きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話

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今週は今月いっぱいで勇退される郷原洋行調教師の騎手時代、その名勝負の数々を振り返ってきました。

アイドルホースの天敵のようだったイチフジイサミ、ダートの帝王にふさわしく精悍だったグレートセイカン、スプリンター血統を克服した菊花賞のプレストウコウ、“史上最弱のダービー馬”オペックホース一期一会の出会いに素質を爆発させたスリージャイアンツ、その背中にはすべて“剛腕”ジョッキー・郷原洋行さんがいました。独断と偏見で勝手に選んだ《郷原洋行五番勝負》、今日は番外編をお届けさせていただきます。

騎手郷原洋行の晩年の代表的な騎乗馬はニッポーテイオーですね。師匠の大久保房松調教師と同じく戦前から中山に厩舎を構えていたJRA1000勝トレーナー久保田金造調教師の管理馬でした。当初は久保田師の弟子の蛯名信弘騎手が主戦でしたが、ニュージーランドTを代打騎乗で勝ったあたりから、郷原騎手への騎乗依頼が増えるようになり、結局、生涯で7-6-1-1と最良のパートナーに成長していきます。

父リイフォーは後にダンシングブレーヴで大ブレークする大種牡馬リファールの初期産駒で同じ系統のモガミより1年早い1980年に輸入されています。アメリカに残した産駒のトロメオなどが活躍したために3世代目のニッポーテイオーが生まれた83年に再輸出されました。この世代には根岸S、スプリンターズS(当時G3)と芝ダート不問でスプリント戦線をにぎわせたウィニングスマイルもいて、輸出を悔やむ声もあったようです。

産駒は“気で走る”リファール系らしく短距離馬が多かったのですが、(母父として名スプリンター・マイネルラヴを出しています)我慢が効き鞍上の意図を理解する賢い仔は距離をこなしています。ニッポーテイオーはその典型で守備範囲を超える宝塚記念で相当レベルの高い相手に2度も2着したのは能力の証明でしょう。

種牡馬としてのニッポーテイオーはちょっと気の毒でした。同じリファール系の大物ダンシングブレーヴが輸入されたり、やがてサンデーサイレンスが急速に台頭したり、必ずしも配合相手に恵まれたとはいえず、今では131連敗馬ハルウララの父として名を残すのみです。

軽快に先行して四角先頭、直線はさらに伸びて突き放す、“王道競馬”、そんな言葉がピッタリのレースぶりでした。ただ常に他馬の目標にされることから2着が多いのも事実でした。上記の宝塚記念の2度の2着はその典型のようなレースでした。でも、ニッポーテイオーらしさにトコトンこだわった郷原騎手の手綱さばきは“潔く”見えたものです。

野平祐二さんは《剛腕・郷原》をこう評しています。『馬を追えることにかけては日本競馬史上最も秀でた騎手』と。

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