血統馬の菊花賞の勝ち方・プレストウコウに続く第4番勝負はちょっとほろ苦いお話しになります。

郷原騎手はダービーに2度勝っています。80年のオペックホースと89年のウィナーズサークルです。最高の栄誉であるダービーを勝ってどこがほろ苦いかというと、2頭ともダービー後は遂に勝てないまま終わったからです。

菊花賞後に3歳で引退したウィナーズサークルはともかく、誰が言ったかオペックホースは“史上最弱のダービー馬”酷いことを言う人がいるものです。しかしダービー後は32連敗と勝てなかったのも事実です。

ダービー当日は貴公子モンテプリンスが圧倒的な人気を集めます。トライアルのNHK杯2000mを7馬身差で圧勝していました。『はっきり言って』と郷原騎手は後にこう語っています。

『モンテプリンスを負かせと言ってもできないですよ。何回走ったって勝てない。でも、あのダービーは違った。何かが起きると思っていた。レース前からね、僕にはレースが見えていたんです。スタートを切ったらこうなる、1コーナーを回ったらこうだってね。レース前に、僕は断言してました。このダービーはこうなる。だからこの位置にいて、こう乗れば勝てるってね』

レース直前にオーナーの角田二郎さんが亡くなり厩舎スタッフはじめ関係者の“気が集まった”結果だそうです。でも、強敵相手にその全員の“気”や思いを背負って、ここ一番でイメージどおりに馬を走らせ勝ち切る、強さだけでは計りきれない競馬の不思議が詰まっています。

後日談ですが、負け続け種牡馬試験にも落ちたオペックホースに佐藤勇調教師は真剣に障害転向を考えたといいます。もう一度活躍させて種牡馬への道を開いてやりたかったからです。

試しに障害練習させてみたら“ケタ違い”のセンスを見せ、佐藤調教師は中山大障害制覇を確信したそうです。しかしダービー馬に障害を飛ばせるなんてという批判が高まり、この計画は幻に終わりました。もしそうなっていたらダービー馬にして中山大障害馬、世界の競馬史に残る名馬が誕生していたかもしれません。

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